大野勇 (高知市長)

これはこのページの過去の版です。Ihimutefu (会話 | 投稿記録) による 2024年2月20日 (火) 12:42個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (経歴: 修正。)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

大野 勇(おおの いさむ、1880年明治13年〉1月10日[1][2][3]1973年昭和48年〉11月5日[3])は、日本政治家高知市長

経歴

高知県高岡郡(のちの別府村仁淀村、現在の仁淀川町)出身[1][2]高知師範学校[1]。中等教員検定試験に合格する[1]台湾に渡り、台湾総督府立中学(現在の台北市立建国高級中学)、松本中学(現在の長野県松本深志高等学校)ほか各中学校教諭を歴任する[1]京都市役所に入り、視学、社会課長となり[1]1928年(昭和3年)に市政研究のため、欧米に出張する。パリの市営競馬や清掃制度、市場研究に重点を置き、帰国後に京都中央市場の設立に力を尽くし[2]、市場長となる[1]。その後、京都市助役となる[2]1941年(昭和16年)に高知市長に就任[2]

就任した年の暮れに太平洋戦争が勃発。国家総動員体制下での市政運営を迫られた。1942年(昭和17年)6月には高知市は周辺の10ヶ町村を合併し、市域を拡大した。戦時体制は強化される一方、戦況は悪化の一歩をたどり、高知市も空襲を受けた。やがて終戦となり、大野は終戦後も市長の職に留まっていたが、1946年(昭和21年)に退職した。

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『大衆人事録』第14版、近畿、中国、四国、九州篇、高知2頁。
  2. ^ a b c d e 『日本の歴代市長 第3巻』歴代知事編纂会、400頁。
  3. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』379頁。

参考文献