ノート:芦野東山
「芦東山」と「蘆野東山」の統合提案について
編集はじめまして。Category:江戸時代の儒学者に存在する「芦東山」「蘆野東山」は少しずつ記述に違いはあるのですがよく読むと同一人物のように思われます。同一人物で項目が複数にわたるというのはあり得ないことかと思われますので、そのように双方に統合を提案させていただきました。よろしくお願いいたします。--芋男爵(会話) 2016年3月24日 (木) 01:55 (UTC)芋男爵
- 上記のように以前「芦東山」と「蘆野東山」の統合が提案されましたが、反対はなかったのに統合が行われていませんので、同一人物であるのは明確であるため、再度、統合を提案いたします。統合後の記事名は内容が充実し、Web NDL Authorities(国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)に主項目として登録されている「蘆野東山」とすることを提案いたします。--曾禰越後守(会話) 2016年11月1日 (火) 01:48 (UTC)
- 賛成 「芦東山」「蘆野東山」は現在現時点で調べてみますと、同一人物であるように思われます。表記ユレで起きた間違いとして、統合されておいた方が良いように思います。--Sandra-horn(会話) 2016年11月3日 (木) 21:10 (UTC)
- ご賛同ありがとうございます。反対意見はありませんので、統合の作業を進めます。--曾禰越後守(会話) 2016年11月8日 (火) 10:22 (UTC)
- 賛成 「芦東山」「蘆野東山」は現在現時点で調べてみますと、同一人物であるように思われます。表記ユレで起きた間違いとして、統合されておいた方が良いように思います。--Sandra-horn(会話) 2016年11月3日 (木) 21:10 (UTC)
「蘆野東山」から「芦東山」への改名提案
編集| 2016年の統合提案に続けて 2025年の改名意見が付いていたので、セクションを分けました。ご了承ください。--miya(会話) 2025年7月22日 (火) 13:58 (UTC) |
芦東山という表題にした方がよいと存じます。なぜならば、芦東山という名前での執筆が多く、また、芦という姓に替えている点、また、芦東山で名が通っているからです。私は、蘆野東山は、聞いたことがありません。芦東山に替えていただきたい。--Gntrr2(会話) 2025年3月30日 (日) 13:39 (UTC)
- Web NDL Authorities(国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)に主項目として登録されているとありますが、この名前では登録されていません。芦東山で検索してみてください。「蘆野,東山」とは出てきますが。これは、蘆野東山ではありません。--Gntrr2(会話) 2025年3月30日 (日) 14:09 (UTC)
地元の記念館の名前も、「芦東山」記念館です。芦野東山という名前は出てきません。よって、芦東山と改名していただきたい 。--Gntrr2(会話)2025年4月11日 (金) 10:37 (UTC)
Wikipediaの記事名の付け方の筆頭に、 「1 認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。」 とあります。 芦東山は最も一般的に使われており、最も著名であります。改名に慣れていませんので、どなたか、芦東山に替えていただける方はおりませんか。--Gntrr2(会話)2025年4月13日 (日) 12:30 (UTC) 移動依頼ですが、芦東山は最も一般的に使われており、最も著名な名前であるため、蘆野東山の名前を変更してほしいです。移動以来の場合は、理由をここのノートに書くようにと書かれてありましたので、お願いいたします。----Gntrr2(会話) 2025年5月28日 (水) 11:10 (UTC)--Gntrr2(会話) 2025年5月28日 (水) 11:13 (UTC)
- 芦東山記念館の学芸員さんからの回答です。
蘆野東山の改名について
芦東山記念館に蘆野東山という名前について聞きましたら、以下の回答がありました。 以下。
「享保12年(1727)、岩淵幸七郎は仙台藩に芦姓への改姓を届け出認められています(『玩易斎遺稿』巻之九、文書類公文書)。以降、仙台藩からの文書は芦幸七郎など芦姓でもたらされています。 ただし、芦東山自身、書状のなかで「蘆野」と称する場合もあります。 このため双方ともに資料上で確認することができます。」
以上。
岩淵幸七郎とは、東山です。
Wikipediaでは。認知度の高い名前を採用するとありますので、芦東山とし蘆野東山を副としては如何でしょう。
芦東山(蘆野東山)
とか。--Gntrr2(会話) 2025年7月2日 (水) 11:11 (UTC)
- 結局その「蘆野東山よりも、芦東山のほうが認知度が高い」とする根拠はなんなのでしょうか? Gntrr2さんのコメントからは私はその根拠が読み取れないので、どちらの方を主とすべきか判断しかねます(少なくとも統合時は、「NDLが蘆野東山表記を使っているからWikipediaもそれに倣う」という判断根拠が示されています)。--Mmtraa7(会話) 2025年7月2日 (水) 14:53 (UTC)
- 国立国会図書館に聞いてみました。蘆野東山でも芦東山でもどちらも出てくると言っていました。しかし、なぜ蘆野東山が筆頭に出てくるのかはわかりかねるとのことでした。芦東山が江戸時代に執筆した無形録が一番有名な著書ですが、その署名が蘆野東山だったのでそうなったのかもしれません。Mmtraa7さんが、芦東山を全く知らないということですが、そういった知らない方々に、「蘆野東山よりも、芦東山のほうが認知度が高い」とする根拠はなんなのでしょうか?と問われましても、全く知らない人にどの様に説明したらわかってもらえるのだろうと相当に悩みました。明治以降と申しますか、昭和以降でもいいですが、本人を蘆野東山という名前で紹介しているものはほぼありません。芦東山です。
- 教育機関では、宮城県教育委員会発行の副読本『みやぎの先人集「未来への架け橋」芦東山』、一関市立大原小学校の校外学習で、6年生が芦東山先生について学んでいる、また、一関の芦東山記念館・・・また、芦東山という名前で、伝記や無形録が複数出版され、紹介されています。
- 無形録の原本の写し(原本は残っておらず、明治になって元老院版として出版された)に蘆野東山という署名があるとしても、明治に書かれた古書は漢文のみで書かれた書物で、一般人が目にすることはほぼありません。認知度が高いと申すより、はっきり言えば、芦東山しか聞いたことはないのです。宮城や岩手の子どもたちがインターネットで検索した時、Wikipediaで「蘆野東山」という名前が出るより、芦東山(蘆野東山)となっていれば、自分たちで調べようとしている「芦東山」を見つけやすいですし、無形録の署名が蘆野東山という名前だったという事もわかって良いと思います。いかがでしょうか。--Gntrr2(会話) 2025年7月4日 (金) 13:38 (UTC)
- 賛成 項目名変更には賛成、ただし「芦東山(蘆野東山)」ではなく「芦東山」に:NDL Authoritiesで「蘆野, 東山, 1696-1776」との表題を用いている[1]のは「無刑録」と「国史大辞典」が出典のようで、これはNDL Authoritiesが「利用者が求める資料を探し出せるように」作成されているためでしょう。しかし、ウィキペディアの項目としては、一般の人が目にすることが多いと思われる芦東山記念館や一関市の表記を採用するのが良いように考えます。以下、検索結果:
- 実際には「移動」でによる改名ではなく、移動を用いない編集作業が必要になりそうですが、ひとまず「項目名」としては「芦東山」に賛成します。--miya(会話) 2025年7月22日 (火) 16:08 (UTC) 趣旨明確化のため微修正しました。--miya(会話) 2025年7月23日 (水) 00:38 (UTC)
- miya様、ご理解ありがとうございます。
- 「芦東山」への編集作業が必要とのことですね。素人の私には益々できかねます。この度は。ご賛成いただき大変嬉しいです。よろしくお願いいたします。--Gntrr2(会話) 2025年7月23日 (水) 01:19 (UTC)
(反応が遅くなりすみません)反対意見も出なかったので、項目名は芦東山としてよさそうです。2016-11-01の統合提案時までにどちらも一定の内容が記されているため、履歴統合はしないほうがよさそうです。
- 「蘆野東山」特別:差分/61753470 (2016-11-01T01:42 生涯、性格・逸話、脚注、参考文献)
- 「芦東山」特別:差分/61753464 (2016-11-01T01:41 生涯、無刑録について、外部リンク)
手順としては
- 現在の「蘆野東山」の内容を、現在はリダイレクトになっている「芦東山」(特別:固定リンク/61850870)に転記
- その際、履歴継承に注意=>転記する際の要約欄に「蘆野東山2025-06-15T09:37UTCの版(特別:固定リンク/105238132)より転記」などと書く?
- 項目名に合うように内容修正
- 「蘆野東山」を「芦東山」へのリダイレクトにする
これでいかがでしょうか。ただ、履歴継承の要約の書き方はこれが最適か自信がありませんーもっと適切なものがあればご指摘を。--miya(会話) 2025年10月20日 (月) 13:33 (UTC)