中丁
殷の第10代の帝
中丁(ちゅうてい)は、殷の第10代の王。仲丁とも書く[1]。
中丁 | |
---|---|
殷 | |
第10代王 | |
王朝 | 殷 |
都城 |
亳 隞(囂) |
父 | 太戊 |
※卜辞では仲丁(ちゅうてい)と作る。名は荘とも作る。 |
太戊(中宗)の子[1]。叔父の雍己より王位を継承し、『史記』によれば亳から隞(囂)に遷都した[1]。竹書紀年によれば治世6年目に藍夷を攻めたという。 在位は13年、11年、9年の三つの記述がある。弟の外壬が即位した[2][3][4]
中丁より後、殷は王族間の王位を巡る争いが激化し、盤庚までの9代100年に渡って国が乱れ衰える時代(九世之乱)に入り、兄から弟へと継承される制度(兄终弟及)は崩壊した。
脚注
編集- ^ a b c 『史記』殷本紀第3。新釈漢文体系『史記』1の127頁。
- ^ Bai, Shouyi (2002). An Outline History of China. Beijing: Foreign Language Press. ISBN 7-119-02347-0
- ^ “The Shang Dynasty Rulers”. China Knowledge. 2007年8月7日閲覧。
- ^ “Shang Kingship And Shang Kinship”. Indiana University. 2008年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月7日閲覧。