ウォルター・ギファード (初代バッキンガム伯)
初代バッキンガム伯ウォルター・ギファード(Walter Giffard, 1st Earl of Buckingham. ? - 1102年7月15日)は、アングロ=ノルマン貴族。
ウォルター2世・ギファード Walter Giffard | |
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初代バッキンガム伯 | |
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在位 | 1097年 - 1102年 |
全名 | ゴーティエ2世・ジファール |
死去 |
1102年7月15日![]() |
埋葬 | ノルマンディー、ロングヴィル=シュル=シー、ロングヴィル・ラ・ジファール小修道院 |
配偶者 | アニェス・ド・リブモン |
子女 | ウォルター |
家名 | ジファール家 |
父親 | ロングヴィル領主ウォルター・ギファード |
母親 | エルメンガルド・フレテル |
生涯
編集ウォルターは、ロングヴィル領主ウォルター・ギファード(1066年のヘイスティングスの戦いにおけるウィリアム征服王の数少ない協力者の一人)[1]と、ジェラール・フレテルの娘エルメンガルドの息子である[2]。父は107の領地を与えられており、そのうち48はバッキンガムシャーにあり、ウォルターは1085年までにこれを相続した[3]。拠点はバッキンガムシャーのクレンドンであった[4]。
ウォルターはシー川を見下ろすロングヴィルに重要な城を構え、バッキンガムシャーにも広大な領地を所有していた[5]。イングランドとノルマンディーの両方に領地を有していたため、ノルマンディー公ロベール2世とイングランド王ウィリアム2世の両方の家臣であった[5]。しかし、ウィリアム2世は海峡を越えた他の有力な領主たち同様にウォルターの忠誠心を得て、ウォルターの城をはじめとする他の城を要塞化し、王に雇われた騎士たちを駐屯させ、彼らはノルマンディー北東部を荒廃させた[5]。ウォルターはウィリアム2世のもとイングランド司法長官としても仕え[3]、1097年にウォルターをバッキンガム伯に叙したのもウィリアム2世によるものと考えられている[3]。ウォルターは、1101年にロベール2世がイングランド王ヘンリー1世を攻撃した際にイングランド侵攻に加わった大貴族の一人であった[6]。ウォルターは1102年7月15日にイングランドで亡くなったが、遺体はノルマンディーに戻され[2]、ノルマンディーのロングヴィル=シュル=シーの聖マリア教会に埋葬された[7]。
ジファールは、アンセルム・ド・リブモンの姉妹であるアニェス・ド・リブモンと結婚した[注釈 1][注釈 2][2][3]。相続人は息子の第2代バッキンガム伯ウォルターであった。
注釈
編集- ^ ウォルター・ジファールの未亡人アニェス・ド・リブモンは、ノルマンディー公ロベール2世の愛妾だったと伝えられている。アニェスとロベール2世がいつ、あるいは本当に不倫関係にあったのかは不明であるが、結婚すれば有力な一族の支援を受けると約束したという逸話がある。ウィリアム・オブ・マームズベリーは、たとえ真実でなくても面白い話が好きで、彼の『歴代イングランド王の事績』(Gesta Regun Anglorum)のある版では妻シビラの死をロベール2世の「愛妾」のせいにし、後の版では「助産婦」のせいにしている。シビラがロベールの愛妾だったという説はいくらありそうに思えても、ロベール2世が新妻で幼い息子の母親であるシビラを毒殺するのを傍観していたというのは、到底あり得ない。オルデリック・ヴィタリスは、このような話はロベール2世がノルマンディーを統治する資格がなかったという更なる証拠だと考えたのかもしれない[8]。この謎めいた物語には年代順の問題もあり、アニェス・ド・リブモンはシビラの死の時点では未亡人ではなかった可能性があり、もしそうであれば結婚する自由はなかった可能性がある[9]。
- ^ アンセルム・ド・リブモンは、領主であったランス大司教マナセ2世に宛てた、十字軍の状況を生き生きと詳細に描写した手紙で知られる。アンセルムは1099年のアルカ包囲戦で戦死した[10]。
脚注
編集- ^ Cokayne 1912, pp. 386–7.
- ^ a b c Schwennicke 1989, Tafel 695.
- ^ a b c d Cokayne 1912, p. 387.
- ^ Jenkins 1954, p. 379.
- ^ a b c Hollister 2003, p. 69.
- ^ Aird 2008, p. 204.
- ^ Aird 2008, p. 213.
- ^ Aird 2008, pp. 213–14.
- ^ David 1920, pp. 146–7.
- ^ Runciman 2000, p. 177.
参考文献
編集- Aird, William M. (2008). Robert Curthose Duke of Normandy. Woodbridge: The Boydell Press
- Cokayne, George Edward (1912). Vicary Gibbs. ed. The Complete Peerage of England Scotland Ireland Great Britain and the United Kingdom, Extant Extinct or Dormant. Vol. II. London: The St. Catherine Press, Ltd.
- Schwennicke, Detlev (1989). Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten, Neue Folge. Band III Teilband 4. Marburg, Germany: Verlag von J. A. Stargardt, Tafel 695
- David, Charles Wendell (1920). Robert Curthose. pp. 146-7
- Runciman, Steven (2000). The First Crusade. Cambridge, UK: Cambridge University Press. p. 177
- Jenkins, J. Gilbert (1954). “The Lost Cartulary of Nutley Abbey”. Huntington Library Quarterly 17 (4): 379.
- Hollister, C. Warren (2003). Henry I. New Haven & London: Yale University Press. p. 69
イングランドの爵位 | ||
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