エル・シグノ

メキシコのプロレスラー (1954-2024)

エル・シグノ(El Signo)のリングネームで知られるアントニオ・サンチェス・レンドン(Antonio Sánchez Rendón、1954年9月4日 - 2024年6月6日)は、メキシコプロレスラーである。メキシコ、オアハカ州オコトランの出身。

エル・シグノ
プロフィール
リングネーム エル・シグノ
ピロマニアコ
本名 アントニオ・サンチェス・レンドン
ニックネーム 悪童[1]
身長 172cm
体重 98kg
誕生日 (1954-09-04) 1954年9月4日
死亡日 (2024-06-06) 2024年6月6日(69歳没)
出身地 メキシコの旗 メキシコ
オアハカ州オコトラン
トレーナー ディアブロ・ベラスコ
デビュー 1972年2月1日
引退 2010年5月1日
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来歴

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1971年9月16日にオアハカ州でデビュー。デビュー当時はマスクマンであった。長らくUWA系、EMLL系のリングで活躍。1976年12月28日にメキシコシティにてエル・マテマティコを破りUWA世界ライト級王座を獲得。1979年6月24日にはティフアナボビー・リーからUWA世界ウェルター級王座を奪取した。

1970年代後半にはネグロ・ナバーロエル・テハノロス・ミシオネロス・デ・ラ・ムエルテLos Misioneros de la Muerte)を結成。ブラソ・デ・オロブラソ・デ・プラタエル・ブラソのロス・モスケテロス・デル・ディアブロと抗争を繰り広げた。1981年10月には新日本プロレスに初来日。以降1980年代に数度来日し、旧UWFの旗揚げシリーズにも参戦した。また、ユニバーサル闘龍門にも来日経験がある。

1995年にEMLLから独立したはAAAと契約。ピロマニアコPiromaniaco)のリングネームで活躍。1996年にはCMLLに復帰。1990年代後半からはセミリタイヤ状態になり、2010年5月1日にアレナ・ネサで引退興行が行われ引退した。

実子がエル・イホ・デル・シグノ英語版のリングネームで2008年にデビューしている。

2024年6月6日、69歳で死去[2]

得意技

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獲得タイトル

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LLI
EMLL

関連項目

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脚注

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  1. ^ 『'88プロレスオールスターSUPERカタログ』P81
  2. ^ Muere “El Signo”, famoso luchador mexicano, ídolo del Toreo de Cuatro Caminos” (スペイン語). www.record.com.mx (2024年6月9日). 2025年2月2日閲覧。