どら焼き
どら焼き(銅鑼焼き、ドラ焼き、どらやき)は、通常、やや膨らんだ円盤状のカステラ風生地2枚に、小豆餡を挟み込んだ膨化食品・和菓子。蜂蜜を入れて焼き上げることでしっとりとしたカステラ生地にする。
起源・由来
どら焼きの名は一般に、形が打楽器の銅鑼(どら)に似ることからついたという説が有力である。しかし、異説として次のようなものもある。
曰く、武蔵坊弁慶が手傷を負った際、民家にて治療を受けた。そのお礼に小麦粉を水で溶いて薄く伸ばしたものを熱した銅鑼に引き、丸く焼いた生地であんこを包み、振舞ったことが起源という。ただし、この説は鎌倉時代に小豆餡が出来たと言われることから、1189年に死んだとされる武蔵坊弁慶との関わりは矛盾する。
この他にも様々な異説俗説があり、現在どれが正解かは一概に言えない状況にある。ただ、いずれの説にしても、銅鑼に関係している物が多いようである。
江戸時代のどら焼きは、皮を一枚だけ用い、端の部分を折りたたんだため四角く、片面の中央はあんこがむき出しであったという。現在のきんつばに良く似たものと考えられる。
いま日本で売られているどら焼きの生地は、西洋のホットケーキの強い影響を受けて、江戸時代以前のものからはかけ離れている。このため昭和20年代頃まで、どら焼きとホットケーキは混同されがちであった。
どら焼きの呼称
近畿方面では、今日どら焼きと呼ばれているものを「三笠」、「三笠焼き」、「三笠まんじゅう」、「三笠山」などと呼ぶことが多い。菓子の外見が奈良県の三笠山に似た形であることに由来する名称で、古くから「三笠」にちなんだ名称が用いられてきたようである。
ただし、「どら焼き」と「三笠(山)」の違いに関しては地域性は無関係であるとされ[1]、二枚の皮の縁を軽くおさえたものが「どら焼き」で互いにくっつくようにつくったものが「三笠(山)」[2]、元々皮が片面焼きだったのが「どら焼き」で両面焼きにしたのが「三笠(山)」[3]、「どら焼き」よりも皮を厚く焼いたのが「三笠(山)」[4]など、皮の形状や製法に違いを求める説が一般的である[5]。
奈良市の近鉄奈良駅近くのひがしむき商店街にある菓子店などでは、通常のサイズのものの他に直径20cm弱の大きな「三笠」を売っている。市内の老舗和菓子店湖月は、毎年4月19日に林神社で行われる饅頭まつりに、直径が32cmと、大きいサイズのさらに2倍、餡が1.9kgも入った巨大な「みかさ」を奉納している。一方で、大阪市の茜丸本舗(株式会社茜丸)の五色どらやきをはじめ、関西でもどら焼きの呼称が使われている商品がある。
形状・具
形状
一般的には餡を円型の生地2枚ではさむ形だが、それとは違う形でどら焼きと称する例もある。生地を半分に折りたたんで餡をはさむ(形状は餃子に似る)ものもある[6]。
京都市の東寺の「弘法市」の際、「笹屋伊織」が販売するものは、棒状に伸ばした漉し餡にバームクーヘン状に小麦粉の生地を重ね焼くものである[7]。
富山県では、薄めの皮で餡をぐるっと包んだ長方形のどら焼きを、ななめにカットし三角形にした「三角どらやき」というのがある[8]。
波型の「千寿せんべい」で有名な鼓月では、どら焼きの皮を波型にした「千寿どら焼き」がある[9]。
他にもどら焼きの皮が、ハート型やねこ型だったりするものもある。
どら焼きの具
基本的に小豆餡が使われているが、栗・餅などが入っている事もある。変わり種として、大分県湯布院の名物でプリンを挟んだ「プリンどら」なるものなどもある。
バリエーション
生どら
1985年(昭和60年)に宮城県宮城郡利府町のカトーマロニエが生クリームと小豆餡をホイップして挟んだどら焼きを生どらと命名して販売開始した[10](現在は「元祖なまどら」として販売)。すると、同町と隣接する塩竈市にある榮太楼も生どらの販売を開始した。榮太楼は様々な種類の生どらを販売し、一躍仙台銘菓の地位を得た。
これ以降、日本各地で生どらが生産されるようになり、小豆餡の代わりに生クリームやカスタードクリーム、チョコレートクリームを入れたもの、あるいは、ジャム類やカットフルーツが入っているものも見られ、ワッフルを彷彿とさせる。新鮮さを保つために冷凍もしくは冷蔵で販売されている事もある。冷凍の場合は解凍または半解凍して食べる。また、アイスクリーム類を挟んだものも登場している。これは冷凍のまま食べる。また、富山県を走っている富山ライトレール岩瀬浜駅停留場の近くに三角形のどらやきが売られている。
蒸しどら
スポンジケーキ状に蒸し上げたどら焼き型の生地に、小豆餡やカスタードクリームなどを挟んだ和菓子を蒸しどらと呼ぶ。生地には小麦粉のほかに黒砂糖や抹茶、桜ペーストが使われることもある。正確にはどら焼きではないが、生どらと並びどら焼きから派生した菓子として全国で生産されている。
記念日
鳥取県米子市に本社工場を置く丸京製菓は、日本記念日協会に4月4日を『どらやきの日』として申請し、2008年8月30日に正式登録された[11][12]。
同社が生産量世界一の「どら焼き」を米子市の新しい名物にしようと『どらやきのまち米子』を2008年6月に宣言し、そのプロジェクトの一環として地域の活性化を目指したことによるものである[13][14]。
また、プロジェクトにより、2008年11月に命名権も取得し、米子市東山運動公園を『どらやきドラマチックパーク米子』(どらドラパーク米子)と命名した[15][16](米子市営東山陸上競技場#施設命名権および米子市民球場#施設命名権も参照)。
ドラえもん
漫画・アニメ『ドラえもん』(藤子・F・不二雄作)の主人公であるネコ型ロボット、ドラえもんの大好物としても知られる[17]。作者の出身地の富山県では身近な和菓子であり、お祝いごとや法事の際に、どら焼きを贈る習慣がある[18]。
タイアップ商品として、かつては山崎製パンなどからドラえもんにちなんだどら焼きが製造・販売されていた。2020年現在では文明堂よりドラえもんの焼印を付けたどら焼き、『ドラえもん どら焼き』が毎年販売されている。3月の劇場版の時期及び、ドラえもんの誕生月とされる9月に販売される。なお、『ドラえもん』作中では「ドラ焼き」、「ドラヤキ」、「どらやき」などと表記される。
2014年に放送開始された『米国版ドラえもん』では、どら焼きは「ヤミー・バン(yummy bun)」(おいしいパン)という名称に変更される[19]。
派生作品であるタイムトラベルものの『ドラえもんなぜなに探検隊』では、12世紀の日本にタイムトラベルしたドラえもんが前記の弁慶がどら焼きを発明する場面に遭遇するシーンがある。「どら焼き伝説を追え!」(2009年12月31日放送)の回でもどら焼きの歴史について語られている[20]。
どら焼き関連の作品
脚注
- ^ 『菓子 新・食品事典 10』河野友美 編 真珠書院 1991年
- ^ 『和菓子の辞典』奥山益朗 編 東京堂出版 1983年
- ^ 『菓子 由来と味い方』守安正 著 ダヴィッド社 1957年
- ^ 『たべもの起源事典 日本編』岡田哲 著 筑摩書房 2013年
- ^ 「どら焼き」と「みかさ」は同じお菓子なのか。また、同じものであるなら呼び名の違いは地方による差異なのか知りたい。国立国会図書館「レファレンス協同データベース」(2017年05月15日最終更新、2021年11月27日閲覧)
- ^ “黒船どらやき”. 黒船. 2022年4月25日閲覧。
- ^ “代表銘菓 どら焼”. 笹屋伊織. 2022年4月25日閲覧。
- ^ “三角どらやき”. とやま観光ナビ. 2022年4月24日閲覧。
- ^ “千寿どらやき”. 京菓子處 鼓月. 2022年4月25日閲覧。
- ^ 「わんからっとL」主催トークライブ 女たちのサクセスストーリー Archived 2012年1月21日, at the Wayback Machine.(経済産業省東北経済産業局「東北経済産業情報『東北21』」TOPICs3 2005年5月)
- ^ “菓子食品新報「丸京が鳥取県米子市の公園名まで」” (2008年11月24日). 2022年4月24日閲覧。
- ^ “どらやきの日 (4月4日)”. 丸京製菓株式会社. 2022年4月24日閲覧。
- ^ “どらやきのまち米子物語”. 2022年4月24日閲覧。
- ^ “どらやきのまち米子”. 丸京製菓株式会社. 2022年4月24日閲覧。
- ^ “菓子飴新聞「どらやきドラマチックパーク米子」丸京製菓が命名権取得” (2008年11月21日). 2022年4月24日閲覧。
- ^ “どらやきドラマチックパーク米子”. 丸京製菓株式会社. 2022年4月24日閲覧。
- ^ “ドラえもんも食べている、あの"どら焼き"の本物が食べられる⁈”. Huffpost news (2014年8月23日). 2020年6月12日閲覧。
- ^ “高岡 ドラえもん関連施設に注目 コラム「富山県とどら焼きのおいしい関係」”. 2020年6月12日閲覧。
- ^ 『ドラえもん』はアメリカでも人気を得られるか? 今夏から「米国版」放送開始、THE PAGE、2014年5月26日。
- ^ ドラえもん どら焼き伝説を追え!、テレ朝動画 - 2021年11月27日閲覧。
- ^ “あん(全6回) 行き詰った男、重い過去をもつ老婦人、どら焼きを縁に交わる人生”. NHKオーディオドラマ. 2015年6月25日閲覧。
- ^ 映画『あん』 2015年6月25日閲覧。