三原順
三原 順(みはら じゅん、本名:鈴木 順子[1]、1952年[2](昭和27年)10月7日 - 1995年(平成7年)3月20日[1])は、日本の漫画家。北海道札幌市出身。世の中にある問題を尖鋭的に書き続けた[3]。42歳で病没。
三原順 | |
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本名 | 鈴木順子 |
生誕 |
1952年10月7日![]() |
死没 |
1995年3月20日(42歳没)![]() |
国籍 |
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職業 | 漫画家 |
活動期間 | 1973年 - 1995年 |
ジャンル | 少女漫画 |
代表作 | 『はみだしっ子』シリーズ |
三原順のペンネームは、ファンであったグループサウンズバンド「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」のギタリスト・ボーカリスト三原綱木にちなむ[4]。また、生前は当人の意向により本名等は一切公表されていなかった[1]。
来歴
編集マンガ家デビューまで
編集中学時代からマンガを描き始め、高校時代から、別冊マーガレット(以下、「別マ」という。)まんがスクールに応募を始めた[2]。そこで「別マまんがスクール」始まって以来の問題児と呼ばれたのが、三原順である。当時「別マまんがスクール」を担当していた小長井信昌は当時の様子を「技術はあるし、ムードたっぷりの印象的な扉絵、かわいらしい絵柄で表情豊かなキャラクターで、パっと人の目を引く華があった。しかし描いてくる話は難解で、変わっていて、正直読みづらいところがあり、2年以上、鈴木光明も辛抱強く指導を続けて、三原順も辛抱強く投稿を続けて、戦いのようだった。」[5]と語っている。1973年(昭和48年)に14回目の投稿作「ぼくらのお見合い」でプロデビュー[6]。
はみだしっ子・ルーとソロモン
編集別マデビューから10作目[7]で、別マまんがスクールを担当していた小長井信昌が、集英社の子会社として白泉社の創立に参画し、編集長として1974年に創刊した少女漫画雑誌『花とゆめ』に三原順作品も掲載するようになった。
『花とゆめ』1975年1月号に読み切り作品として、短編「われらはみだしっ子」掲載。「はみだしっ子」の名は、編集長の小長井信昌が命名した。[8]編集長だった小長井信昌は「一般の読者には難解かと思ったが、「はみだしっ子」の愛らしさは少女の母性本能をくすぐるだろうと採用した。」[9]と述べている。その後連載となり、「はみだしっ子シリーズ」として、熱狂的なファンを獲得する。人間の内面世界の描写とストーリーの構成力が高く評価される一方、雑誌口絵や付録などの愛らしいキャラクター・イラストでも絶大な人気を集めた[10]。
『はみだしっ子』連載中の1975年9月に白泉社から創刊された少女漫画雑誌『LaLa』で連載をはじめた、コメディー色の強い『ルーとソロモン』も人気を博し、「花とゆめ」及び「LaLa」で多くのキャラクターグッズが製作された[11]。
1970年代は少女マンガにおいて、素材・テーマの多様性のみならず、表現方法・ドラマツルギー(作劇術)の多様性が一気に発展した。その中でも心理描写にもすぐれたユニークテーマで独自の地位を築いたのが、三原順である[12]。
当時の少女たちの間でのはみだしっ子の人気について、評論家の荷宮和子は著書『アダルトチルドレンと少女漫画』で、「親に捨てられた四人の事もを主人公にした少女マンガがなぜあんなにも受けたのか、アダルトチルドレンという概念を知った今だからこそよくわかる。『アダルト・チルドレンと家族』(斎藤学/学陽書房)中の229頁『親だって大変だったから、とだけは一切言わないことがアダルトチルドレンの治療のためには大事』という旨の一文は、『はみだしっ子』を貫くスタンスをそっくりそのまま言い表していると言えるだろう。」[13]と評した。
1981年「はみだしっ子」「ルーとソロモン」ともに連載終了。28歳だった。
ムーン・ライティング、SONS、他
編集単行本は『はみだしっ子』『ルーとソロモン』以外に短編集『ラスト・ショー』(1978年)、はみだしっ子のスピンオフ作品「ロング アゴー」を表題作とした『ロング アゴー』(1982年)を刊行。『夕暮れの旅』(1984年)に収められた1982年発表の作品「Die Energie 5.2☆11.8」では、1979年のスリーマイル島原発事故の3年後、1986年のチェルノブイリ原発事故より4年弱前に、原発問題を扱い、原発や社会問題へのさまざまな見方が登場人物たちによって語られた[14]。「エックス・デー」では、核時代に生きる人間たちのドラマを、日常の中でとらえた[15]。
『ムーン・ライティング』、『Sons』等では、執筆当時は社会に広く知られていなかったトロイの木馬などのクラッキング技術や、ポートフォリオなどの金融技術、マーフィーの法則などの知識を物語の背景に取り入れており、徹底した調査を行ってストーリーを構成し、少女マンガの枠からはみだした作品 [16]を発表し続けた。
死去
編集1995年3月20日 「ビリーの森ジョディの樹」を『別冊花とゆめ』に連載中に、心臓病で死去。享年42歳[17]。
没後
編集三原が没した当時、その単行本はすべて絶版で文庫版『はみだしっ子』以外の作品は入手困難となっていた。訃報も大きく取り上げられてはおらず、そのまま出版界から忘れ去られるかにみえた[18]。しかしファンたちは作品についてインターネット上で、同人誌で語り続け、三原作品の復刻を求める活動を生みだした[18]。
2000年、復刊ドットコムによる復刊第1号として、絶版になっていた三原順の絵本『かくれちゃったのだぁれだ』(チェリッシュ絵本館)が復刊[19]。本作の成功により、三原順の作品が次々と復刊されることとなった[20]。2000年末から翌年にかけて復刊ドットコムから、
- 『夢の中 悪夢の中』
- 『ビリーの森ジョディの樹』全2巻
- 『はみだしっ子全コレクション』
- 『はみだしっ子語録』
- 『ハッシャ バイ』
が復刊され、さらに
- 2002年 『三原順秘蔵作品集 LOST AND FOUNS』
- 2010年 復刻版『サウンド・コミック・シリーズ はみだしっ子』
も発売されることとなった。
2015年(平成27年)2月6日から、米沢嘉博記念図書館において、没後20年を機に「三原順 復活祭」開催[21]。当初は全4期で同年5月31日までの予定だったが、期間は6月14日まで延長された[22]。
- 2015年 白泉社文庫『三原順 LAST PIECE』出版
- 2015年 河出書房新社『総特集 三原順 ~少女マンガ界のはみだしっ子~』出版
作品の評価
編集漫画家の川原泉は、「順さんの作品全般に言える事ですが、正確な資料と技術に基づいた緻密な画面、エピソードを組み立てる構成力、ストーリーを徹底的に掘り下げていくパワー、テーマにたどり着くまでの集中力、そして他の類を見ないテーマの深さのその先で、読み手が何をすくい上げるかは、読み手の一人一人が心の内側で発見すべき問題かもしれません。」[23]と評した。
藤本由香里は、「三原順の作品は私たちに、複雑な、忌諱したい問題から目をそらさず、まっすぐに向き合うことを強いる。」[24]と評する。
人物・交友関係
編集既婚、ヘビースモーカーであった[25]。
別マまんがスクールから同期でデビューした漫画家のくらもちふさこ、くらもちともこ姉妹は、「はみだしっ子 Part1」に出てくるメガネの二人連れ女性のモデル。また『はみだしっ子』シリーズを通じて登場するオフィーリア(通称「フー姉さま」)は、くらもちふさこがモデルである。やはり同時期にマまんがスクールからデビューした笹生那実も、『はみだしっ子』の製作をしばしば手伝った[26]。
略歴
編集- 1952年(昭和27年) - 北海道札幌市で生まれる。兄が二人いる三人兄妹[6]。
- 1971年(昭和46年) - 北海道札幌南高等学校卒業[6]
- 1973年(昭和48年) - 短編「ぼくらのお見合い」でデビュー。
- 1975年(昭和50年) - 『はみだしっ子』を、雑誌『花とゆめ』(白泉社)に連載開始。
- 1976年(昭和51年) - 『ルーとソロモン』を、雑誌『LaLa』(白泉社)に連載開始。
- 1982年(昭和57年) - 『ロング アゴー』を雑誌『花とゆめ』及び『別冊花とゆめ』(白泉社)に連載[27]。
- 1986年(昭和61年) - 『Sons』を、雑誌『花ゆめEPO』(白泉社)に連載開始。
- 1993年(平成5年) - 『ビリーの森ジョディの樹』を、雑誌『別冊花とゆめ』(白泉社)に連載開始。
- 1995年(平成7年)) - 3月20日 病没[6]。
作品リスト
編集漫画
編集- ラストショー
- はみだしっ子(われらはみだしっ子、はみだしっ子シリーズ)
- ロング アゴー
- ルーとソロモン
- セルフ・マーダー・シリーズ
- Die Energie 5.2☆11.8
- X Day
- ムーン・ライティング
- Sons
- 夢の中 悪夢の中
- ビリーの森ジョディの樹
書籍
編集- 『ハッシャバイ : ねんねんころりよ〈三原順イラスト詩集〉』発行 白泉社〈チェリッシュ ブック〉、発売 集英社、1977年7月。国立国会図書館書誌ID:000001350323。
- 『はみだしっ子語録 : さまよう青春のみちしるべ』白泉社〈Heroine Book 1〉、1981年6月。ISBN 978-0276770005。
- 『はみだしっ子を中心にして(自製複製原画集)』復刊ドットコム、2015年5月。ISBN 978-4835452104。
- 『かくれちゃったの、だぁれだ』復刊ドットコム、2019年10月。ISBN 978-4835457031。
レコード
編集- 『サウンド・コミック・シリーズ はみだしっ子』キャニオン・レコード、1983年2月21日(LP C25G0164, CT 25P7265)。
- 谷山浩子のプロデュースでイメージアルバムが発売された。
脚注
編集- ^ a b c 『ぱふ』1995年10月号、雑草社。
- ^ a b 「マンガの前線 — 三原順さん」『朝日新聞』1977年12月6日。
- ^ ヤマダトモコ「三原順は、いつ少女マンガ界のはみだしっ子になったのか」『総特集 三原順』河出書房新社、2015年4月、79頁
- ^ 立野昧. “三原順さんの略歴”. 三原順メモリアルホームページ. 2025年10月12日閲覧。
- ^ 小長井信昌「小長井信昌インタビュー」『総特集 三原順』河出書房新社、2015年4月、64頁。
- ^ a b c d ヤマダトモコ「三原順年譜」『総特集 三原順』河出書房新社、2015年4月、74頁。
- ^ ヤマダトモコ『総特集 三原順』河出書房新社、2015年4月、76頁。
- ^ 三原順「あとがき」『はみだしっ子語録』白泉社、1981年6月、229頁。
- ^ 小長井信昌『わたしの少女マンガ史 : 別マから花ゆめ、LaLaへ』西田書店、2011年8月、244頁。ISBN 978-4-88866-544-5
- ^ “白泉社文庫 三原順特設ページ : 三原順 PROFILE”. 白泉社. 2025年6月26日閲覧。
- ^ 「三原順・キャラクターグッズの世界」『総特集 三原順』河出書房新社、2015年4月、48-52頁。
- ^ 小長井信昌『わたしの少女マンガ史 : 別マから花ゆめ、LaLaへ』西田書店、2011年8月、148頁, 152頁。ISBN 978-4888665445。
- ^ 荷宮和子『アダルトチルドレンと少女漫画 : 人並みにやってこれた女の子達へ』廣済堂出版、1997年7月、20頁。ISBN 978-4-331-50588-5
- ^ アムネスティ書評委員会 M.T. “書評連載2 : Die Energie 5.2☆11.8”. 国際人権NGO アムネスティ日本. アムネスティ・インターナショナル. 2025年8月13日閲覧。
- ^ 村上知彦「ぼくらの生きる時代の不安に」『サンデー毎日』1986年5月25日号、毎日新聞出版。
- ^ ヤマダトモコ「三原順は、いつ『少女マンガ界のはみだしっ子』になったのか」『総特集 三原順』河出書房新社、2015年4月、74頁。
- ^ 「三原順を忘れない」『総特集 三原順』80頁、河出書房新社、2015年4月
- ^ a b “〜没後20年展〜 三原順 復活祭”. 明治大学米沢嘉博記念図書館. 明治大学. 2025年8月13日閲覧。
- ^ “『かくれちゃったのだぁれだ』復刊第一号! 復刊ドットコム はじめの一歩”. 復刊ドットコム. 2025年8月13日閲覧。
- ^ 「三原順を忘れない」『総特集 三原順』82頁、河出書房新社 2015年4月
- ^ “〜没後20年展〜 三原順 復活祭”. 米沢嘉博記念図書館. 2015年2月1日閲覧。
- ^ “米沢嘉博記念図書館 展示・イベントアーカイブ2015年”. 米沢嘉博記念図書館. 2025年8月13日閲覧。
- ^ 川原泉「解説」『文庫本版 はみだしっ子 1』白泉社、1996年3月。ISBN 978-4-592-88211-4
- ^ 藤本由香里「三原順の倫理」『総特集 三原順』127頁、河出書房新社、2015年4月
- ^ 「三原順へ100のQ&A」『はみだしっ子全コレクション』白泉社 1982年5月。
- ^ 「対談 くらもちふさこ 笹生那実」『総特集 三原順』66頁、河出書房新社、2015年4月。
- ^ シリーズ最終話「ロング アゴー III」のみ『別冊花とゆめ』に掲載。
参考文献
編集- 小西優里、岸田志野、卯月もよ、穴沢優子 編『総特集 三原順 : 少女マンガ界のはみだしっ子』河出書房新社、2015年4月。ISBN 978-4-309-27579-6。
関連書籍
編集- 『三原順 All Color Works』白泉社、2020年3月。ISBN 978-4-592-73300-3。
- 『LOST AND FOUND : 三原順秘蔵作品集』主婦と生活社、2003年1月。ISBN 978-4-8354-4046-0。
- 『三原順 『はみだしっ子全コレクション』』白泉社、1981年6月。ISBN 4-592-73011-9。
外部リンク
編集- 「〜没後20年展〜 三原順 復活祭」|明治大学米沢嘉博記念図書館 - 2015年に開催された原画展覧会の記録ページ
- 白泉社文庫 三原順特設ページ|白泉社
- 三原順記念館
- TANUKICHI HOMEPAGE(1998年三原順展) - 1998年に開催された「三原順展」の報告ページ
- 三原順メモリアルホームページ - 立野昧による三原順メモリアル。最新の「三原順展」等の情報を掲載