JR西日本207系電車
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JR西日本207系電車(JRにしにほん207けいでんしゃ)は、1991年(平成3年)に登場した西日本旅客鉄道(JR西日本)の直流通勤形電車[1]である。
JR西日本207系電車 (共通事項) | |
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![]() 207系0番台体質改善後(2021年2月) | |
基本情報 | |
運用者 | 西日本旅客鉄道 |
製造所 |
川崎重工業車両カンパニー 近畿車輛 日立製作所笠戸事業所[* 1] 西日本旅客鉄道後藤総合車両所[* 1] 西日本旅客鉄道鷹取工場[* 2] |
製造年 | 1991年 - 2003年 |
製造数 | 484両 |
運用開始 | 1991年4月30日 |
主要諸元 | |
編成 | 3・4・7両 |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 |
直流1,500V (架空電車線方式) |
最高運転速度 | 120 km/h |
起動加速度 | 2.7 km/h/s |
減速度(常用) | 3.5 km/h/s |
減速度(非常) | 4.2 km/h/s |
編成定員 | 1,115名 |
車両定員 |
座席50・立席100(先頭車) 座席58・立席105(中間車) |
編成重量 | 213.0 t |
全長 | 20,000 mm |
全幅 | 2,950 mm |
全高 | 3,700 mm |
車体 | ステンレス |
台車 | ボルスタレス台車(ヨーダンパ付) |
主電動機 | かご形三相誘導電動機 |
駆動方式 | WNドライブ |
歯車比 | 1:7.07 |
制御方式 | VVVFインバータ制御 |
制動装置 |
電気指令式ブレーキ 耐雪ブレーキ 全電気ブレーキ(2000番台・体質改善車) |
保安装置 |
ATS-SW,ATS-P 列車防護無線装置 EB・TE装置 車両異常挙動検知システム(2000番台・体質改善車) |
備考 |
脚注 |
概要
片町線と福知山線を連絡する地下線の片福連絡線(現・JR東西線)に対応する通勤形車両として開発され、JR東西線に乗り入れる各線での共通運用および老朽化した103系の置き換えのため増備された。
運行路線の大半が私鉄と並行していることから、近郊形の221系を基本として内外装のグレードアップを図った。製造当初から半自動ドア機能や耐雪ブレーキといった寒冷地対策が施されており、JR西日本アーバンネットワークの直流電化区域全域での使用が可能となっている。
製造は川崎重工業・近畿車輛・日立製作所が担当し、一部は自社の後藤総合車両所・鷹取工場で製造され、12年にわたって484両が増備された。
「207系」という車両は日本国有鉄道(国鉄)→東日本旅客鉄道(JR東日本)にも900番台が運用されていたが、設計思想が大きく異なっており、本グループとは無関係である。また、本グループの車両番号は1から付番されている(900番台が存在しない)ため、JR東日本車との車両番号の重複は発生していない。
車両概説
本節では原則登場当時の仕様を記述する。
車体
20 m 級片側4扉車体を有し、オールステンレス構体で構成されている。前頭部の前面は普通鋼製、側面および屋根面は FRP 製となっている。車体幅は在来の通勤形電車が車体幅 2,800 mm だったのに対し、本系列は車内空間にゆとりを持たせるために近郊形電車と同様の2,950 mm のワイドボディが国鉄・JRで初めて採用された点が特徴である。
国鉄・JRの通勤型車両では初めて前面に新造時からスカートが装備された。スカートは2004年までに全車強化型に換装されている。
前面は中央に非常用貫通扉が設けられた半円筒形状で、中央が膨らんでおり、横から見ると扇型に見える形状で、事故時の衝撃吸収の役割を持たせて厚めに造られている。前照灯と尾灯は四角型のものが横に合計4灯並べられている。
塗装は側面窓下に、JR西日本のコーポレートカラーと琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線のラインカラーを表す濃淡ブルーと、境目に白色が入った帯を採用した。濃いブルーの帯は前面窓下にも入れられている。
妻面には、妻壁外面に設置された消火器を車内に取り込む経路として、また非常時の換気用の開口面積を確保する目的で大型の一枚下降窓が備わっている。このため、車両間同士を繋ぐ客用貫通路が中央からJR神戸線走行時で北寄りにオフセット設置されており、左右非対称になっている。また、妻面壁の上部に通気孔が設けられている。
転落防止幌は2002年(平成14年)の2000番台の1次製造分から装備されており、2006年より1000番台のS18編成を除いた全編成に設置された。2003年の2000番台2次製造分から緊急列車停止装置(EB装置)を装備するようになり、2003年より非装備車への追加設置が始まった。
種別・行先表示器は221系と同様に種別を幕式、行先をLED式とした。
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正面の種別幕と行先表示器
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種別幕と行先表示器の比較(上が207系、下が321系)
車内
客用ドアの室内側は化粧板仕上げで、室内照明である蛍光灯にはカバーが設置されている。座席は従来より座面高さ、奥行き、クッションの最適化を図り、座り心地改善が図られている。腰掛表地は従来のナイロンモケット地を使用し風合いと耐久性に配慮している。登場当初の座席は青色のモケットを採用していたが、2010年(平成22年)以降緑色の座席へと交換が順次進められた。
また、腰掛両サイドには、仕切りを兼ねた肘掛袖パネルを設置、仕切りパイプを高い位置まで伸ばすことで、立ち客への握り棒を兼ねている。袖仕切りのスタンションポールは他の関西私鉄の通勤形車両と同様、車内見附を重視することから省略されている。一部編成には、7人掛けの励行を促すべくバケットシートが試験導入されていた[注 1]。また、1993年(平成5年)3月以降に製造された車両は、座席が片持ち式となっている。
そのほか、側扉には半自動ドアスイッチを設け、夏季および冬季での車内温度維持のため閑散区間および停車時間の長い一部の駅で使用されている。半自動ドアスイッチは、車内側は開閉可能であるが、車外側は配線を簡略化するため開スイッチのみとした。
側窓は空調効率や防音効果、冬季の結露防止のため複層ガラスの固定窓が採用された。その結果、緊急時に必要とされる換気量が側窓から確保出来なくなり、開閉可能な大型妻面窓が設けられた。これにより妻面の貫通扉が偏心している。大型化した妻面窓により、連結車両間の見通しが良くなるとともに、この車両のインテリアの特徴ともなった。
またバリアフリーへの対応として、ドア付近へのつり革設置およびJR西日本の車両では初のドアチャイムが設置された。また、ドア上部にLED 式の車内案内表示装置が千鳥配置で1両あたり計4か所設置されている。停車駅の案内のほか、広告媒体としても使用される。車椅子スペースは、2000番台のみクハ206形の車端部に設置されている。
一部の編成では定期的に盲導鈴が鳴動しており、2009年度内までに枕木方向につり革を追加している。
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車内旅客案内装置
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運転開始当初の青色の座席
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緑色に変更した座席
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0番台初期車の車内。初期の製造車のみ片持ち式座席ではない。
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バケットシート(1000番台)
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2000番台の車端部。右側に車椅子スペースがある。
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吊り手が225系仕様になり、緑色の座席となった車内。
乗務員室
運転台のマスコンは221系と同様の横軸ツインレバー型を採用した。力行ノッチ6段、常用ブレーキ8段は、後継の321系と共にJR西日本の電車として最大である。2000番台と体質改善車をのぞき、圧力計などの各計器類はデジタル表示となっている。運転台右横に設置された液晶モニタ装置では、車両の様々な状態を一度に監視したり、空調等の各設定を行うことが可能で、運転・車掌業務をサポートしている。JR西日本の新系列車両にはこの207系以降から一部の例外を除き、補助警笛としてミュージックホーンを標準装備するようになった。
運転台背面の仕切りには窓が3枚並び、そのうち中央は仕切り扉である。車掌スイッチは221系と同様に間接制御式(リレー式)を採用した。
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0番台の運転台
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1000番台の運転台
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2000番台の運転台
主要機器
主回路制御にはJR西日本の車両で初めてVVVFインバータが採用された。製造期間が約10年の長期にわたっているため、VVVFインバータの制御素子はゲートターンオフサイリスタ (GTO) 、絶縁ゲートバイポーラトランジスタ (IGBT) などの差異がある。
パンタグラフはJR東西線内の剛体架線区間での離線対策で、下枠交差式の WPS27 形をクモハ207形およびモハ207形1両あたり2基搭載する。JR東西線以外では第1パンタグラフのみを上げて走行し、尼崎駅と京橋駅で第2パンタグラフの昇降を行っている。
駆動装置は国鉄・JRを通して在来線電車としては初のWNドライブが採用され、JR西日本の新系列車両には本形式以降、一部の例外[注 2]をのぞいてWNドライブを標準採用するようになった。歯車比は14:99(7.07)である。最高速度は登場当時の通勤形では初の120 km/h[注 3]対応となった。
空調装置は221系を踏襲した集約分散式冷房装置2基を全車に搭載している。
形式
- クモハ207形(Mc)
- 京都寄りの先頭に連結される制御電動車。前位寄りに運転台を備え、パンタグラフと主回路機器を搭載する。モハ207形に運転台を取り付けた構造を持ち、0番台は存在しない。なお、2017年時点では3両編成のクモハ207形は和田岬線での代走以外、営業運転で先頭に立つことはない[注 4]。
- モハ207形(M, M1)
- モハ206形(M2)
- モハ207形0番台からパンタグラフ、空気圧縮機、補助電源装置を省略した構造の中間電動車で、モハ207形0番台とユニットを組んで使用される。女性専用車。
- クハ207形(Tc)
- 京都寄りの先頭に連結される制御車。0番台のみに存在する。当初から電気連結器を装備して製造された車両は100番台の番号が付されたが、のちに試作編成以外の0番台の車両にも追加装備され、結果的に番号による差はなくなっている。また、1000・2000番台は当該位置にクモハ207形が連結されるため存在しない。
- クハ206形(Tc')
- 西明石・新三田寄りの先頭に連結される制御車。0番台は試作編成の1両のみで、すべてのZ編成・H編成は100番台が連結されている。2000番台では1位側(連結面南側)に車椅子スペースが設置され、同部分の窓には保護棒が取り付けられている。2010年3月改正以降、4両編成のクハ206形は試運転を除き、営業運転で先頭に立つことがなくなった。
- サハ207形(T, T1)
- 付随車で、0番台は試作編成内の2両のみ在籍する。1000番台・2000番台では全編成に1両ずつ連結されている。また、1000番台T1 - T14編成のサハ207形は、製造当初は6両編成に連結されていたため、空気圧縮機が搭載された1100番台となっている。
「ユニット」とは隣り合う電動車同士で別々の機器を搭載し、2両で1組の機構とする方式。それまでの車両は2両は検査などがない限り切り離されなかったが、207系は機器を集約することでモハ207形またはクモハ207形単独での使用も可能な設計にされている。
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クハ206形0番台
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サハ207形0番台
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モハ206形0番台
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モハ207形0番台
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クハ207形0番台
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モハ207形1000番台
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サハ207形1000番台
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サハ207形1100番台
床下中央部に空気圧縮機を搭載。 -
モハ207形1500番台
屋根にパンタグラフ関係の配管が残っている。 -
モハ207系500番台
左の1500番台とは冷房装置の形状が異なる。
番台別解説
0番台
0番台 | |
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207系0番台量産車 | |
基本情報 | |
製造所 |
川崎重工業 近畿車輛 日立製作所笠戸事業所 西日本旅客鉄道後藤総合車両所 西日本旅客鉄道鷹取工場(モハ206-11のみ) |
製造年 | 1991年 - 1993年 |
製造数 | 147両 |
運用開始 | 1991年4月30日 |
主要諸元 | |
編成 |
4両(2M2T) 7両(量産先行車、3M4T) |
自重 | 35.0 t(モハ207形) |
台車 |
円錐積層ゴム式 WDT52(電動車) WTR235J(付随車) |
主電動機 |
WMT100 WMT107(体質改善車)[要出典] |
主電動機出力 |
155 kW(WMT100) 220 kW以上(WMT107)[要出典] |
制御方式 |
GTOサイリスタチョッパ制御+3ステップパワートランジスタVVVFインバータ WPC1 (1C2M) IGBT素子VVVFインバータ制御(モハ207-511・体質改善車)[2] |
制動装置 |
電気指令式(直通・回生・抑速) 全電気ブレーキ(モハ207-511・体質改善車) |
保安装置 |
ATS-SW,ATS-P 列車防護無線装置 |
学研都市線で使用されている103系の代替として147両が製造された。
制御装置 (WPC1) は、GTOサイリスタの昇降圧チョッパ回路[注 5]+パワートランジスタ素子(PTr)による3レベルインバータで構成され、台車単位の制御を行っている。
補助電源装置はトランジスタインバータで構成され、定格容量 122 kVA を備える WSC28 を、空気圧縮機にはレシプロ式の WMH3093-WTC2000A を搭載する[3]。
主電動機は出力 155 kW の WMT100 を搭載する。
試作車
1991年に7両固定編成(当時はC1編成)として近畿車輛で3両、川崎重工業で4両が落成し、淀川電車区(現・網干総合車両所明石支所淀川派出所、以下同じ)に配置された。同年4月30日から片町線(学研都市線)片町 - 松井山手間で運用を開始した[4][5]。
- 試作車 編成表
編成番号 | ← 木津 京橋 →
| ||||||
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F1 | クハ207 -1 |
モハ207 -1 |
モハ206 -1 |
サハ207 -1 |
サハ207 -2 |
モハ207 -2 |
クハ206 -1 |
試作車であるが、国鉄の試作車の多くに付されていた「900番台」とはされておらず[注 6]、量産先行車と呼ばれることもある。
当初は客用両開き扉のガラスにD字形の左右非対称の物が、丸みの無い側が左右で向かい合わせとなるように使用され、両者の間が窓周りが黒く塗装され、大型一枚窓風に見えるような工夫がなされていた。運転台右横に設置されるモニタ装置がカラー表示ではなく、221系に準じた橙色の単色表示かつ非タッチパネル式で下部に10個のボタンがあった。運転台に「デスク型」と呼ばれる独特な形状のマスコン・ブレーキハンドルが採用されたなどの試作編成のみの独特な装備を有していたが、後に量産車に合わせた改造が行われた。また、冷房装置は221系と同じ集約分散式の WAU701 が採用された点も異なる。7両固定編成のため、前頭部に電気連結器は装備していない。
1本のみ在籍し、片町線(学研都市線)は2010年3月12日まで京田辺駅 - 木津駅間は4両対応であったことから、7両固定編成である本編成は東海道本線・山陽本線(JR京都・神戸線)で限定運用で充当されていた。
後継車の321系がある程度出揃った2006年3月18日のダイヤ改正より、321系と共通運用されるようになったが、2008年3月15日のダイヤ改正で321系のJR東西線・学研都市線(京橋駅 - 松井山手駅間)での運用が開始されたのに伴い、JR東西線・学研都市線でも運用されるようになり、学研都市線内のみの運用も復活している。その後、2012年3月17日より他の207系とも完全な共通運用となった。
2022年4月6日に吹田総合車両所に回送された[7]。
量産車
1991年から製造が始まったグループ。このグループからは4両編成および3両編成での製造となり、日立製作所が製造に加わっている。試作車が1からの番号を付されているので、2(モハ207形は3)以降の車体番号が与えられている。140両が製造された。
運用範囲が片町線全線と関西本線(大和路線)木津 - 奈良まで拡大された[8]。4両編成単独のほか、3両編成を2本連結した6両で運転されることもあった[8]。なお、松井山手 - 木津間はホーム有効長が4両編成対応であったため、7両編成は松井山手駅で増解結が行われていた。1993年には宮原電車区(現・網干総合車両所宮原支所、以下同じ)にも4両編成が配置され、同年3月18日からJR宝塚線大阪 - 新三田間で運用を開始した[9][8]。
所属は淀川電車区・宮原運転所から吹田工場高槻派出所を経て、2000年までに全列車が網干総合車両所に変更された。現在は編成番号の変更が行われ、4両編成はZ編成、3両編成はH編成と称する。
製造開始当時、4両編成のクハ206形と、3両編成のクハ207形およびクハ206形は自動解結装置・電気連結器を装備して100番台として区分されていたが、JR東西線開業前に4両編成のクハ207形 (2 - 17) にも同装備が追加されたため、仕様差はなくなった。
製造当初、JR東西線開業前に同線以外の区間でもパンタグラフを2基使用していたことがあったが、2009年時点では他の番台同様、JR東西線区間のみの使用となっている。冷房装置は集約分散式のWAU702を1両につき2基搭載している。
- 1次車
- 1991年12月から1992年2月にかけて、4両編成16本と3両編成13本の計103両(B1 - B16・A1 - A13編成)が落成し、全編成が淀川電車区に配置された[5]。
- 2次車
- 1993年2月から3月にかけて、4両編成7本と3両編成3本の計37両(B17 - B19・V1 - V4・A14 - A16編成)が落成し、B・A編成が淀川電車区に、V編成が宮原電車区に配置された[5]。
- V編成は、宮原運転所に所属していた福知山線用103系の置き換えにも充てられ、4両編成8本32両あった103系のうち、4本16両が玉突きで広島運転所(現在の下関総合車両所広島支所)へ転属している。このグループから仕様が若干変更され、下部が空洞の片持ち式座席となるとともに、4両編成のクハ207形も100番台で製造 (133 - 139) された。
- 0番台走行機器各種
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VVVF制御装置(浜側)
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VVVF制御装置(山側)
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SIV
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電動空気圧縮機
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電動台車
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付随台車
-
付随台車(先頭寄り)
-
空調装置
1000番台
1000番台 | |
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207系1000番台 | |
基本情報 | |
製造所 |
川崎重工業 近畿車輛 日立製作所笠戸事業所 西日本旅客鉄道後藤総合車両所 |
製造年 | 1994年 - 1997年 |
運用開始 | 1994年3月1日 |
主要諸元 | |
編成 | 3両 (1M2T)・4両 (2M2T) |
自重 | 35.0 t(モハ207形) |
台車 |
円錐積層ゴム式 WDT55B(電動車) WTR239B(付随車) |
主電動機 |
200kW(1・2次車、WMT102) 220kW(3・4次車、WMT104) |
制御方式 |
高周波小容量GTO-VVVFインバータ IGBT-VVVFインバータ(体質改善車) |
制御装置 | WPC3A (1C1M) |
制動装置 |
電気指令式(直通・回生・抑速) 純電気ブレーキ(体質改善車) |
保安装置 |
ATS-SW,ATS-P 列車防護無線装置 |
JR京都・神戸線(東海道・山陽本線)の103系の置き換えおよびJR東西線開業準備を目的として1994年(平成6年)から製造されたグループで、同年3月1日から営業運転を開始した[10]。
このグループから電動車ユニット方式が廃止され、同時に0番台には存在しなかったクモハ形式が設定され、一部の車両が後藤総合車両所で製造された(S54・S55編成)。0番台では電動車両に走行機器を集中搭載していたが、本番台では、クモハ形式設定による床下機器設置スペースの都合から電動車両(クモハ207形・モハ207形)には、VVVF 制御装置・補助電源装置を搭載し、付随車(サハ207形・クハ206形)の一部に空気圧縮機などの補機類を搭載する[11]。
制御装置 (WPC3A) には、パワートランジスタ素子の VVVF インバータ制御装置を搭載した0番台とは異なり、東芝製[注 7]の GTO サイリスタ素子が採用され、1台のインバータで1基のモーターを駆動する個別制御とした。この制御装置は281系や223系0番台でも採用された。
補助電源装置はGTOチョッパ+IGBTインバータで構成され、定格容量 122 kVA を備える WSC31 を、空気圧縮機には0番台と同様のレシプロ式 WMH3093-WTC2000A を搭載する[3]。
急勾配の多いJR東西線に対応するため、主電動機は出力 200 kW の WMT102 、3次車および4次車は出力 220 kW の WMT104 にパワーアップしている。運転台パネルの計器配置も変更された。冷房装置は集約分散式の WAU702B を1両につき2基搭載している。角に丸いカバーが追加された点が外観上の変更点となっている。
集電装置は、耐寒・耐雪性能に配慮し、耐雪用カバーと架線追従性向上を目的としたダンパー取り付けが施された WPS27D 下枠交差式パンタグラフを電動車両に1基搭載する[12]。ただし、2基搭載できるように準備工事が施されており、JR東西線開通に合わせて2基搭載に変更された。
- 1次車
- 1994年に基本の6両編成と付属の2両編成がそれぞれ14本ずつ112両製造され、吹田工場高槻派出所(現・網干総合車両所明石支所高槻派出所、以下同じ)に配置され同年3月1日から運用を開始した[13]。これにより、明石電車区の103系を置き換え、本線系統の普通から103系が運用を撤退した。
- 日中は6両編成で、ラッシュ時は8両編成で運転されたが、運用開始から約1か月間は一部の駅でホームの延長が間に合わず、6両編成のモハ207を抜くことにより、連結した場合でも7両編成で運転を行った[8]。この時のみ、1100番台の番号が付された、空気圧縮機を搭載したサハ207形が製造されている。
- 2次車
- 1995年3月から4月にかけて、4両編成3本と3両編成9本の計39両(V5 - V7・V31 - V39編成[注 8][14])が落成し、宮原電車区に配置された。同年4月20日のダイヤ改正では、JR宝塚線での運用範囲が篠山口駅まで拡大された[15]。
- 3次車
- 1996年3月に、4両編成2本と3両編成4本、モハ207形1500番台2両の計22両(T18 - T19・S24 - S27編成)が落成し、T編成が吹田工場高槻派出所に、S編成が淀川電車区に配置された。
- 4次車
- 1996年7月から1997年2月にかけて、3両編成28本の計84両(S28 - S58編成)が落成し、吹田工場高槻派出所に配置された。
JR東西線開業前に組み替えと追加製造が行われ、T編成4両×19編成計76両とS編成3両×55編成計165両となっている。この時、片側(加古川・篠山口側)にしか設置されていなかったパンタグラフが、0番台と同じ2個設置に変更された。その後、0番台同様に全車網干総合車両所に移管されている。
また、0番台に組み込まれ車両番号に500をプラスされた1次車のモハ207形奇数車はパンタグラフを撤去している。ただし、既存の車両では0番台3両が余剰となるため追加で2両新造されているが、屋根上の機器配置は他の1000番台と同様である。
- 1000番台走行機器各種
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VVVF制御装置
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SIV(S編成S47までとT編成全車のタイプ)
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SIV(S編成S48以降のタイプ)
-
電動空気圧縮機
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電動台車
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付随台車
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付随台車(先頭寄り)
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空調装置(三菱電機製)
2000番台
2000番台 | |
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207系2000番台 | |
基本情報 | |
製造所 |
川崎重工業車両カンパニー 近畿車輛 |
製造年 | 2002年 - 2003年 |
製造数 | 80両 |
主要諸元 | |
編成 | 3両 (1M2T)・4両 (2M2T) |
自重 | 36.0 t(モハ207形) |
台車 |
乾式円筒案内式 WDT62(電動車) WTR245(付随車) |
主電動機 | WMT102B |
主電動機出力 | 220 kW |
制御方式 | 3レベルIGBT-VVVFインバータ(静止形インバータ一体型) |
制御装置 | WPC13 (1C1M) |
制動装置 | 電気指令式(直通・回生(純電気式)・抑速) |
保安装置 |
ATS-SW,ATS-P 列車防護無線装置 |
片町線(学研都市線)の輸送改善と103系置き換え目的とし、2002年(平成14年)から製造されたグループである。車両外観には大きな変化は見られないが、機器艤装は基本的に223系2000番台をベースとしている。そのため、電動車の戸袋部分に機器冷却のための風洞が設けられた。T編成4両11編成44両とS編成は3両12編成36両の合計80両が在籍し、編成番号は1000番台の続番となっている。
電動車両(クモハ207形・モハ207形)には、車両制御装置[注 9]を搭載し、付随車(サハ207形・クハ206形)に空気圧縮機などの補機類を搭載する。
車両制御装置 (WPC13) は、IGBT 素子を使用した3レベル電圧形 PWM インバータである。1基の装置中にインバータを5基(主回路部4基+補助電源部1基)搭載し、主回路部はインバータ1基で1台の主電動機を制御する 1C1M 制御方式を採用している。補助電源部は三相交流 440 V 、150 kVA の容量を有しており、主回路部と同じく IGBT を用いた2レベル電圧形 PWM インバータを CVCF 制御し、補助電源部が故障した際には主回路用インバータを CVCF 制御することで補助電源のバックアップとしている。主電動機も同車のものと同型の WMT102B を搭載している。電動空気圧縮機 (CP) は従来のレシプロ式から除湿装置一体型の低騒音型スクリュー式 (WMH3098-WRC1600) に変更された。のちに登場する225系や287系にも採用されている。台車は軸バネ部が乾式円筒案内式とされたWDT62(電動車両)、WTR239B(付随車)となった。
それまでのグループは運転台パネルにデジタル計器が使用されていたが、本番台では223系1000番台以降に準じたアナログ計器に変更された。
内装ではドアが開く際もドアチャイムが鳴るように改良され、試作車を除く全編成も変更された。車端部に車いすスペースを設置している。
この番台から転落防止幌が製造時から設置され、2006年(平成18年)より稼働中の全編成に設置された。また、落成時からATS-P保安装置を搭載している。
- 1次車
- JR京都・宝塚線の103系置き換えと車両増備のため、2002年に製造された。
- 2次車
- JR宝塚線で日中運行する普通列車を全面的に207系化するために2003年から製造された。1次車からの変更点として緊急列車停止装置(EB装置)を装備するようになり、窓ガラスに緑がかったUVカットガラスが採用された。なお、EB装置については既存車についても取付工事が実施されている。
- 2000番台走行機器各種
-
車両制御装置(山側)
-
車両制御装置(浜側)
-
電動空気圧縮機
-
電動台車
-
付随台車
改造
ATS-P取り付け工事
1994年8月から1995年3月にかけて、0番台量産車の先頭車両78両(クハ207-2 - 17, 101 - 113, 130 - 139・クハ206-101 - 139)に対してATS-P保安装置の取り付けが吹田工場で行われた[16]。
耐寒耐雪改造
1995年12月25日にJR宝塚線藍本駅で0番台4両が雪によるブレーキ不具合で停止位置を行き過ぎ安全側線に進入し脱線する事故が発生。これ以降、0番台に耐雪ブレーキ装備などの耐寒耐雪改造が行われた。
JR東西線開業に向けた改造
開業前に運用されていた298両については次のような改造が施工された[17]。
- 1000番台の先頭車両に、ATS-P車上装置の取り付け
- 0番台の全車両に1パンタ・2パンタの切換機能の追加
- 1000番台の1パンタ取り付け車を2パンタ化
- 0番台のM車の加速度を1000番台と同一化
- 1000番台車両を0番台へ組み込み
- 0番台のすべて先頭車に自動解結装置取り付け
ヨーダンパの追加装備
高速運用時の蛇行を防止する台車のヨーダンパが途中から追加装備されるようになり、当初準備工事だけであった初期車にも装備され、2003年までに取り付けが完了した。
帯色変更
(2005年12月10日 住道駅)
2005年11月より321系の導入に合わせて車両のイメージチェンジが行われることとなり、塗色が従来の濃淡青から紺とオレンジの組み合わせに変更され、2006年3月に完了した[18]。
同線を走行していた201系と205系は、321系導入による転属が決まっていたため対象外であったが、205系に関しては本線運用に戻る際、同様の帯色に変更された。
先頭車間転落防止幌取付
2010年12月17日に舞子駅で発生した乗客転落死亡事故により、その対策として編成中間となる先頭車のみ、2014年から2015年にかけて全編成への設置が完了した。
吊り手の交換・増設
2011年10月19日から、本系列と321系の吊り手が225系仕様のものに順次交換および増設が行われている[19]。
体質改善工事
施工年度 | 施工工場 施工両数 |
番台別施工両数 施工済み車輌割合 |
合計 | ||
---|---|---|---|---|---|
網干 | 吹田 | 0番台 | 1000番台 | ||
2014年 | 8 | 12 | 20/143 14% |
0/257 0% |
20/400 5% |
2015年 | 11 | 4 | 32/143 22% |
3/257 1% |
35/400 9% |
2016年 | 32 | 10 | 52/143 37% |
25/257 10% |
77/400 19% |
2017年 | 28 | 10 | 63/143 44% |
52/257 20% |
115/400 29% |
2018年 | 21 | 13 | 63/143 44% |
86/257 33% |
149/400 37% |
2019年 | 24 | 8 | 80/143 56% |
101/257 40% |
181/400 45% |
2020年 | 25 | 6 | 88/143
61% |
124/257
48% |
212/400
53% |
本形式の中でも最初に投入された0番台と1000番台は新製から20年以上が経過しているため、接客設備の改善および安全性向上を目的に体質改善工事を行っている[20][21]。第1陣として網干総合車両所明石支所所属の0番台Z22編成が施工され、2014年11月17日に営業運転に復帰した[22]。
- 車両外観・床下機器
- 車内設備
-
0番台体質改善車(LED前照灯)
-
1000番台体質改善車(HID前照灯)
-
先頭車間転落防止幌を装備した中間運転台
クモハ207-1057 -
更新された行先表示器
-
車内全景
-
座席
-
優先座席
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車いすスペース
-
車内案内表示装置
-
運転台
-
ナンバープレート下にグッドデザイン賞受賞ロゴ
本系列を用いた試験
この節は更新が必要とされています。(2019年8月) |
2010年12月17日にJR神戸線舞子駅で旅客が列車の先頭車同士の連結部から転落し、列車に轢かれ死亡する事故が発生した。この事故の対策で、一部の車種[注 10]や他社線に乗り入れる列車をのぞき本系列を含めた全車種で、先頭車同士を連結した部分の前照灯を終日点灯させる取り組みを2011年5月1日から始めたが[25]、ハード面での対策として207系1編成(3両+4両)の先頭車に転落防止カバーを取り付け、試行を行っている。転落防止カバーは前照灯の下に合計4か所取り付けられ、約半年間効果を検証するとしている。転落防止カバーの取り付けに合わせて音声警報装置も取り付けられた。なお転落防止カバーは、本採用されなかった。
福知山線脱線事故による影響
2005年4月25日の午前9時18分頃、福知山線(JR宝塚線)尼崎駅 - 塚口駅間で宝塚発同志社前行上り快速5418M(7両編成)が右カーブで7両中5両が脱線し、うち先頭2両が進行方向左側の線路沿いにあるマンション1階に激突、大破する事故が起きた。
事故にあった7両は、Z16編成(4両)とS18編成(3両)である。2編成は、Z16編成を先頭に途中の京田辺駅まで併結して運転した後、京田辺駅でS18編成を切り離し、Z16編成のみの4両が同志社前駅まで向かう予定だった。7両のうち、Z16編成の先頭車がマンション1階の立体駐車場に横転した状態で突っ込み、前から2両目が横転した状態でマンション1階側壁に衝突、この2両は原形が全く残らないほどに大破した。3両目、4両目もすべての台車が脱線し、車体が歪むほどの衝撃を受けている。後方に連結されたS18編成も、クハ206-1033とサハ207-1019の塚口寄りの台車以外の全てが脱線した。
← 同志社前・京田辺・尼崎 塚口・宝塚 →
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車両 | クハ207 -17 |
モハ207 -31 |
モハ206 -17 |
クハ206 -129 |
クモハ207 -1033 |
サハ207 -1019 |
クハ206 -1033 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
編成番号 | Z16編成 | S18編成 |
脱線した車両のうちZ16編成の4両については事故当日に車籍を抹消され、鉄道線復旧時に事故現場で解体された。S18編成は塚口駅へ人力で回送された後、DD51の牽引で宮原総合運転所に搬入され、4両目がぶつかったため前面が破損していたクモハ207-1033にはブルーシートが掛けられた。この3両は重要証拠として兵庫県警に押収され、県警の施設で前4両の台車などと共に保管された。
鉄道書籍によると、これら3両は警察の指示で返却または除籍許可が出るまでは車籍抹消ができないため車籍こそあるものの[26][27]、車両が破損していること、事故の証拠として今後の裁判に使用される可能性があること、また事故を風化させない目的から、JR西日本では警察から返却され次第廃車とし、大阪府吹田市にある社員研修センター敷地内の鉄道安全考動館に保存する予定とされている。そして、2011年2月2日に神戸地方検察庁は保管していた同編成を同年2月1日付でJR西日本に返還した。2018年(平成30年)11月17日、事故の風化防止および社員教育活用のため事故当該の7両を保存する意向を明らかにした[28]が、解体された4両に関して保存可能な状態となっているかは不明である。
この7両が使用不能となったことにより森ノ宮電車区から103系が貸出され、さらに予備車確保のためにJR東日本から103系8両を購入し、代走車とした。その後は321系を予定より3編成21両[注 11]多く投入して車両不足を補った。
そのほか、脱線事故後に207系に搭載されていた非常管(自動空気ブレーキの原理を利用し、ホースが破裂するか乗務員室にある非常管スイッチを抜くと非常ブレーキが作動する装置)のホースが交換期限を過ぎても取り替えられていないことが一部で報道された。そのため一斉に207系全車両において非常管の点検作業が行われた。
車両配置と運用線区
全車両が網干総合車両所明石支所に配置されている[29]。2022年3月12日現在の定期運用は次の通りで、321系と共通運用されている[30]。
- 琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線(東海道本線・山陽本線):京都駅 - 加古川駅間
- 日中は高槻 - 西明石間で運用され、京都乗り入れは日中を除く時間帯、加古川乗り入れは平日朝ラッシュのみ行っている、過去には京都発で野洲まで運転されてたほか、過去には西明石発草津行きが平日朝ラッシュに運行されていた。
- JR宝塚線(福知山線):尼崎駅 - 篠山口駅間
- JR東西線:全線
- 学研都市線(片町線):全線
- JR神戸線・JR宝塚線と直通運転を行うほか、学研都市線内のみの運用もあり、普通・区間快速・快速として運転される。
- おおさか東線:全線
- 大和路線(関西本線):久宝寺駅 - 木津間
2016年(平成28年)3月25日までは朝夕に湖西線堅田駅・近江舞子駅までの運用が存在した。このほか、和田岬線の103系の代走や[31]、毎年12月に開催される「神戸ルミナリエ」の臨時電車として新快速で一部運用されることがある。また、2002年8月31日には赤穂線相生駅 - 播州赤穂駅間でも臨時列車として運用されたことがある[注 12]
編成表
背景色が■黄緑の車両 (7両編成の5号車) は女性専用車両である。なお、学研都市線松井山手経由の区間快速・快速と、おおさか東線・大和路線王寺経由の直通快速では、奈良駅基準で編成の向きが反転している。
番台 | 編成番号 | ← 野洲・木津・奈良(学研都市線経由) 加古川・篠山口 →
← 奈良(おおさか東線経由直通快速) 新大阪 →
| ||||||
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0番台 | F1 | クハ207 -1 (Tc) |
モハ207 -1 (M1) |
モハ206 -1 (M2) |
サハ207 -1 (T) |
サハ207 -2 (T) |
モハ207 -2 (M1) |
クハ206 -1 (T'c) |
Z1 - Z15[注 13] | クハ207 -#0 (Tc) |
モハ207 -#0 (M1) |
モハ206 -#0 (M2) |
クハ206 -#100 (T'c) |
||||
H1 - H16 | クハ207 -#100 (Tc) |
モハ207 -#500 (M1) |
モハ207 -#1500 (M2) |
クハ206 -#100 (T'c) |
||||
Z17 - Z23 | クハ207 -#100 (Tc) |
モハ207 -#0 (M1) |
モハ206 -#0 (M2) |
クハ206 -#100 (T'c) |
||||
1000番台 | T1 - T14 | クモハ207 -#1000 (Mc) |
サハ207 -#1100 (T1) |
モハ207 -#1000 (M) |
クハ206 -#1000 (T'c) |
|||
T15 - T17・T19 | クモハ207 -#1000 (Mc) |
サハ207 -#1000 (T) |
モハ207 -#1000 (M) |
クハ206 -#1000 (T'c) |
||||
S1 - S55[注 14]
T18 |
クモハ207 -#1000 (Mc) |
サハ207 -#1000 (T) |
クハ206 -#1000 (T'c) |
|||||
2000番台 | T20 - T30 | クモハ207 -#2000 (Mc) |
サハ207 -#2000 (T) |
モハ207 -#2000 (M) |
クハ206 -#2000 (T'c) |
|||
S56 - S67 | クモハ207 -#2000 (Mc) |
サハ207 -#2000 (T) |
クハ206 -#2000 (T'c) |
- 組成の変遷
← 木津・京都 篠山口・西明石 →
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脚注
注釈
- ^ その後、321系で本格的に採用されることになったが6人掛けとなり、その導入目的とその形状は全く異なる。
- ^ 営業用車両では223系5000番台、N700A系(九州直通用を除く)のグリーン車が該当。いずれも歯車型撓み軸を用いたTD継手。
- ^ 同時期に登場したJR東日本209系電車(主電動機の1時間定格 出力95kw・ギア比7.07)が最高110 km/h 。それ以前の国鉄形式は100 km/h である。なお、209系の後継形式であるE231系は同じ出力・ギア比ながら、主電動機の許容回転数を引き上げることで、最高120 km/hを可能としている。
- ^ 7両編成時は常に中間に連結され、2010年3月12日まで実施されていた京田辺駅での増解結時でも移動することなく別の4両編成と連結していたため。
- ^ パワートランジスタは耐圧・耐電流容量が低いため。
- ^ ただし、『鉄道ファン』誌において毎年特集が組まれる「JR車両ファイル」の国鉄形車両の残存率にJR西日本の207系を計上している(2021年4月1日現在で残存率4800%となっている)[6]。
- ^ 一部三菱電機製があるが磁励音は同一である。
- ^ 明石転属後の編成番号基準では、T15 - T17・S15 - S23編成が該当する。
- ^ 主回路用インバータ(VVVF 制御装置)と補助電源用インバータ (SIV) を一体化したもの。
- ^ 国鉄時代に製造された気動車やキハ120形が該当する。
- ^ 1編成が廃車された本系列の補填で、残る2編成はゆとりダイヤ導入などに伴う所要時間増による運用増への対応。
- ^ 兵庫県立赤穂海浜公園で開催された「モーニング娘。 CONCERT2002夏 “LOVE IS ALIVE”」の来場客輸送を目的とした臨時列車(一部は岡山 - 相生間直通の定期列車を播州赤穂駅で系統分割)として運行。
- ^ 事故廃車されたZ16編成もこの形態だった。
- ^ S18編成は事故後休車中である。
出典
- ^ データで見るJR西日本 - 西日本旅客鉄道 p.122
- ^ 【JR西】207系H9編成試運転 - RMニュース 鉄道ホビダス 2014年1月24日
- ^ a b 『鉄道ファン』1996年4月号、交友社、1996年、p.64
- ^ 『JR電車編成表 '92冬号』ジェー・アール・アール、1992年。ISBN 4-88283-016-7。
- ^ a b c 『鉄道ファン』1996年4月号、交友社、1996年、p.63。
- ^ 「現在も活躍するJR旅客会社の国鉄形車両」『鉄道ファン』No.724、交友社、2021年8月、pp. 64-71。
- ^ “207系量産先行車が吹田へ|鉄道ニュース|2022年4月7日掲載|鉄道ファン・railf.jp”. 鉄道ファン・railf.jp. 2022年4月7日閲覧。
- ^ a b c d 『鉄道ジャーナル』通巻579号、p.91
- ^ 『JR電車編成表 '93夏号』ジェー・アール・アール、1993年。ISBN 4-88283-019-1。
- ^ 『JR気動車客車編成表 '94年版』ジェー・アール・アール、1994年。ISBN 4-88283-115-5。
- ^ 『鉄道ファン』1996年4月号、交友社、1996年、p.47
- ^ 『鉄道ファン』1996年4月号、交友社、1996年、pp.44 - 45
- ^ 『JR電車編成表 '94夏号』ジェー・アール・アール、1994年。ISBN 4-88283-021-3。
- ^ 『鉄道ジャーナル』通巻579号、p.92
- ^ 『鉄道ファン』1995年7月号、交友社、1995年、p.38
- ^ 『鉄道ファン』通巻411号、交友社、1995年7月、pp.87 - 88
- ^ 『新世紀へ走る JR西日本10年のあゆみ』西日本旅客鉄道
- ^ 「207系」電車塗色デザインの変更(インターネットアーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2005年8月29日
- ^ 在来線列車に「新しい吊り手」を導入します - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年10月18日
- ^ a b c 207系通勤形電車をリニューアルします! - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2014年9月22日
- ^ 207系体質改善車が試運転を実施 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp 鉄道ニュース 2014年9月29日
- ^ 207系体質改善車が営業運転を開始 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp 鉄道ニュース 2014年11月18日
- ^ a b c d e f g h i 207系通勤形電車のリニューアルの概要 - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2014年9月22日 (PDF)
- ^ https://rail.hobidas.com/rmnews/256898/
- ^ 転結部の前照灯を点灯 ホーム転落防止へ JR西日本 - 神戸新聞 2011年5月29日
- ^ 『JR電車編成表』'06冬号 ジェー・アール・アール・『鉄道ファン』2006年7月号 交友社
- ^ 『鉄道ファン』2008年7月号では未だに後ろ3両の車籍は残されており、クハ206-1033は保留車と表記されている。
- ^ “JR西社長 脱線事故車両、社員教育活用へ 全7両保存し”. 毎日新聞. 17 November 2018. 2018年11月22日閲覧.
- ^ ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2022冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2021年。P176-P179
- ^ 『鉄道ジャーナル』通巻579号、p.93
- ^ 和田岬線に207系が入線 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp 鉄道ニュース 2011年8月7日