デイトナ24時間レース
デイトナ24時間レース(デイトナにじゅうよじかんレース、24 Hours of Daytona)とは自動車の耐久レースの1つ。フロリダ州デイトナにあるデイトナ・インターナショナル・スピードウェイで開始以来毎年1月の最終週と2月の初頭に開催されている。ル・マン24時間レース、スパ・フランコルシャン24時間レースの2レースとあわせて「世界三大耐久レース」とも呼ばれる。
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開催地 | デイトナ・インターナショナル・スピードウェイ |
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スポンサー企業 | ロレックス |
初開催 | 1962 |
耐久時間 | 24時間 |
旧名 |
デイトナ・コンチネンタル (1962–1965) デイトナ24時間コンチネンタル (1966–1967) デイトナ24時間 (1968-1971) デイトナ6時間コンチネンタル (1972) デイトナ24時間 (1973, 1975–1977) ペプシ・チャレンジ24時間 (1978–1983) サンバンク24 (1984–1991) |
最多勝利 (ドライバー) |
ハーレイ・ヘイウッド (5) スコット・プルーエット (5) |
最多勝利 (チーム) | チップ・ガナッシ・レーシング (6) |
最多勝利 (マニファクチャー) | ポルシェ (18) |


1992年以降、ロレックスが大会冠スポンサーとなり「ロレックス24 (Rolex 24)」と称している。
概要
フランスで行われるル・マン24時間レースの形式を踏襲しており、3人(2008年から4人のエントリーも可能)のドライバーがチームとして1台の車を走らせ、24時間という決められた時間内に最も長い距離を走行したチームが優勝となる[1]。ル・マンと異なるのは、公道を一切使わず専用のサーキットのみを用いる点である。高速オーバルコースというコース上の特性に加え、途中に組み込まれたテクニカルセクションが存在する事から、ストレートの長いル・マン・サルト・サーキットよりもマシンやドライバーにかかる負担も大きいレースである。バンクではマシンに上下方向でのGがかかることからサスペンションのセッティングにも苦心するレースでもある。また海に近いので潮風が車体にダメージを与えることもある。
1962年に3時間走の「デイトナ・コンチネンタル (Daytona Continental)」として始まった。1964年には2000キロメートルの距離走となり、1966年に24時間走の「デイトナ24時間コンチネンタル (Daytona 24 Hour Continental)」となった[2]。発足当初から国際自動車連盟 のグランドツーリング製造者世界選手権シリーズに組み込まれており、後継シリーズでも同様であった。1973年から1998年までは国際モータースポーツ協会 (米国) のIMSAGTシリーズも兼ねていた。グループCの隆盛と迷走によりエントラントからは高い人気を誇り、100台以上がエントリーした年もあった。
しかしコストの上昇に歯止めをかけるため、2002年シーズン終盤(2004年より本格導入)にグランダムがIMSA-WSCクラスに変わってデイトナプロトタイプという独自規格を導入したため、アメリカン・ルマン・シリーズ(ALMS)のLMPのスポーツカーと全く互換性が無くなってしまった。そのためLMPが出場できるALMSのセブリング12時間の知名度が上昇するのと相対的にこのレースの世界的地位が下がったとも言われる。しかしグランダムもALMSに劣らぬ勢力を誇り、毎年40後半~70台ものエントラントを集めた。
2014年にALMSとグランダムが合併してUSCC(ユナイテッド・スポーツカー選手権)が誕生すると、欧州のLMP2・LM-GTE・GT3車両も参戦できる様になり、また2017年にDPi(デイトナプロトタイプ・インターナショナル)が導入されたことでメーカーも参入しやすくなったため、再び世界的地位を回復しつつある。FOXによれば2017年の平均視聴者数は前年比1.65倍もの伸びを見た[3]。
名称は数年ごとに変わっていたが、1991年以降はロレックスが冠スポンサーとして大会名に付いており、ロレックス24時間とも呼ばれる。レースで勝利したチームのドライバーには、同社の高級腕時計「コスモグラフ・デイトナ」の特別仕様が送られる。それ以前はペプシコ(1978年~1983年)やサンバンク(1984年~1990年)が冠スポンサーだった。
日本勢の活躍
下位クラスに限って言えば、デイトナで最も多くの成功を収めているのはマツダである。1979年~1986年に7年連続でマツダ・サバンナRX-7がGTUクラスで、2008年と2010年は3ローターNAを搭載したマツダ・RX-8がGTクラスで優勝するなど、計22回ものクラス優勝を収めている。ただし総合優勝は依然としてエンジン含めても成し遂げていない。
日本メーカー・日本人・日本チーム初の総合優勝は、1992年のニッサン・R91CP。長谷見昌弘、星野一義、鈴木利男が名を連ね、加えてレースラップ数更新(ただしレイアウト改修前の1982年の最長距離記録4443.334 kmの更新はならず)を果たした。この記録は2018年に破られるまで保持された。しかし当時のアメリカは、主に日本車に関する貿易摩擦の問題を抱えていたため、レース後の日本人ドライバートリオに対するインタビューでは、レースの内容よりも日米貿易不均衡についての意見を求めるアメリカ人ジャーナリストが数多く存在した。またロレックスが優勝者に時計を贈り始めたのはこの年からであり、つまり星野らはデイトナで勝ってロレックスをもらった初のドライバーにもなった。
その他1993年にトヨタ・イーグルMkⅢ、1994年にニッサン・300ZX、2006年~2008年にレクサス・1UZ-FEエンジン、2016年にホンダ・HR35TTエンジンがそれぞれ総合優勝を収めている。
なおSUPER GTのGT300クラスで2006・2007年にチームタイトルを獲得した紫電は、ライリー・テクノロジーズ製MK XIのモノコックをベースに製作した車両で、エンジンもデイトナ24時間用のレクサス・1UZ-FEを戸田レーシングがチューニングしたものである。
2017年にLMP2をベースとするDPi(デイトナ・プロトタイプ・インターナショナル)規定が導入されると、マツダがライリー&マルティマティック、日産がオンローク・オートモーティブ、2018年からアキュラ(ホンダ)がオレカとそれぞれジョイントして参戦している。2019年には元F1ドライバーの小林可夢偉がフェルナンド・アロンソとともにキャデラックで初参戦し、総合優勝を飾っている。