Wikipedia:コメント依頼/Miraburu 20230831
利用者:Miraburu(会話 / 投稿記録 / 記録)さんの諸行動についてコメントを依頼します。
前書き
およそ一月前、Wikipedia:コメント依頼/Miraburu 20230728が提出されたのですが、この依頼の提出者がLTAであったため議論が有意義なものにはなりませんでした。 しかし最近のMiraburuさんを拝見するにご本人に自重していただかない限りは何らかの強制力を以って活動を制限する必要が迫っているよう私には見え、また他の方も同様の指摘をなさっていますから[1]、新たなコメント依頼の場を設けることとしました。
私見ですが、Miraburuさんは活動分野にはそれほど拘ることはなく、自分自身の問題行動が指摘され将来的にブロックに繋がりそうな風向きを嗅ぎ取るとさっさと撤退する傾向があり、それが「広く浅い」問題行動の繰り返しを招いています。 このような振る舞いをされると、「行動そのものの問題点を指摘して再発防止を要請する」というストレートな解決法が機能しません(というのも、指摘された物とは別種の問題行動を起こすだけだからです)。 加えて、一つ一つの「浅い」問題行動に対してはコメント依頼というプロセスで俎上に上げるほどでもないか……と面倒くさがることが、コミュニティ側からのMiraburuさんに対する一種の容認を招いています。 しかしその「浅い」問題行動が広く繰り返されればコミュニティの疲弊の量は増大していくわけですから、こうしたサラミ法的な現状に対しては、個別の問題行動の「浅さ」に着目して免責するべきではないと考えます。
本文
直近で問題になったのはWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/マレー沖海戦 20230827ですが、 ここでは一次資料を出典に使用しているという明らかな問題を抱えている記事を良質な記事の選考に出し、そのことが指摘されると提出のわずか10時間後に選考を取り下げるという行動を見せています。 「君子豹変す」とは言いますが、豹変すれば直ちに皆君子なのだ、ということは無いでしょう。 Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考のノートでは、Miraburuさんの安易な選考の出し下げが執筆者のモチベーションに悪影響を与えると指摘されています[2]。 また「頂いたコメントを今後の改善に繋げていければと思います。」などとも仰っていますが、コメントが記事の改善につながると本当に考えているのであれば、今後も有意義なコメントが付けられる可能性のある選考の場をクローズするという行動との整合性が取れませんから、発する言葉が心からの物ではない、信頼に値しないという印象を受けます。
「後から意見を取り下げさえすれば何をやってもいいのだ」という姿勢はWikipedia:削除依頼/特筆性に欠けるサッカー選手記事2300723におけるからも窺え、 「削除を主張される方によるWP:FAILNに基づく調査のご報告があれば票を取り下げます」という断り付きで、依頼提出者がWP:FAILNに基づく調査の報告をしなかった事だけを理由に、存続票を投じています。
良質な記事の選考では提出前に精読しておけば記事の抱える問題点に気づいたはずですからそうしたことはなさってないのでしょう。 サッカー選手の削除依頼についても依頼提出者に文句を言うばかりで自分自身では特筆性に関する調査を一切していません。 端的に言うと、ご自身で手を動かそうとせず、口出しだけで楽に貢献できる「軍師タイプ」の行動が目立つように思います。
こうした軍師的問題行動はWikipedia:コメント依頼/Acauntoにおいても発揮され、間を置かずブロックされることになる依頼提出者の尻馬にのる形でAcauntoさんの批判に回っています。 もちろんAcauntoさん側に問題点が無かったわけではありませんが、両者の履歴を精査すれば、依頼提出者が百田尚樹など wikipediaの基準においては「信頼できる情報源」とはみなせないものを出典として利用していた事が両者の対立を招いたことは明らかなわけですから、 ここでもやはりMiraburuさんは「手を動かしていなかった」と言う他ないでしょう。
私個人としては、Miraburuさんのような自分の手を動かさない方には管理の分野から完全に撤退していただく必要があると考えています。--おいしい豚肉(会話) 2023年8月30日 (水) 15:58 (UTC)