利用者:Kejerochi/sandbox
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カルカッタ爆撃は、第二次世界大戦中の1942年12月から1944年12月にかけて、大日本帝国陸海軍航空部隊がイギリス領インド帝国のカルカッタ(現インド・コルカタ)に対し複数回行った爆撃。一連の爆撃で最大のものは1943年12月28日に行われた、キダーポール・ドック(Kidderpore Dockyard)および付近の軍事倉庫への爆撃であり、335~500人のカルカッタ市民が巻き添えで死亡した。[1][2][3][4]
概要
第1期
太平洋戦争の勃発後、1941年12月に始まるビルマ(現在のミャンマー)攻略作戦の成功により、日本軍は1942年5月までにビルマの大半を制圧し、インド及び雲南地方に撤退した連合国軍と対峙することとなったが、インドに撤退した連合国軍は部隊の再編・兵力の増強に努め、1942年末には反抗の気配を高めつつあった。[5]
そこで日本軍航空部隊は、チタゴン(現チッタゴン)への5度の航空攻撃の後、インドの要衝カルカッタへ夜間攻撃を加えることを企図した。[6]
1942年12月20日、カルカッタ第一次夜間進攻が開始される。陸軍第14戦隊と陸軍飛行第98戦隊はカルカッタに進攻、石油タンクを航空攻撃し、12月21日にレグ飛行場に帰還した。[7]
12月22日、第二次夜間進攻が開始、同連隊は敵戦闘機の激しい攻撃及び対空砲火を冒して、カルカッタの埠頭地区を爆撃炎上させた。[8]
12月24日、第三次夜間進攻が開始、同連隊は埠頭地区と油倉庫を攻撃した後帰還した。[9]
12月28日、第四次夜間進攻が開始、飛行第98戦隊はカルカッタ埠頭東側の軍事施設を攻撃し、内二ヶ所を大火災させた。[10]
翌1943年1月15日、飛行第98戦隊は再びカルカッタを夜間攻撃したが、全機未帰還となる。このことは現地航空部隊に大きな衝撃を与え、1月19日のカルカッタ夜間進攻も損害の後に終わった。[11]
その後、陸軍航空部隊は成果の割に損害が多いことを鑑みて、カルカッタ夜間進攻を中止した。[12]
第二期
1943年後半、連合国軍の対ビルマ反抗の機運は濃厚となりつつあった。
南方軍は第三航空軍の意見を受け入れ、カルカッタに集中しつつある連合国軍の戦力を撃砕して連子国の反抗企図を挫折させることを目的に第三航空軍にカルカッタ再爆撃実施を命じた。
- ^ https://indianvagabond.com/2017/09/04/japanese-air-raids-on-kolkata-during-wwii/
- ^ https://nzhistory.govt.nz/war/second-world-war/war-in-the-pacific/timeline
- ^ https://www.histclo.com/essay/war/ww2/cou/india/air/w2i-bomb.html
- ^ https://web.archive.org/web/20120204062423/http://www.bbc.co.uk/ww2peopleswar/stories/50/a5756150.shtml
- ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 ビルマ・蘭印方面-第三航空軍の作戦』 朝雲新聞社:東京、1972年、p159
- ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 ビルマ・蘭印方面-第三航空軍の作戦』 朝雲新聞社:東京、1972年、p169
- ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 ビルマ・蘭印方面-第三航空軍の作戦』 朝雲新聞社:東京、1972年、p173
- ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 ビルマ・蘭印方面-第三航空軍の作戦』 朝雲新聞社:東京、1972年、p175
- ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 ビルマ・蘭印方面-第三航空軍の作戦』 朝雲新聞社:東京、1972年、p177
- ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 ビルマ・蘭印方面-第三航空軍の作戦』 朝雲新聞社:東京、1972年、p181
- ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 ビルマ・蘭印方面-第三航空軍の作戦』 朝雲新聞社:東京、1972年、p193、p195
- ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 ビルマ・蘭印方面-第三航空軍の作戦』 朝雲新聞社:東京、1972年、p198、p202