利用者:JuthaDDA/sandbox/琵琶湖
琵琶湖 | |
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所在地 |
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位置 | |
面積 | 669.26[1] km2 |
周囲長 | 235.20[1] km |
最大水深 | 103.58[1] m |
平均水深 | 41.2[1] m |
貯水量 | 27.5[1] km3 |
水面の標高 | 84.371 m |
成因 | 構造湖 |
淡水・汽水 | 淡水 |
湖沼型 | 中栄養湖 |
透明度 | 2.0~16.8[注 1][2] m |
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琵琶湖(びわこ)は、滋賀県にある日本最大の面積と貯水量を持つ湖[1][3]。一級水系「淀川水系」に属する一級河川で、河川法上の名称は「一級河川琵琶湖」。国土交通大臣から委託を受けて滋賀県知事が管理を担う[4][注 2]。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼で、ラムサール条約登録湿地でもある。
流入河川は多数あり、瀬田川(宇治川・淀川)・琵琶湖疏水をつうじて京都・大阪に水源を提供している。約400-600万年前に形成された古代湖であり、40-100万年前に現在の位置に移動してきた。古くから近畿地方の水運・水源としての役割を担い、文学や美術の題材となることも多い。多数の固有種を含む豊かな生態系をもっており、「びわ湖」「びわこ」と表記されることもあるほか、「Mother Lake」の愛称や「近畿の水瓶」の別称(滋賀県側は否定的)で呼ばれることもある。
地理
琵琶湖は滋賀県の面積の6分の1を占める。
最狭部に架かる琵琶湖大橋を挟んだ北側の主湖盆を北湖(太湖)[要出典]、南側の副湖盆を南湖と呼んでいる[5][6]。より面積が大きく深い北湖に、湖水の99%が北湖に蓄えられている[6]。一方、湖底地形から見ると、北湖盆 (North Basin)、中湖盆 (Central Basin)、南湖盆 (South Basin) に分けられ、北湖盆と中湖盆の境界は沖島北方付近で、鞍状の湖底地形が存在している[7][要ページ番号]。北湖は面積623km2、平均水深41m。南湖は面積58km2、平均水深4m[8]。湖底が最も深い水域は北湖の中央やや北寄り、竹生島と安曇川河口の間にあり[9][10]、これまでに観測された最大水深は104.1mである。琵琶湖の湖底は1000年間に1mというペースで沈降している[11]。
東京湾平均海面 (T.P.) 基準で+84.371 m、大阪湾最低潮位 (O.P.) 基準で+85.614 mの高さが琵琶湖基準水位 (B.S.L.=Biwako Surface Level ) と定められており[9]、「琵琶湖の水位」とはB.S.L.を±0 mとした水位のことをいう。B.S.L.は、1874年(明治7年)に鳥居川観測点において「これ以上水位が下がることはない」と判断された点として定められたものであるが、その後、瀬田川の改修によって流出量が多くなったことなどにより、水位がB.S.L.以下になることが多くなった。現在では、B.S.L.の値が概ね満水位となるように水位の調整が行われている。
河川
湖を囲む山地からの流れが源流で、400以上の流入河川があり、そのうち117本は一級河川である[12][13]。以下に主な流入河川を挙げる(丸括弧内の自治体名は主な流域)。
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安曇川三角州
流出河川は瀬田川のみであり[12]、宇治川、淀川と名前を変えて、大阪湾(瀬戸内海)へ至る。河川以外では琵琶湖疏水があり、琵琶湖からの流出水路は2つしかない。琵琶湖疏水や淀川水系を通じて京阪神に水道水を供給している(「#水利用」も参照)。瀬田川は水源としての利用に留まらず古くから水上交通路としても利用されており、明治時代に鉄道が開通するまでは、京や大坂から東国・北陸への物資輸送の中継地として利用されていた。
内湖
昭和初期ごろまで、琵琶湖の周囲には大小40あまり、総面積29km2(1940年時点)の内湖があった[14]。これらの内湖は、繁茂するヨシなどにより河川より流入する水を浄化する機能や、魚類の産卵・生育の場、あるいは堆積した泥による肥料の提供といった役割を担ってきた[15]。しかし、琵琶湖の洪水防御のため、1943年から始まった河水統制事業により[16][出典無効]、事業が終了する1952年までに平均水位が数十cm低下したことや、これに前後して内湖の大半が干拓されたこともあって琵琶湖の自然は大きく変化し、固有の風致や生態系が大きく損なわれた[要出典](「入江干拓」および「大中湖」も参照)。20113年現在残されているのは、近江八幡市の西の湖をはじめとする総面積4.25km2の23内湖のみである[14]。
2003年現在、滋賀県は一部の内湖を復元することを計画しており[17]、生態系の回復や水質浄化が各方面から期待されている[18]。
湖面の島
竹生島(面積0.14km2)、沖島(面積1.5km2)、多景島、沖の白石、矢橋帰帆島がある。矢橋帰帆島は、下水処理場のために埋め立てて造った人工島である。
主な港
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大津港
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長浜港
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今津港
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おごと温泉港
沿岸自治体
琵琶湖に接する自治体は次のとおり(北から時計回り)。右記は、市町村ごとの琵琶湖の面積(単位:km2)[19]。琵琶湖を取り巻く各自治体は、大きく湖南、湖東、湖北、湖西に分けられる(区分については「滋賀県#地域区分」を参照)。
境界の設定
琵琶湖の市町境界については、かつて、どの市町にも組み入れられていなかった。2007年5月8日、沿岸の各自治体による共同会議において境界の設定に合意し、各自治体の議会の同意を得た上で総務省に届け出を行い、9月28日付で『官報』に確定が公示された
。
境界確定の目的は主に地方交付税交付金の増額である。また、増額された交付金の半分は琵琶湖の保全に使われることが発表されている[2]。
歴史
自然史
琵琶湖は世界の湖の中でも、バイカル湖やタンガニーカ湖に次いで成立が古い古代湖であるとも[3][4]、世界で13番目に古い湖であるとも推定されている[5]。
琵琶湖が形成された時期は、約400万年~600万年前で、現在の三重県伊賀市平田に地殻変動によってできた構造湖であった(大山田湖)。湖は次第に北へ移動し、現在から約100 - 40万年前[6]、比良山系によって止められる形で現在の琵琶湖の位置に至ったという。大山田湖以前、現在の琵琶湖の位置には山(古琵琶湖山脈)があり、鈴鹿山脈は未だ隆起せず、今日の琵琶湖東南部の河川は伊勢湾へ流れていた。それを裏付けるように、鈴鹿山脈の主要な地質は礫岩である。また、琵琶湖に流入する最大の川で、東南に位置する野洲川は、当時西方ではなく、東方へ流れていたという。
西岸には、琵琶湖西岸断層帯が東北-南西方向に延び[7][要ページ番号]、断層帯北部の最新活動時期は約2800年前から約2400年前頃とされ、活動時には断層の西側が東側に対して相対的に2mから5m程度隆起した可能性がある。断層帯南部の最新活動時期は1185年(元暦2年)の文治地震であった可能性があり、活動時には断層の西側が東側に対して相対的に6mから8m程度隆起した可能性があるとされている[8]。地震に伴う地すべりなどで水没した琵琶湖湖底遺跡が100以上存在する。
人間史
縄文時代や弥生時代から交通路としても利用され、丸木舟なども出土している。古代には、都から近い淡水の海として近淡海(ちかつあふみ、単に淡海とも。『万葉集』では「淡海乃海」(あふみのうみ)と記載)と呼ばれた。近淡海に対し、都から遠い淡水の海として浜名湖が遠淡海(とほつあふみ)と呼ばれ、それぞれが「近江国(おうみのくに、現在の滋賀県)」と遠江国(とおとうみのくに、現在の静岡県西部)の語源になった。別名の鳰海(におのうみ)は近江国の歌枕で、鳰はカイツブリを表す。
天智天皇により、一時は琵琶湖西岸に大津宮が置かれた。測量技術が発達し、湖の形が楽器の琵琶に似ていることがわかった江戸時代中期以降、琵琶湖という名称が定着した。
琵琶湖は、若狭湾沿岸からの年貢の輸送路としても利用されており、湖上で賊に襲撃された記録なども残されている。湖西には、大津から若狭国へ向かう西近江路や若狭街道、京都から琵琶湖などを経て今庄から北陸道につながる[9]北国街道などの各種交通路が整備された。湖上交通による荷物の輸送も行われており、大津や堅田などは港湾都市として発達した。
「急がば回れ」ということわざの語源である現在の草津と大津の間を結ぶ「矢橋の渡し」という渡し舟があったものの、運休が多かったらしい。「もののふの矢橋の船は速かれど急がば廻れ瀬田の長橋」(急ぎなら瀬田の唐橋まで遠回りするほうが確実)という、室町時代後期の連歌師、柴屋軒宗長の歌が出典。
安土桃山時代には、豊臣秀吉は大津の船持に大津百艘船を整備し、観音寺の船奉行の支配下に置かれ、特権を与えられて保護された。近世になると、大津は松原や米原など他の港と対立し、江戸時代には松原・米原・長浜が「彦根三湊」として井伊氏の保護を受けた。文化2年(1805年)8月から10月にかけて伊能忠敬が沿岸を測量している[10]。
江戸時代には湖岸に約2000の村があり、彦根藩や膳所藩のほか旗本知行地など領主は約50に分かれていた[要出典]。唯一の流出河川である瀬田川に土砂が溜まると、雨で湖岸や流入河川の水位が上がり、水害に悩まされた。江戸時代をつうじ、幕府の普請が2回と自普請が3回、計5回の浚渫工事がおこなわれており、とくに1699年(元禄12年)の「河村瑞賢の大普請」と、高島郡深溝村の庄屋藤原家による老中松平定信への駕籠訴も含む[要出典]尽力の末に実現した1831年(天保二年)の普請が大規模なものであった。またこの間、流量増加による洪水を危惧する下流住民の反対などによりなかなか浚渫が実現しなかった時期には、あさり取りなどと称した地元住民による小規模な浚渫などもおこなわれている[11][12]。
1896年(明治29年)の洪水では9月3日から12日の豪雨によって琵琶湖の水位は平時よりも3.76メートル上昇し、彦根市など琵琶湖周辺のほとんどの地域が200日以上にわたって浸水。県の記録によれば床上・床下浸水は5万8千棟を超えた[13][12]。下流への流水機能の維持、治水を目的に改良工事が施され1905年(明治38年)には南郷洗堰が完成。1961年(昭和36年)には隣接地に瀬田川洗堰が築造され、水害は減っていった[12][13]。
琵琶湖が淀川となって大阪湾に流れる位置から、日本海の若狭湾で陸揚げされた物資が琵琶湖上の水運を介して京都や大坂に輸送された。こうした輸送は明治以降もしばらく隆盛であったが、陸上交通の発達によって次第に斜陽となった。一方、高度経済成長期には琵琶湖から運河を掘削して日本海と太平洋・瀬戸内海を結ぶ運河構想が持ち上がった。当初は、琵琶湖から日本海と瀬戸内海を結ぶ「阪敦運河」構想を福井県知事の北栄造が調整し始めた。特に三重県四日市市長の平田佐矩が熱心だったこともあり、福井県・滋賀県・岐阜県・愛知県・三重県および名古屋市・敦賀市・四日市市の間で、総工費2500億円-3500億円をかけ若狭湾-琵琶湖-伊勢湾を結ぶ中部横断運河の建設期成同盟が結成され、自民党副総裁の大野伴睦が会長に就任した。しかし、大野や平田が相次いで死去したことや、北および敦賀市長の畑守が相次いで落選するなど推進の中心人物を失い、1970年には中部圏開発整備本部が調査の打ち切りを発表した[14]。
湖水
水面に現れる周期30分以上の振動(静振)として主に240.9分、71.9分、65.0分、39.8分、32.3分の5種類がある[15]。湖の容量を流入量で割って求めた、全ての水が入れ替わるまでの時間(滞留時間)は5年程度[16]。
琵琶湖には、酸素を多く含む表面近くの水が湖底近くの水と入れ替わる「全層循環」という現象がある。生物に酸素を供給する働きがあることから「琵琶湖の深呼吸」とも呼ばれる。2020年4月、滋賀県は2年連続で全層循環が確認できなかったと発表した[17](「#環境保全」も参照)。
透明度
平均透明度は、6mとされている。年により変化があり、水深の浅い南湖では2m程度、水深の深い北湖では4mから6m程度であるが[18]、気象条件によっては16mを超える透明度を観測することもある[19]。
環流
環流と呼ばれる湖全体を循環する大規模な水流(海洋での海流に相当)は、1926年に発見され、1960年代から1995年頃にかけて精力的な研究が行われた[20][21][22][23][24]。環流は、2つから3つ程度あり便宜的に北から第1環流(反時計回り)、第2環流(時計回り)、第3環流(反時計回り)[25]と呼ばれる。駆動源となるものは海洋における海流と同様にコリオリの力、風、湖心部と沿岸部との温度差[26]気圧などと複雑な要素が考えられ[27]、季節や気象条件により複雑に変動している。なお、環流は常に3つあるとは限らない[25]。
水利用
滋賀での利用
滋賀県の農村地域においては、昭和中頃まで琵琶湖の水を農業や生活に利用することはほとんどなく、もっぱら琵琶湖への流入河川や井戸の水を利用してきた。これは、田畑よりも低い位置にある琵琶湖の水は使いにくかったためである。しかし、これらの河川の水量は琵琶湖に比べると少なく、甲良町などでは農業用水の確保に問題を抱える地域も多かった[28]。その後昭和30年代ごろに上水道の普及が始まり、以降湖水の利用量は増えていくことになる[29]。滋賀県では1980年ごろから2000年ごろにかけて、人口の増加などの要因により湖水の利用が大幅に増え、2019年時点における上水道の主要な水源は琵琶湖の水となっている[30][31]。また、農業水利においては1970年代以降、大型ポンプを備えた施設で湖から水を汲み上げ、パイプラインで農地に配水する逆水灌漑による湖水の利用が増加した[30]。牧野 (2001, pp. 205–206) は、このような水利用は利用者から見えにくく、生活と水循環の関係に思いを馳せることが難しくなっていると指摘し、八幡堀の保存活動などは、たんなる資源としての水利用に留まらない水問題への地域固有の解決策の方向を示しているのではないかと述べている。
大阪・京都での利用
大阪で淀川を水源とする本格給水が始まったのは1895年(明治28年)、琵琶湖第二疏水を完成させ京都でも琵琶湖の湖水を生活用水の源とするようになったのは1912年(明治45年)のことである[32]。琵琶湖疏水の建設は東京遷都によって衰退の危機にあった京都を再興することを目的とし、まずは疏水の水車動力によって工業を近代化し、さらに水運を確保する計画で京都府知事の北垣国道が先導した[33][34]。第一疏水は第二疏水より古く1890年(明治23年)に完成している[35]。当時、京都では鴨川に源流を持つ京都盆地の水系を賀茂別雷神社(上賀茂神社)が支配し、御所の水源も「御所御用水流通水掛リ之儀者賀茂別雷神社 旧一社ニテ支配被致候」とされていた[36]。構造的に夏の渇水期になると上流小山郷の田畑の灌漑が優先されることになり、御所の水は枯渇する様であった。疏水によってに御所用水路の新たな付け替えもあり、御所の庭園と防火用桝への安定供給が図られるようになった[36]。
戦後の高度経済成長期に際しては著しい産業発展により琵琶湖下流の淀川では安定した取水が必要になった[37][38]。琵琶湖下流域における水資源の需要の急速な拡大に対応するために、1972年(昭和47年)に琵琶湖総合開発特別措置法が制定。琵琶湖総合開発事業を策定した[38]。事業の策定にあたって上流への影響は避けられないことから、不利益を減らすために原案は滋賀県知事が作成し内閣総理大臣がこれを決定する形がとられた[39]。同事業によって水位低下補償事業が完了し、水位の管理について国(瀬田川洗堰管理者)と滋賀県、下流府県が初めて合意した[40]。規則では、洪水時はあらかじめ水位をマイナス20センチメートルあるいはマイナス30センチメートルに下げて対処、非洪水時は30センチメートルを上限になるべく水位を高く保ち渇水に備えることを基本とし[40]、下流域の渇水時には琵琶湖水位マイナス1.5メートルまで湖水を利用できることになっている[37]。また、増大する水の需要に1991年(平成3年)度までは不安定な「暫定豊水水利権」(河川の流量が一定の流量を超える場合に限って取水できる水利権)で対応してきたが、同年度末には水資源開発事業が概成し都市用水として最大毎秒40立方メートルの新規水利権が与えられた[41][42]。水利権の拡大によって、例えば1994年(平成6年)夏の全国的な渇水によって阪神地区が大きな影響を受けることはなかった[41]。下流域の水利権を拡大せざるを得なかった背景には、京阪地域が渇水時であっても比較的豊富な水量を保つ水源として淀川、さらにその水源である琵琶湖への依存を強めたことがある[37]。
琵琶湖総合開発事業は京阪地区の拡大する水需要に応える水資源を開発することが主な目的であったが、琵琶湖を文化面を含み多方面で活用し親しんでいる滋賀県民の生活に直接的な影響が及ぶことは避けられず[注 3]、上流と下流の利権をいかに調整するかが事業の肝となった[45]。上流の不利益を解消するために、下流の利水公共団体は琵琶湖とその周辺の上流域の福祉増進に利するために下流負担金602億円を負担することになった[39][42][46]。
また、琵琶湖疏水を介して毎秒24立方メートル(2017年時点)[47]を取水し、水源の99パーセント(2019年ごろ)[48]をこれに頼る京都市は、1914年(大正3年)以来京都市民の感謝の意をとして滋賀県に毎年感謝金(琵琶湖疏水感謝金)を支払っている[49][50]。契約は10年ごとに更新され、2015年(平成27年)の更新では三日月知事と水田雅博京都市公営企業管理者上下水道局長とで年間2億3千万円の契約を締結した(1千万円増額)[50][51]。財源は京都市民の水道料金で、滋賀県は感謝金を水源保全に充てている[51][52]。
琵琶湖の水利用を巡っては、下流の京都・大阪への対抗心を表すために「琵琶湖の水止めたろか」というジョークがしばしば用いられる[53][54]。野田 (2001, p. 232) は滋賀県・京都府・大阪府の住民を対象にした1995年のアンケート調査を参照し、滋賀県以外の住民は渇水時などには水源として琵琶湖を意識するが、普段はその存在を別段気に留めていないのだと結論づけている。
生物相
琵琶湖は生物多様性に富み、1,000種類を超える動・植物が生息している。その中には琵琶湖(およびその水系)にのみ生息する固有種も数多く確認されている。魚類57種、貝類49種の生息が確認されており、長い期間自立したため琵琶湖固有種も多い(魚類はビワコオオナマズ、ニゴロブナ、ホンモロコ、ビワヒガイなど16種、貝類は29種)[55]。
その一方で、オオクチバスやブルーギルをはじめとする外来種の侵入や1992年の琵琶湖水位操作規則の改訂、内湖[注 4]の消失、水田とのネットワークの分断等によって固有の生物相が大きく攪乱を受け、漁獲高が激減した種も多い。それらへの対抗策も講じられ、外来種駆除や生態系に配慮した水位操作、内湖の再生など様々な取り組みが行われているが、まだ十分な効果をあげられていない。また、琵琶湖産の稚アユは日本各地へ放流され、その為に琵琶湖固有種だけでなく稚アユと共に混獲され放流されたハスなどの種が各地で繁殖するという、移入種を生み出す元ともなっている。
魚貝類
- 固有種(魚)
- ナマズ科: ビワコオオナマズ、イワトコナマズ
- コイ科: ホンモロコ、ビワヒガイ、アブラヒガイ、ハス、ワタカ
- その他: イサザ(ハゼ科)、ウツセミカジカ(カジカ科)
- 固有亜種(魚)
- ビワマス(サケ科)、ニゴロブナ(コイ科)
- 外来種(魚)
- オオクチバス、コクチバス、ブルーギル、カムルチー(ライギョ)、レンギョ
無脊椎動物
- 節足動物:ビワミジンコ、アナンデールヨコエビ、ナリタヨコエビ、ビワカマカ、カワムラナベブタムシ
- 軟体動物:ビワコミズシタダミ(ミズシタダミ科)、セタシジミ(シジミ科)、ビワカワニナ類(カワニナ科ビワカワニナ属)、オウミガイ(モノアラガイ科)、カドヒラマキガイ(ヒラマキガイ科)、ヒロクチヒラマキガイ(ヒラマキガイ科)、オトコタテボシガイ、イケチョウガイ、マルドブガイ
- 固有亜種(軟体動物):タテボシガイ(イシガイ科)
- 扁形動物:ビワオオウズムシ
水草
その他
環境保全
昭和40年代、高度経済成長に伴って湖水の水質汚濁や富栄養化が進んだ[56]。原因の1つに合成洗剤、リン酸塩が挙げられ[57]、主婦層や女性団体が「石鹸運動」を起こして対策・改善を求めた[58]。このため滋賀県は独自に工業排水と家庭用排水を規制する、いわゆる琵琶湖条例(滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例)を制定するに至った[59][60][61]。このほか琵琶湖に関する滋賀県独自の条例としては、「滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例」や「滋賀県琵琶湖のヨシ群落の保全に関する条例」、景観を守るための「ふるさと滋賀の風景を守り育てる条例」などがある。
1990年から1991年にかけ琵琶湖総合開発事業の一環として水質測定施設である南湖湖心局(大津市唐崎沖1.5km)と北湖湖心局(大津市南比良沖4km及び高島市今津沖3.5km)の3基が設置され、pH値、溶存酸素量、水温、流速などのデータが自動送信されていた[62]。しかし、内部の測定機器が老朽化し、必要なデータ量も確保できたとして2006年度までに稼働が停止された。その後も維持費がかかり、船舶の衝突事故のおそれもあることから2018年度に撤去されることとなった[62]。
琵琶湖を始めとする温帯湖沼では、冬季の湖面冷却によって比重が重くなり、湖水の鉛直混合が起こり、湖中下層へ酸素が供給される(全層循環)。これは「琵琶湖の深呼吸」とも呼ばれる[17]。近年の琵琶湖では、暖冬によって全層循環が不完全となり、酸素濃度の低下で生物が大量死滅する異常事態が発生している。地球温暖化が琵琶湖固有種の生態系に影響を及ぼす事例として、研究が進められている[63]。2019年4月9日、観測以来初めて全層循環が完了しなかったと判断された[64]。
また、琵琶湖の北方に位置する福井県若狭湾岸には、敦賀原発・美浜原発など多数の原発が立地する。琵琶湖との最短距離は20キロメートル程度であるため、原発事故で放射能汚染されれば水の供給に影響する可能性があると指摘されている[65]。
自然現象
津波
滋賀県によると、西岸湖底断層系南部では最大でマグニチュード7.6の地震が発生し、その場合、4.9メートルの津波が沖島に到達。また、同断層系北部では最大でマグニチュード7.2の地震が発生し、その場合、長浜市沿岸に3メートルの津波が到達すると予測している。ただし、「西岸湖底断層系南部は活断層だが、300年以内に地震が起こる確率はほぼ0%。他の4断層はいずれも活断層ではなく、津波を伴う地震が発生する恐れは極めて小さい」としている[66]。また、1185年7月9日に、実際に津波が発生した可能性がある。塩津港遺跡で発掘調査が行われた際、湖底で神社が発見され、その神社から津波と見られる痕跡が見つかった(柱が全て琵琶湖の岸に傾いていた)。また、『山槐記』には「琵琶湖の水は北に流れた」、鴨長明は「山は崩れて川を埋め、海(琵琶湖)は傾いて陸地を浸せり」と書いている[67][要文献特定詳細情報]。
蜃気楼
文化
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景勝・観光地として
近江八景は、おそらく江戸時代初期に近衛信尹が瀟湘八景に倣って選定したものと推定されている[71]。その後、1950年の琵琶湖国定公園の指定を機に、滋賀県民からの公募によって「琵琶湖八景」が選ばれた[72]。
芸術の題材として
琵琶湖に関連する楽曲としては、琵琶湖周航の歌(高島市には琵琶湖周航の歌資料館がある)、琵琶湖哀歌などがある。また、琵琶湖を舞台とした映画としては、幻の湖[注 5]、偉大なる、しゅららぼん[注 6]、マザーレイクなどが挙げられる。
漁業と食文化
前述のとおり、琵琶湖には多様な魚介類が生息しており、それらは1万年以上前から利用されてきた[73]。魚介類の多様さに加え、漁場の環境も岩場・砂浜・内湖・沖合と多様であり、また淡水であるため魚が湖と河川を行き来することも要因とし、漁法もまた多様かつ独特のものとなっている[74][75][73]。その中でもとくに「待ち(型)の漁法」の発達と新規漁具の制限が特徴として挙げられる[73][74]。これは、積極的・新進的な漁法を用いることによる資源の枯渇を避けるための、閉鎖水域である琵琶湖ならではの知恵である[75][73]。
イベント
- びわ湖開き
- 鳥人間コンテスト選手権大会(ytv読売テレビの主催で彦根市にて開催)
- 水上歩行コンテスト(NWWA日本ウォーターウォーク協会の主催で大津市にて開催)
教育・研究における利用
表記や別称
- びわこ・びわ湖
- 「琵」「琶」が当用漢字・常用漢字外であることから、滋賀県内ではひらがな書きにした「びわこ」「びわ湖」という表記も数多く見られる。かつては「びわ町」という自治体も存在した。
- 「びわこ」の例
-
- 「びわ湖」の例
- Mother Lake
- 滋賀県庁は琵琶湖を別称としてMother Lakeと呼んでおり[注 7]、「Mother Lake 母なる湖、琵琶湖。預かっているのは滋賀県です。」のキャッチコピーを封筒などに記載している。
- 近畿の水がめ[77]
- 要追記
関連する事件・事故
脚注
注釈
- ^ 天候によって大きく変動する。また、季節や水域ごとにも異なる。概して南湖で低く、北湖で高い透明度。最高値は2007年3月に観測。
- ^ 例えば、琵琶湖岸に構築物を無許可で設置すると、河川法に基づいて滋賀県から撤去命令が出される。例:「行政代執行の実施結果について」
- ^ 滋賀県にとって琵琶湖はただの水資源、「水瓶」としての役割だけではなく、水産業をはじめとする産業や食文化、崇拝対象としての宗教文化的な側面などで県民の生活に密接に関わっている[43][44]。
- ^ 琵琶湖周辺にあり、水路によって琵琶湖と接続している池沼群のこと。
- ^ 琵琶湖周辺で1年2月に及ぶ長期ロケが行なわれた日本映画。琵琶湖大橋でクライマックスを迎える。
- ^ 万城目学の小説及び2014年春公開の映画。琵琶湖の神から力を授けられた湖の民の話。
- ^ 滋賀県庁ホームページ左上部に琵琶湖の地形ロゴとして掲示されている[76]。
出典
- ^ “琵琶湖「分割」に14自治体合意 初めて帰属決まる”. asahi.com (朝日新聞社). (2007年5月8日). オリジナルの2007年5月11日時点におけるアーカイブ。
- ^ 琵琶湖における市町境界の確定について(PDF) - 滋賀県
- ^ “琵琶湖の概要”. 滋賀県琵琶湖環境科学研究センター. 2014年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月17日閲覧。
- ^ “琵琶湖の概要”. 滋賀県琵琶湖環境科学研究センター. 2014年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月17日閲覧。
- ^ “Ancient lakes of the world” (website). Christopher M. Free. 2020年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月20日閲覧。
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- 『近江水の宝』滋賀県教育委員会・滋賀県埋蔵部文化センター、2019年10月 。
関連項目
湖沼に関する記事
琵琶湖および周辺の地勢に関する記事
交通
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)琵琶湖線(琵琶湖の東岸を通る鉄道路線の愛称。正式には東海道本線)
- JR湖西線(琵琶湖の西岸を通る鉄道路線)
- JR北陸本線(琵琶湖の東岸を通る鉄道路線)
- 京阪石山坂本線(琵琶湖の西岸を通る鉄道路線)
- 琵琶湖汽船(琵琶湖で遊覧船事業などを行っている)
その他
外部リンク
- 琵琶湖 - 滋賀県公式サイト
- 琵琶湖河川事務所 - 国土交通省 近畿地方整備局
- 独立行政法人水資源機構
- 琵琶湖開発総合管理所 - 独立行政法人 水資源機構
- 国立環境研究所琵琶湖分室
- 滋賀県琵琶湖環境科学研究センター
- 滋賀県立琵琶湖博物館
- 琵琶湖の保全及び再生に関する法律 - 環境省