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1993年カナダ連邦選挙
カナダ
1988 ←
1993年10月25日 (1993-10-25)
35th Canadian Parliament
→ 1997

295 seats in the House of Commons
投票率 70.9%[1] (減少4.4pp)
党首 ジャン・クレティエン ルシアン・ブシャール プレストン・マニング
党首就任 1990年6月23日 1990年7月25日 1987年11月1日
党首選挙区 サン=モーリス サン・ジャン湖 サウスウェスト・カルガリー
前回選挙 83議席, 31.92% 設立前 0 議席, 2.09%
選挙前議席 81 10 1
獲得議席 177 54 52
議席増減 増加96 増加44 増加51
得票数 5,647,952 1,846,024 2,559,245
得票率 41.24% 13.52% 18.69%
得票率増減 増加9.32pp 設立前 増加16.59pp

党首 オードリー・マクラフリン キム・キャンベル
党首就任 1989年12月5日 1993年6月13日
党首選挙区 Yukon バンクーバーセンター (lost re-election)
前回選挙 43議席, 20.38% 169議席, 43.02%
選挙前議席 44 156
獲得議席 9 2
議席増減 減少35 減少154
得票数 939,575 2,186,422
得票率 6.88% 16.04%
得票率増減 減少13.50pp 減少26.97pp

Popular vote by province, with graphs indicating the number of seats won. As this is an FPTP election, seat totals are not determined by popular vote by province but instead via results by each riding.

選挙前Prime Minister

キム・キャンベル

Prime Minister after election

ジャン・クレティエン

1999年カナダ連邦選挙 (正式な呼称は, 第35回総選挙) その年の10月25日にカナダの第35回国会カナダ下院議員を選出するために行われた。その選挙では、下院の295議席を14つの政党が争った。 これはカナダ史上最も盛り上がった選挙であり,有権者の半分が支持政党を 1988年カナダ連邦選挙から変更した。結果、 キャンベル率いる自由党が下院で圧倒的な多数を手にし、次のカナダ政府を形成した。

この選挙でカナダ進歩保守党は、1988年から票の半分以上を失い、156議席のうち2議席を除く全ての議席を喪失した。これはカナダの与党政権、西欧諸国の与党政権として最悪の敗北であった。

今回の選挙では2つの新党が登場し, 主にカナダ進歩保守党の支持者から支持を奪っていた。[2]主権主義者のブロック・ケベコワはケベック州で過半票を獲得し勝利、公式野党となった。カナダ改革党 は、マニトバ州東部で1議席しか獲得しなかったものの、主要な右翼党とほぼ同じ数の議席を獲得し、進歩保守党にとってかわった。

伝統的な第三党である NDPは前回の健闘から一転、9議席まで議席数を減らした。[3] この選挙はNDP史上の唯一の100万票を切ったものとなっている。

背景

マルルーニー政権

1984年、 マルルーニ はカナダ進歩保守党を率いてカナダ史上最大の多数派政権を樹立し、全ての州で過半数の議席を獲得した。 カナダ進歩保守党が政権を取った1984年当時、カナダの連邦政府赤字は345億ドルに達しており、この削減を公約に掲げていた。 しかし、1993年までにこれは400億ドル以上に膨れ上がっており、また、カナダ連邦債務政府債務は5,000億ドルにまで積みあがっていた。 [4]財政健全化の方策としてマルルーニーが行ったのは増税であった。1999年に消費税税を設定。[5]

マルルーニー退陣とキャンベル政権

これらの要因によってマルルーニは1940年台から始まった世論調査で過去最も人気のない指導者となった。[6] これにより1991年に進歩保守党の支持率は15%台まで低下し、[7]法務大臣であったキム・キャンベルが後継者として首相となった。キャンベルは就任時からの短期間に高い人気を誇り、それは1960年代後半のピエール・トルドーに対するトルドーマニアを文字った「キャンベルマニア」という言葉が生まれるほどであった。[8]

この時期、他の伝統的な政党も上手くいってはいなかった。 自由党は破産しかけており支持率も50%から32%まで低下させていた。そのためクレティエンはジーン・ペルティエ を参謀長に起用し、彼の指導力を用いて党を再編した。[9]

選挙運動

Graph of opinion polls conducted during the campaign

選挙運動開始前

選挙は1993年の秋に議会の任期切れに伴って招集された。その年の晩夏時点で、キャンベルはクリスチャンに対して人気で上回っていた。[10]

カナダ自由党

 
Liberal Party logo during the election

カナダ自由党は9月19日に、長い間構想してきたキャンペーンを発表し、メディアはそれにRed Bookと名付けた。これはカナダ自由党が与党となった際の公約が記されたものであった。 これは前例のない試みで、数年の歳月が費やされたものだった。[11] カナダ自由党のキャンペーンは一貫した組織性をもって行われており、進歩保守党の、9月25日に行われ現代政治史の中で最も無能なキャンペーンと呼ばれたGlobe and Mailとは一線を画していた。[12]

ブロック・ケベコワ

カナダ改革党

カナダ改革党は、西部とオンタリオ州の多くに大規模な草の根的なネットワークを構築しました。 改革党は資金や資源に乏しかったので、エコノミークラスの客席に乗ったり、安ホテルに泊まったり、弁当を作ったりして、その姿勢がお金に厳しい財政緊縮派の人々から支持されるようになった。[13]選挙活動は リック・アンダーソンという熟練の専門家によってマネジメントされた。改革党内部ではオタワ出身の彼を起用することについて反対する意見もあったが、彼は高い能力を発揮することで早期にそれを解決した。[14]

改革党はトロント地域の候補者であったジョン・ベックがヨーク大学の学生紙で移民反対派的な意見を表明した際に移民に関する論争に巻き込まれ、ヨーク大学の学生達の反対運動によって改革党はジョン・ベックを候補から外さざるを得なくなった。[15]

新民主党

 
The federal NDP logo during the election.

進歩保守党

進歩保守党の選挙キャンペーンは会長のジョン・トーリーとチーフストラテジストのアーラン・グレッグ、マルルーニの側近2名によって率いられた。 これは資金的には最も優遇されていたが、すぐに組織的な問題に直面した。地方向けキャンペーン用のパンフレットを党が作成できず、各候補者にそれを強要した結果、党としてのメッセージの一貫性が保てなくなったことである。[16]

クレティエン広告

10月まで, 進歩保守党の支持率は世論調査でリベラルにかなりビハインドしており、再選されないであろうことは明らかであった。そんな中、Greggと進歩保守党がリベラルに対して過半数を勝ち取る為に考えたのが、series of commercials attacking Chrétien(クレティエン叩きシリーズ)呼ばれる広告の立ち上げであった。

この広告の制作者達は "もし彼がカナダの首相になったら、とても恥ずかしい"というニュアンスのクリエイティブは彼の政策と倫理について意味するものであったと説明したが、彼の顔の奇形 ( 神経麻痺によるもの)を強調していたことから、多くの人々はこれはクレティエンの外観への侮蔑だと認識した。
この広告はロメオ・ルブラン率いるリベラルの選挙対策本部がすぐにメディアに連絡するなど、自由党に即座に広く認知された。

 これは進歩保守党候補を含む左右両派からの激しい反発を引き起こし、キャンベルは放送中止を命じた。 [17]

クレティエンはこの広告に対し、「子供の頃、人々によく笑われましたが、私は神から人とは別の資産を与えられたのです。私はとても幸福です。」と、対戦相手の引き合いとして少年時代に彼をからかった子供達を出し、支持率を急上昇させた。 [17] クレティエン自身も彼の半身不随な顔を選挙運動に利用していたのではないのかという指摘も存在する(進歩保守党), ケベック州での自由党の選挙ポスターには、"Strange-looking face, but reflect on what's inside."(変な顔ですが、中身を見てください。)との文言があったり、殆どの新聞や雑誌の広告では彼の特徴的な顔を積極的に推しだしていた。[17]

焦点

1993年の選挙で最大の論点は間違いなく経済対策であった。[18] 1988年選挙での論点はアメリカとのFTAであったが、1993ではそれがそのままNorth American Free Trade Agreement (NAFTA)に置き換えられたようなものであった。[19]

(なお改革党は移民の削減と多言語主義の後退を提唱していた。)[7]

結果

 
The distribution of seats in the House of Commons after the 1988年カナダ連邦選挙. The blue is Progressive Conservative, the red Liberal, and the orange NDP
 
The shape of the House of Commons after the 1993 election. The two new parties are represented with Reform in Green and the Bloc in cyan

この選挙は進歩保守党にとって大敗に終わった。彼らはリベラルにとっての過去最悪であった1984年の95議席の喪失を上回る、156議席のうちの2つを覗いた全てを失うという大敗を喫した。この損害は失われた議席の絶対数においてもパーセンテージにおいても、カナダの与党政権のみならずウェストミンスターシステムの政権政党にとって過去最悪の記録となった。 また、圧倒的な安定政権が一気に一掃された、世界での珍しい例の一つとなった。

マルルーニーの以前の選挙区であったケベック西部シャルルヴォワブロック・ケベコワGérard Asselinのものとなった。 tory候補はたった6,800票しか得られなかった上に、これによって資産を失う危機に陥った。[20]

キャンベルは彼女の支持地域であったバンクーバーを自由党の新人ヘディ・フライに奪取された。[3]— 首相の退任と選挙での敗北が同時に起こったことは、これを含めカナダの歴史上3度しか起こっていないことである。 (前例としてはアーサー・ミーエンに二度、1921年カナダ連邦選挙1926年カナダ連邦選挙に起きていた。).

自由党はこの選挙で177議席を獲得した。これは190議席の1949年に次ぐ、党史上3番目の戦績であった。これにより、下院で圧倒的多数を獲得した。

ブロック・ケベコワは54議席を獲得した、ケベック州での半数以下の票を獲得し、フランス語圏 を席捲した、

改革党は進歩保守党の支持を獲得し、この選挙で大きな転機を迎えた。ブロック・ケベコワは公式な野党であったが、リベラル達は改革党をケベック州以外については支持する野党と考えていた。 また、野党党首であったルシアン・ブシャールアメリカ大統領 ビル・クリントンへの面会を許可された。

改革党党首のプレストン・マニングもまたビル・クリントンとの面会が許可されていた。

[21]

NDPは主要な政党の中で最も少ない得票となり、獲得議席数は9となった。これは1988年からの大きな後退であった。当選した候補の多くは政党の伝統的な支持地域であった西部ハートランドに選挙区が集中していた。平均して、NDPの項は35.1%の得票率しか得られていなかった。</ref>ケベック州では彼らの唯一の議席を失うことになった。 これは1999年選挙で 獲得したもので、ケベックのナショナリストであるフィル・エドモンストンが,シャーロットタウン合意に対する党の決定に反対し、再選を見送ったことにより手に入ってものであった。[22]

177 54 52 9 2 1
Liberal Bloc Québécois Reform NDP PC I

得票数と議席数

Popular vote
Liberal
  
41.24%
Reform
  
18.69%
PC
  
16.04%
Bloc Québécois
  
13.52%
NDP
  
6.88%
Others
  
3.63%


Seat totals
Liberal
  
60.00%
Bloc Québécois
  
18.31%
Reform
  
17.63%
NDP
  
3.05%
PC
  
0.68%
Independents
  
0.34%

地域ごとの結果

Party name BC AB SK MB ON QC NB NS PE NL NT ユーコン・テリトリー Total
     Liberal Seats: 6 4 5 12 98 19 9 11 4 7 2 - 177
Popular vote: 28.1 25.1 32.1 45.0 52.9 33.0 56.0 52.0 60.1 67.3 65.4 23.2 41.3
     Bloc Québécois Seats:           54             54
Vote:           49.3             13.5
     Reform Seats: 24 22 4 1 1   - - - - - - 52
Vote: 36.4 52.3 27.2 22.4 20.1   8.5 13.3 1.0 1.0 8.4 13.1 18.7
     New Democratic Party Seats: 2 - 5 1 - - - - - - - 1 9
Vote: 15.5 4.1 26.6 16.7 6.0 1.5 4.9 6.8 5.2 3.5 7.7 43.4 6.9
     Progressive Conservative Seats: - - - - - 1 1 - - - - - 2
Vote: 13.5 14.6 11.3 11.9 17.6 13.5 27.9 23.5 32.0 26.7 16.2 17.7 16.0
     Other Seats: - - - - - 1 - -         1
Vote: 0.3 0.4 1.0 0.1 0.8 1.1 1.3 2.1         0.8
Total seats 32 26 14 14 99 75 10 11 4 7 2 1 295

脚注

  1. ^ Pomfret, R.. “Voter Turnout at Federal Elections and Referendums”. Elections Canada. Elections Canada. 2014年1月11日閲覧。
  2. ^ Colby, Jordan (1997). Cognitive assimilation-contrast effects among partisan identifiers: An analysis of the 1993 Canadian national election (M.A. thesis) Wilfrid Laurier University
  3. ^ a b Linda Briskin; Mona Eliasson (25 October 1999). Women's Organizing and Public Policy in Canada and Sweden. McGill-Queen's Press - MQUP. p. 189. ISBN 978-0-7735-6789-4. https://books.google.com/books?id=jbRBNPfd6twC&pg=PA189 
  4. ^ Bliss 312.
  5. ^ が、カナダ人の80%はこれに反対していた。 Woolstencroft 32.
  6. ^ Bliss 308.
  7. ^ a b Brooks 194.
  8. ^ Peter C. Newman, The Secret Mulroney Tapes: Unguarded Confessions of a Prime Minister. Random House Canada, 2005, p. 363.
  9. ^ Canada. “Jean Pelletier, 73”. The Globe and Mail. オリジナルの2009年1月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090121120133/http://www.theglobeandmail.com/servlet/story/RTGAM.20090110.wpelltier0110/BNStory/National/home 2010年4月20日閲覧。 
  10. ^ Woolstencroft 15.
  11. ^ Clarkson 36.
  12. ^ "Fill in the Blanks." The Globe and Mail. September 25, 1993 pg. D6.
  13. ^ Ellis and Archer 67.
  14. ^ Ellis and Archer 69.
  15. ^ "Reform Candidate Quits." The Globe and Mail. October 14, 1993 pg. A6.
  16. ^ Woolstencroft 17.
  17. ^ a b c Gordon Donaldson, The Prime Ministers of Canada, (Toronto: Doubleday Canada Limited, 1997), p. 367.
  18. ^ Frizzell, Pammett, & Westell 2.
  19. ^ "2015 election campaign is eerily similar to the 1993 race". CBC News, Haydn Watters · Oct 08, 2015
  20. ^ 1993 Canadian Federal Election Results (Detail)”. Esm.ubc.ca. 2009年9月9日閲覧。
  21. ^ Warren Caragata in Ottawa with Carl Mollins in Washington (1995年3月6日). “Clinton visits Chrétien”. The Canadian Encyclopedia. Maclean's. 2009年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月25日閲覧。
  22. ^ Support numbers come from Pammett.

参考文献

  • Bliss, Michael. Right Honourable Men: The Descent of Canadian Politics from Macdonald to Mulroney. New York: HarperCollins, 1996.
  • Brooks, Stephen. Canadian Democracy: An Introduction. Second Edition. Toronto: Oxford University Press Canada, 1996
  • Colby, Jordan (1997). Cognitive assimilation-contrast effects among partisan identifiers: An analysis of the 1993 Canadian election (M.A. thesis). Wilfrid Laurier University.
  • Forsythe, R., M. Frank, V. Krishnamurthy and T.W. Ross. Markets as Predictors of Election Outcomes: Campaign Events and Judgement Bias in the 1993 UBC Election Stock Market in Canadian Public Policy vol. XXIV, no. 3, 1998.
  • The Canadian General Election of 1993. ed. Alan Frizzell, Jon H. Pammett, and Anthony Westell. Ottawa: Carleton University Press, 1994.
    • Clarkson, Stephen "Yesterday's Man and His Blue Grists: Backward into the Future."
    • Ellis, Faron and Keith Archer. "Reform: Electoral Breakthrough."
    • Pammett, Jon H. "Tracking the Votes."
    • Whitehorn, Alan. "The NDP's Quest for Survival."
    • Woolstencroft, Peter. "'Doing Politics Differently': The Conservative Party and the Campaign of 1993."
  • Chief Electoral Officer of Canada. Canada's Electoral System Ottawa: Elections Canada, 2001. ISBN 0-662-65352-1