不受不施義
不受不施義の不受とは法華経の信者以外からは施しを受けず、不施とは法華経以外の教えを広める僧侶には施しをしないということ。 日蓮の法華経に対する純粋な姿勢も、室町時代に入ると宗派が勢力を拡大していく過程の中で、他宗派との妥協や他宗派の信者からの施しを平気で受けるなど、次第に変質していった。このような状況の中で、室町六代家足利義教の頃「鍋かむりの日親」とあだ名された日親が不受不施を主張した。
日蓮宗は安土桃山時代に受不施派と日奥らの不受不施派に分裂し、江戸時代に弾圧を受ける中で、導師不導師の論争が生じのちに日蓮宗不受不施派となる日堯らの導師派と、のちに不受不施日蓮講門宗となる日講らの不導師派(講門派)に分裂、さらに幾つかの派に分派した。