三木鉄夫
日本の機械工学者・航空工学者
三木 鉄夫(みき てつお、1898年10月16日[1] - 1979年4月18日[2])は、日本の機械工学者・航空工学者。大阪府立大学・大阪工業大学名誉教授。工学博士(大阪大学)。元大阪帝国大学工学部航空学科創設者・教授。関西の航空工学研究の第一人者の一人。弟は衆議院議員を務めた三木喜夫[3]。
略歴
編集兵庫県姫路市出身[1]。1923年東北帝国大学卒業後、愛知時計電機航空機部門(のちの愛知航空機)で海軍関係の飛行機の設計製作に携わる。同社とドイツのハインケル社の提携により、ドイツ留学を経験。日本語による航空工学の著書第1号として、1932年「航空工学」(太陽堂)を出版(のちの第2号は川西航空機・小野正三より出版)。1938年大阪帝国大学工学部に航空学科を創設し[4]、同大学教授。1953年工学博士(大阪大学)[5]。その後、大阪府立大学(現:大阪公立大学)工学部機械工学科教授として航空コースを担当し、同大学航空工学科創設に協力[6]。同大学工業短期大学部長などを経て、大阪府立大学名誉教授。その後、大阪工業大学工学部に移り、機械工学科教授、機械工学教室を担当。1976年大阪工業大学名誉教授[7]。
大阪大学・大阪府立大学・大阪工業大学にて、初期の航空機械工学(のちの航空宇宙工学)研究・育成に貢献した。
主な所属学会は、日本機械学会、日本航空学会(現:日本航空宇宙学会)、日本航空技術協会、大日本飛行協会(現:日本航空協会)など。
主な著書
編集主な研究
編集脚注
編集- ^ a b 『日本人事録 西日本編4版』中央探偵社、1960年、p.1017。
- ^ 『研究者・研究課題総覧 人文・社会科学編 1981年版』日本学術振興会、1981年、人名索引48頁
- ^ 『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年、み20頁。
- ^ https://www.nagare.or.jp/download/noauth.html?d=37-5_kaiko13.pdf&dir=118
- ^ https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000010625800-00
- ^ https://www.aero-osakafu-u.jp/ootori/鵬ニュースレター_31号.pdf
- ^ https://www.oit.ac.jp/japanese/oit/officer1.html
- ^ https://cir.nii.ac.jp/crid/1390282680691178624?lang=ja
- ^ https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=201002027904539978