試製五式十五糎自走砲

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試製五式十五糎自走砲 ホチ(しせいごしきじゅうごせんちじそうほう ホチ、試製5式15cm自走砲 ホチ)は第二次世界大戦末期に日本陸軍が計画した自走砲である。研究開発は第一陸軍技術研究所が担当した。

自走式の火砲としての研究自体は1941年(昭和16年)12月から開始された。これは車体に九五式重戦車を選定し、搭載砲には九二式十糎加農砲、または九六式十五糎榴弾砲を用いる予定だった。1943年(昭和18年)8月に試作車を竣工し、12月から試験を開始する予定が立てられていた。しかしその後、計画は放棄された。

1945年(昭和20年)2月、第一陸軍技術研究所は、十五糎砲を搭載する自走砲を再度検討した。これはアメリカ軍の大型戦車に対抗できる自走砲を開発する必要があったためである。計画では5月に設計を完了したのち大阪造兵廠で試作、8月に試作完了したのち大津川で竣工試験し、9月に大津川射場で機能試験、10月に伊良湖射場で砲を試射し弾道を試験、11月に実用試験というものであった。

構造としては九七式中戦車の車台に、九六式十五糎榴弾砲を砲架を改造して搭載する予定だった。実際に、砲は砲架を改造したものが大阪造兵廠で完成された。大津川射場で試射を行ったものの、車載されることはなかった。8月7日の段階で自走砲の図面が完成していたとされる。

ほか、1944年(昭和19年)度中に計画が中止されたとも1945年(昭和20年)に1輌が完成したとも言われている。

「ホチ」名称への疑念

この車両を「ホチ車」と呼ぶのは間違っているのではないか?そもそも、試製五式十五糎自走砲を「ホチ」と呼んだのは『四研史』(四研会 1982年7月)が初出である。自分が知る限り、公式書類で「ホチ」という名称が使われたのは、新砲戦車(乙)だけである。また、あくまで自論だが、以前使われた秘匿名称をそれ以降使うことがあるのだろうか、と思う。同じ名称が二つのものを指しているというのは、機密を扱う上で不便であり危険でもある。

砲戦車の秘匿名称の頭文字「ホ」から始まる車両で欠番は以下のとおりである。

「ホイ(二式砲戦車)」

「ホロ(四式十五糎自走砲)」

「ホハ(一式半装軌装甲兵車)※例外」

「ホニ(一式七糎半自走砲・一式十糎自走砲・三式砲戦車)」

「ホホ(同音反復より無し)」

「ホヘ」

「ホト(試製四式十二糎自走砲)」

「ホチ(試製新砲戦車(乙))」

「ホリ(試製新砲戦車(甲))」

「ホヌ」

「ホル(試製五式四十七粍自走砲)」

つまり、試製五式十五糎自走砲はホヘか、ホヌであってしかるべきなのでは?本車の構想が出現したのが昭和20年2月だから、おそらくホヌ車ではないだろうか?


では、ホヘは何か?っていう方のためにこんな資料を。「未完成兵器等一覧表(3)」(アジア歴史資料館 C14010956800)この14ページに「試製三式十五糎戦車砲」の未完成品が30門もあるんですよね。おそらくこの「三式十五糎戦車砲」をチハだかチヘだかに固定戦闘室で搭載したものが、ホヘ車だと筆者は考察しています。

参考文献

  • 佐山二郎「日本陸軍の火砲(5) 戦車砲/自走砲」『日本陸軍の戦車砲と自走砲』月刊グランドパワー10月号、ガリレオ出版、2008年。『四研史』(四研会 1982年7月)。未完成兵器等一覧表(3)」(アジア歴史資料館 C14010956800)。

関連項目