三井資長
鎌倉時代中期の武将
三井 資長(みい/みつい すけなが、生没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将。通称は三郎。長門国の守護代三井氏の一族と見られる。妻は『蒙古襲来絵詞』で知られる竹崎季長の姉[1]。
文永の役で義弟の竹崎季長と共に蒙古軍と戦い、資長・季長と郎従3人の総勢わずか五騎で赤坂から敗走する蒙古兵を追い、祖原山から出撃した蒙古軍に突入して矢傷を負った。
季長が鎌倉の安達泰盛邸で戦功を訴えた際に、季長・資長と郎従が手傷を負った事が述べられている。

脚注・参考文献
編集脚注
編集- ^ 田島毓堂『蒙古襲来絵詞詞書本文並びに総索引「季長姉婿」』、15頁 。
- ^ 田島毓堂『蒙古襲来絵詞詞書本文並びに総索引「三井資長」』、15頁 。
参考文献
編集- 大倉隆二『「蒙古襲来絵詞」を読む』 海鳥社、2007年。
- 田島毓堂 編『蒙古襲来絵詞詞書本文並びに総索引』田島毓堂〈東海学園国文叢書 6〉、1975年 。