嶋田好高
日本の元プロ野球選手
この記事には複数の問題があります。 |
嶋田 好高(しまだ よしたか、1985年5月4日 - )は、和歌山県有田市出身の元プロ野球選手。プロ在籍は独立リーグのみであった。
基本情報 | |
---|---|
国籍 |
![]() |
出身地 | 和歌山県有田市宮崎町 |
生年月日 | 1985年5月4日(40歳) |
身長 体重 |
180 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
経歴
有田市立箕島中学校時代は和歌山ライオンズに所属し、智弁和歌山高等学校に進学。2年次に背番号14を着け第74回選抜高等学校野球大会に出場し、1回戦で宮本賢を擁する、関西高等学校に2-7で敗れ、初戦敗退。しかし、2年生の夏は背番号7を着け第84回全国高等学校野球選手権大会に出場し、1番打者として岩田慎司擁する東邦高等学校、準々決勝の鳴門工戦では本塁打を放ち、準決勝で松本高明、吉田圭、高市俊、上野大樹擁する帝京高等学校を下し、決勝戦に進出。しかし、決勝戦で森岡良介、筧裕次郎擁する明徳義塾に敗れ、優勝することはできなかった。
翌年の第75回選抜高等学校野球大会にも出場し、ベスト8まで進出したが自身はヒットを1本も打つことができず、打率が0割のまま甲子園を去った。同年の第85回全国高等学校野球選手権大会にも出場したが、2回戦で優勝する坂克彦擁する常総学院に敗れた。
高校卒業後は法政大学に入学するも4年間で打率.200、本塁打1本と持ち前の長打力を発揮することはできなかった[1]。4年生の2007年10月にプロ志望届を提出したが[2]、指名するNPB球団はなかった。
大学卒業後はNPBを目指し、トライアウトを経て2008年に四国・九州アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツに入団[3]。同年シーズン終了後に愛媛を退団し、関西独立リーグの紀州レンジャーズに入団[4]、2013年に解散するまでプレーした。[要出典]
詳細情報
独立リーグでの打撃成績
この節の加筆が望まれています。 |
背番号
この節の加筆が望まれています。 |
脚注
- ^ “一般財団法人 東京六大学野球連盟”. www.big6.gr.jp. 2023年2月6日閲覧。
- ^ プロ野球志望届提出者 - 全日本大学野球連盟
- ^ “愛媛、新たに7選手が入団”. SPORTS COMMUNICATIONS (2008年1月31日). 2023年2月6日閲覧。
- ^ “関西独立リーグ、いよいよ開幕[2]”. Arikaina (2009年3-4号). 2023年2月6日閲覧。