盆石
盆石(ぼんせき)とは、白い砂、石や小さな岩を用いて漆塗の「盆」の上に小さな庭園を形成する伝統的な日本の芸術。


概要
盆石に用いられる盆は楕円形または長方形で、大きさは約30平方センチメートルから最大200×150センチメートル(最も一般的なものは60×35)。通常、楕円形の盆にはふちがあるが、長方形の盆は平坦である。
盆石の制作(「盆石を打つ」という)には、羽や小さなほうきとふるい、さじ、箸などの繊細な道具が使われる。
盆石はしばしば山や海、または庭の風景を表現する。小さな石や岩は、波で砕ける山や海岸線または岩の多い島を表現するために使われ、銅製の小さな家、寺院、橋などがしばしば添えられる。
盆石は通常、一時的なものであるが、時には加工して保存することも可能である。この場合、 盆画や砂画などの技法も用いられる。
歴史[要出典]
その起源ははっきりしないが、飛鳥時代、天武天皇のころに自然界の風景や物を表現する同様の技術があったといい、また京都の庭園において、設計の際に盆石を庭のスケールモデルとして用いることがあったとも考えられている。
虎関師錬(1278-1346)による随筆『盆石賦』では、実物大から箱庭盆石まで、設計思想の基礎となる美的原則が強調される。これは分野開発に関しても非常に重要で、日本庭園、盆石、盆栽やその関連技術が記述されている。『盆石賦』には明らかに中国宋時代の文学から影響が見られるが、虎関師錬の一見シンプルでわかりやすい語りは、日本における大きな文化的変革となるものへの早い段階での見識をもたらすことになる。[1]
室町時代には、東山文化を築いた将軍足利義政(1443-1490)の影響下で、盆石は貴族の間でも人気となる。
また千利休も盆石をおさめ、弟子のひとりである細川三斎は、盆石を専門にした教授所を設立している。
江戸時代には、その人気が高まるにつれて、次々と多くの教授所が誕生した。将軍から女性の間にまで人気が広まる盛況をみせたが、明治維新後は、急速に訪れた西洋のモダニズムや文化面の成長とその定着と共に衰退していった。
近年では、盆石はその伝統的な優雅さを維持しながら、新しい細川流派グループの出現と共に人気が復活し親しまれている。[1]
脚注
- ^ そのひとつが細川学園の盆石東京九曜会である。盆石東京九曜会は細川学院元理事の生徒の集まりである。 盆石東京九曜会によると、盆石の目的は景自体の完成でもなく、その保存でもない。東京九曜会会長は次のように述べている。「盆石の重要性は、作品の結果ではなく、盆石のシーンの創造から生まれる平和と満足感にあります。」
関連項目
その他のプロジェクト
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