中動態(ちゅうどうたい、英語: middle voiceフランス語: voix moyenne) は、文法範疇のひとつであり、動詞の表す行為がその行為者自身に及ぶ場合にとる形態的特徴のことである[1]。中動態は純粋に意味に基盤を持っている[2]

呼称と定義

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中動態という呼称

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現在、middle voice という語の日本語訳には、いくつかの呼称が混在している。

最も一般的であるのは、中動態という呼称である。例えば、言語学大辞典[1]や明解言語学辞典[2]では中動態という呼称が用いられている。

中間態[3][4][5]中動相と呼ばれることもある。また、言語学大辞典によれば[6]、中間態 (neuter voice) は中動態とは定義が異なり、西部インドネシアの言語における、能動態でも受動態でもない未解明の態を指し示すとしている。すなわち、中間態という語に関しては、中動態と全く同じ意味内容を示す場合と西部インドネシアの言語における第三の態を示す場合の2パターンがあり、これはコンテクストによって異なる。

インド・ヨーロッパ祖語には、能動態と中動態があり、受動態はあとから生じたといわれており、中動態は受動の意味も示した[1]。このように、中動態は受動態の意味を含むため、英語: medio-passiveフランス語: médiopassif とも呼ばれ、中間受動[7]中間受動態[4]、また、中・受動態[1]中受動態[8]と訳されることがある。

また、英語においても中動態が存在すると主張されることがある(後述)。英語には、ギリシャ語の中動態のような明確な形態的区別がないため、Activo-passive (能動受動態) とも呼ばれた[5]

中動態の定義

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中動態という語の定義は研究者によって異なり、未だ一致をみていない。

例えば、古代ギリシア語サンスクリット語のような古代の印欧語における、動詞の屈折による体系のみを中動態と呼ぶ研究者もいれば、フランス語やドイツ語のような、再帰接辞(再帰代名詞)と動詞の組み合わせによる体系も含めて中動態と呼ぶ研究者も存在する[9]

中動態(middle voice)という語の定義については、Kemmer 1993, pp. 1–4 に詳しい。

概説

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インド・ヨーロッパ語族の言語では、動詞の態には主語から外に向けて動作が行われる能動態と、動作が主語へ向けて行われる中動態があった。能動態と中動態は人称語尾によって区別される。

たとえば古代ギリシア語では、直説法現在1人称単数能動態の λούω [loúō](私は洗う)は、中動態では λούομαι [loúomai](私は自分を洗う)と、人称語尾が変化する[1]。中動態と受動態は形態の上で区別されないことも多い[要出典]

古代ギリシアの文法学者ディオニュシオス・トラクスらによって書かれた『文法の技法』では、態を「配置・条件」を意味するディアテシス(διαθέσιςdiáthesis)と呼び、

  • ἐνέργεια [enérgeia] エネルゲイア:能動態 (active)
  • πάθος [páthos] パトス:     受動態 (passive)
  • μεσότης [mesótēs] メソテース: 中間的を意味する[1]、中動態 (middle)

の三つの文法カテゴリがあった[10][11]ラテン語では、能動態をactivum、受動態をpassivum とよぶ。

また、パーニニサンスクリットの動詞の態を「別人のための言葉」(parasmaipada、為他言)と「自身のための言葉」(ātmanepada、為自言)に分けた。

具体的には、

  • 自分に対する動作(従う・すわる・着る・体を洗う)
  • 動作の結果が自分の利害に関連する場合
  • 知覚・感覚・感情を表す動作(見る・知る・怒る)
  • 相互に行なう動作(会話する・戦う)

などに中動態を使用することが多い[12][注釈 1]

たとえば、サンスクリットや古代ギリシャ語では、「洗う」という動詞でも、

  • 「(道具、衣類、食べ物、赤子の身体や怪我人の傷などを) 洗う、洗ってやる」
  • 「(動作主が自分の手や足を) 洗う」

形態が別であり、後者を中動態と呼ぶ[13]

中動態は、姿勢の変化(例:座る、立つ)や身づくろい(例:服を着る、ひげを剃る)といった、動作主が自らの行為の影響を受ける状況を表すのが典型である[2]

中動態における主語も、動作を行いその動作の影響を受けるという点で、能動態や受動態の主語と似ている[14]。 中動態には、能動態・受動態と異なり、対応する能動的な動詞形がない中動動詞がある[15]

ヒッタイト語、梵語、ギリシャ語、ラテン語、古アイルランド語トカラ語フリギア語等の古期の印欧語の諸方言には、中動態があった[16]。中動態は次第に受動態を兼ねるようになり、後には受動態としての用法のみに変わって行った[13][注釈 2]

現代のヨーロッパの諸言語で態としての中動態が残っているのは、ギリシア語アルバニア語アイスランド語スウェーデン語など少数である。セム語には、中動態とよく似た意味をもつ派生動詞がある(ヘブライ語のヒトパエル形、アラビア語の第八派生形)。その他、ベンガル語フラニ語タミル語も中動態を持つ[要出典]

しかし、それ以外の言語、たとえばフランス語においての再帰動詞が中動態に似た機能を担っている[13]。古期の中動態と近代の印欧語における再帰態(ラテン語: reflexivum)には、主語自身に帰ってくる、または主語との関連の密接な動作を表す、受動の意味を表す傾きがある、などの共通点があり、言語学者の岸本通夫は、再帰態は中動態の代替物であるとする[16][注釈 3]

中動態は、再帰動詞でいう再帰 (reflexive) を指し、動詞の表す行為が、その行為者から出発して、その行為者に戻ってくる場合のことをいうが、再帰動詞という文法現象が起きるのは、印欧語のような主語を表す言語においてであり、日本語のような主語を必ずしも表わさない言語には生じない[17][注釈 4]

通言語的に見られる用法

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中動態は、姿勢の変化(例:座る、立つ)や身づくろい(例:服を着る、ひげを剃る)といった、動作主が自らの行為の影響を受ける状況を表すのが典型である[18]

Kemmer 1993, pp. 16–20 によれば、通言語にみて中動態には以下の12の用法がある[注釈 5]

①身嗜み用法(Glooming or body care)

「洗う」や「着る」といった動詞が典型である。

②移動のない動作用法(Nontranslational motion)

「向く」、「腰を曲げる」、「(体の一部を)伸ばす」といった動作についての動詞が用いられる。

③立居振舞い用法(Change in body posture)

「横たわる」、「座る」、「立つ」といった動詞が典型である。「跪く」、「しゃがむ」といった動詞とともに用いられる例も在証される。

上記の①から③は、意味的にはいわゆる再帰動詞(Reflexive verb)として扱われるものである。

④間接目的語用法(Indirect middle / Self benefactive middle)

動詞が表している動作において、動作主が受け手あるいは受益者である場合に用いられる。

「手に入れる」、「要求する」、「受け取る」といった動詞がよく見られる。

⑤相互行為用法(Naturally reciprocal events)

2人の参与者(Participant)の関係が相互的である動作や状態を表す。

「戦う」、「ハグする」、「会う」、「挨拶する」、「会話する」といった動詞が典型である。

④と⑤の用法は、再帰用法として上述の①~③の用法と同様に扱われることがある。

以下の用法は再帰的でなく、上記の用法とは意味的な隔たりがある。

⑥移動用法(Translational motion)

空間上のある道に沿って、自分自身によって引き起こされた運動・移動を表す。

「行く」、「来る」、「歩く」、「飛ぶ」、「走る」といった動詞が典型である。

⑦感情用法(Emotion middle)

感情的な反応を表す。

「怒る」、「おびえる」、「悲しむ」、「喜ぶ」といった動詞がよく見られる。

⑧感情的発話用法(Emotive speech actions)

感情を表出させるタイプの発話行為を表す。

「不満を言う」、「呪う」、「悔やむ」、「嘆き悲しむ」といった動詞が典型である。

⑨その他の発話用法(Other speech actions)

その他のタイプの発話行為を表す用法は比較的よく見られる。特に、感情的な含みを伴う場合が多い。

「告白する」、「自慢する」といった例がみられる。

⑩認識用法(Cognition middle)

中動態標識(middle marker)はまた、精神的な状態や過程を表す動詞とともに現れることが多い。

「考える」、「瞑想する」、「思い出す」、「忘れる」、「思う」といった例がみられる。

⑪自発用法(Spontaneous events)

何かが自然に進んでいくことを表す。

「成長する」、「腐る」、「乾燥する」、「バラバラになる」、「蒸発する」といった動詞がみられる。

⑫話者指示用法(Logophoric middle)

アイスランド語と古ノルド語にみられる用法。

従属節によって表される事象の動作主(Agent)または経験者(Experiencer)が、主節の主語と一致する場合の用法。この時、中動態標識(Middle Marker, MM)が「言う」や「信じる」といった動詞とともに用いられる。

    アイスランド語
Hann  kve-zk  hafa  farit  at  leita  þjóstolf-s 
he  said-MM  to.have  gone  to  seek  Thjostolf-GEN 
彼は、自分は Thjostolf を探しに行ったと言っていた (Kemmer 1993, p. 20)

⑬受身用法、非人称用法、難易中間構文用法(Passive, Impersonal, Facilitative middle)

参与者(Participant)は、中動態をとっている動詞の主語(Subject)として表され、無標(中動態でない)の動詞語根の目的語に対応する。すなわち、どちらも意味的には被動者(Patient)である。

動詞が中動態:     P(被動者) + 動詞(中動態) 

動詞が中動態でない:  A(動作主) + 動詞(中動態でない) + P(被動者

この用法では、動作主は存在するものの明示されない。

サンスクリット

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サンスクリットでは中動態が広く使われる。例えば、能動態の yajati「祭祀する」は、祭官が他人のために祭祀するときに使い、中動態の yajate は祭主が自分のために祭祀するときに使う[19]。サンスクリットの伝統文法では反射態 (reflexive) と呼ばれることが多い。

能動態のみ、または中動態のみしか存在しない動詞も多い。後者の例には manyate「考える」などがある。時制によって態が変わる動詞もある。

現在時制では、形態の上で中動態と受動態が区別される。それ以外では中動態によって受動態の意味を表すことが多い。

ギリシア語

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古代ギリシア語には中動態がよく残っている。たとえば能動態 λούω「私は洗う」に対して中動態 λούομαι「自分を洗う」。

動詞によっては中動態のみが存在する。例: μάχομαι「戦う」。また、時制によって異なる態を持つことがある。たとえば、ἀκούω 「聞く」は、現在形では能動態だが、未来では ἀκούσομαι と中動態になる。

形態の上ではアオリストおよび未来でのみ中動態と受動態が区別される。

現代ギリシア語においても中動態は残っており、たとえば能動態 λούζω「(主に髪を)洗う」に対して、中動態 λούζομαι「洗髪する」。

ラテン語

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ラテン語の受動態は中動態に由来し、実際に中動態的な意味を残していることがある。たとえば、能動態の verto が何かの向きを変えるという意味であるのに対し、受動態の vertor は自分が向きを変えることを意味する[20]。対応する能動態を持たない動詞 (deponentia) は中動態的である。例: sequor「追う」、imitor「まねる」、loquor「話す」。上の例にも見られるように、ラテン語を含むイタリック語派ケルト語派アナトリア語派トカラ語派などでは、中動態(受動態)の人称語尾は -r が加えられることを特徴とし、サンスクリットやギリシア語などと異なっている。この -r の起源は非人称形にあると考えることができる[21][22]

アルバニア語

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アルバニア語は、ギリシア語と並び、受動態や再帰動詞の機能を兼ね備えた中動態を現在でも用いる印欧語のひとつである。アルバニア語には、多くの他動詞に能動態と中動態の区別が存在する。例えば能動態 afroj「近づける」に対して中動態 afrohem「近づく」。

中動態には時制や法により2種類の形態が存在し、直説法現在時制のように能動態と異なる人称語尾をとる場合と、直説法単純過去形や願望法現在形のように能動態に不変化詞 uを前置する場合に分かれる[23]

アイスランド語

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アイスランド語には、動詞末尾に接尾辞 -st がつく一群の動詞があり、中動態(Miðmynd)と呼ばれることがある。動詞によって様々な意味を持つものの、以下のような意味のタイプがみられる[24]

  1. 再帰的な行為    klæðast「(服を [与格] )着る、着ている」 < klæða + 対格「~に服を着せる」
  2. 相互的な行為    kyssant「互いにキスをする」       < kyssa + 対格「~にキスする」
  3. 自然発生的な事態  opnast 「(自然に)開く」         < opna + 対格「~を開ける」
  4. 受動的な意味    fást 「手に入れられる」        < fá + 対格「~を手に入れる、得る」
  5. 行為や事態の達成  komast「たどり着く」          < koma + 対格「来る」

すべての動詞において動詞の st 形が作れるわけではなく、元の動詞の意味との乖離が大きい場合も多い[24]

フラ語

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西アフリカで話される、ニジェール・コンゴ語族フラ語においても中動態が見られる[2]

  a.  'o  loot-ii  ɓiyiko 
彼女  洗う-gen-pst-act  子供 
彼女は子供を洗った
  b.  'o  loot-ake 
彼女  洗う-gen-pst-mid 
彼女は自分自身を洗った

英語

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英語では、中動態は形は能動態であるが、受動態の意味を表わす態を指すとも説明される[5]

  • The book sells well.
  • The flower smells sweet.

のような、形は能動態であるが受動態の意味を表す態があり、中動態と呼ぶ[5][25]。ただし、この態については、言語学者によって様々な名称を与えており、オットー・イェスペルセンは、ギリシャ語の中動態を middle voice と呼び、英語におけるこの態は、明確な形態的区別がないため、Activo-passive (能動受動態)[26]、または Pseudo-passive (擬似受動態)と呼んだ[27]

ヘンリー・スウィートによれば、目的語なしに使われる他動詞があり、その文法的主語が論理的には直接目的語であるような態があるという。

  • 例文:The book sells well. (意味は、They are selling the book well.)
  • 例文:Meat will not keep in hot weather.(意味は、We cannot keep meat in hot weather.)

これらの文では動作主が表現されていない。この構文におけるsell や keep といった動詞を、Passival verb (受動的動詞)と呼んだ[28]。Curmeは受身の力を持つ自動詞 (Intransitive with passive force)と呼ぶ[29][5]

このように英語における、中動態は、形は能動態であるが受動態の意味を表わす態であり、中動態における主語は、意味的には動詞の目的語になっている。変形文法でいえば、中動態における主語は、深層構造において動詞の目的語になっており、それがなんらかの変形によって、主語の位置に移され、表面構造において主語となったといえる[5]。これは受動態変形(Passive transformation)において典型的であることから、柳内忠剛は、英語における中間態は、受動態変形によって導かれたとみる[5]

受動態は、外的動作主によって媒体(目標)が影響を受けることを表現する。

一方で、中動態では、動作主がいないままで中間媒体が変化することを表現する。

  • 例文: The casserole cooked in the oven. (オーブンの中でキャセロールが焼けている)(中動態)

これらの英語の例では、中動態においても、受動態においても、動詞の屈折は同様であるが、過去分詞によって間接的に動作主を表現することができるかどうかによって異なってくる。受動態では次の例文のように動作主を表現することができる。

  • 例文:The casserole was cooked in the oven by Lucy.(ルーシーによって、オーブンの中でキャセロールが焼かれている) (受動態)

しかし、中動態においては、次の例文のように、文法上間違いとなる。

  • 例文:*The casserole cooked in the oven by Lucy.(*ルーシーによって、オーブンの中でキャセロールが焼けている)(中動態)

英語では、中動態の動詞の形はないが、文法学では、再帰代名詞を用いた使用法が、中動態として分類されることがある。 能動態 "Fred shaved John" や受動態"John was shaved by Fred" に対応して、"Fred shaved"は、"Fred shaved himself" と変化させることができる。このことは、"My clothes soaked in detergent overnight."(私の服は一晩中洗剤に浸された)のように、再帰的でない場合もある。

英語では、次の例文の動詞が能動態の非対格動詞 (unaccusative verb)なのか、能動的形態を持った中動態の反使役動詞なのかを形態論から判断することは不可能である[30]

  • 例文: The window broke from the pressure/by itself.

しかし、能動的形態を持った、再帰的な中動態(middle voice reflexives)と、傾向的な中動態(dispositional middles)が次の英語例文にもみられる。

  • 例文:This book sells well.

こうして、少なくとも能動的形態を持った、中動態の逆使役形(middle voice anticausatives) がいくらかはあると想定することができる[31]。英語には パッシヴァル(passival)と呼ばれる異形態があったが、19 世紀初頭にプログレッシブパッシブ (progressive passive、進行形受動態)に取って代わられ、英語では使用されなくなった[32][33]。passivalにおいては、"The house is building."という表現があった(現在では "The house is being built." と表現される)。同様に、 "The meal is eating." という表現があった(現在では "The meal is being eaten."と表現される)。ただし、 "Fred is shaving." と "The meal is cooking." は文法的には可能である。プログレッシブパッシブはロマン派詩人によって広められ、ブリストルでの使用法と関連していると指摘されている[32][34]

フランス語

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中動態はとりわけギリシア語にみられるが、文の主語が動作主であると同時に目的語であることを示す場合は、フランス語の代名動詞に対応する[35]

  • 例文: Pierre se lave. (ピエールは(自分の)体を洗う)

また、主語が動作主と異なることを示す場合は、フランス語の自動詞に対応する[35]

  • 例文: La branche casse.(枝は折れる)

さらにまた、行為の受益者が動作主であることを示す場合は、フランス語では二重補語の代名動詞に対応する[35]

  • 例文:Pierre se lave les mains. (ピエールは(自分の)手を洗う)

代名動詞(フランス語: verbe pronominal、英語: pronominal verb)は、動詞の主語と同じ人称の再帰代名詞(me/te/se/nous/vous)を用いる動詞で、インドヨーロッパ基語の中動動詞に対応する[36]。代名動詞では、主語と動作主(両者は異なることもあるが)が、自らのために自分たち自身に行為を及ぼし、自動詞のように目的語がなくてもよい[36]。代名態には次の3種類ある[36]

  • 1)目的語のない自動詞に対応し、能動形は異なる意味を持つか、または存在しない[36]
    • 例: s'enfuir    (逃げる:対応する能動形:なし)/ 例文: il s'enfuit.  (彼は逃げる)
    • 例: s'apercevoir de  (…に気づく)(対応する能動形:apercevoir (見つける))
  • 2)対応する受動形が完了相を表す代名動詞。伝統文法では、受動の意味を持つ代名動詞ともいわれる[36]
例:Ça se fait.(それはされる) C'est fait. (それはできた)
  • 3)再帰的および相互的代名動詞。動詞の補語は、能動文の主語と同一で、単数ないし複数の再帰代名詞に置き換えられている[36]
例:Paul lave Paul. → Paul se lave. (ポールは(自分の)体を洗う)

内容類型学の視点から

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内容類型学では、活格言語には能動と受動という態(内容類型学では相と呼ばれる)の違いはないとする[37]

活格言語において、態的な違いは見られず、相(ディアテシス)的な違いのみがみられる。活格動詞(または動態動詞)は遠心相(Centrifugal version)非遠心相(Non-centrifugal version)に区別される。これらはそれぞれ、非求心相、求心相と呼ばれることもある[38]

遠心相(非求心相):活格動詞が表す動作が主語の外部に向いている。例:「燃やす」、「導く」、「咬む」

非遠心相(求心相):活格動詞が表す動作が主語の内部に閉じこもる。例:「燃える」、「行く」、「咬まれる」

     ナバホ語
 yì-bééž             yì-ɫ-bééž 
 未完了-沸く           未完了-遠心相-沸く 
「それが沸いている」        「彼はそれを沸かしている」

一見したところ、他動詞と自動詞の違いに見えるものの、活格言語においては他動詞と自動詞は文法的なカテゴリーではないため、これらは他動詞・自動詞とは異なるものとして考えられなければならない[39]

印欧祖語における、能動態と中動態の対立は、実は遠心相と非遠心相であった可能性が高いと考えられる[40][38]

能動欠如動詞

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能動の意味は保持しているものの、能動の屈折を放棄して(:dēpōnere)、中動態・受動態の屈折をとった動詞を、能動欠如動詞(英: deponent、仏: déponent)という[41]。すなわち、形は受動態あるいは中動態であるものの、意味は能動的である一群の動詞のことを指す[42]

日本語では、異態動詞、形式所相動詞、形式受動相動詞、形式受動態動詞と呼ばれることもある。能動欠如動詞は、インド・ヨーロッパ祖語の中動態の残存と指摘されている[43]

能動欠如動詞には、例えばラテン語の loquor 「話す」がある[42]

ラテン語の動詞には、現在組織(present system)では能動態を取り、完了組織(perfect system)では受動態を取るものがある。例えば、audeo 「敢えてする」は現在組織において、現在形:audeō 、不定形:audēre と能動態であるが、完了形は ausus sum と受動態をとる。このような動詞のことを、半異態動詞(semi-deponent verb)という[42]

能動欠如動詞は、フランス語の自動詞あるいは代名動詞に対応する[41]

  • ラテン語 mori:フランス語 mourir  「死ぬ」
  • ラテン語 fungi:フランス語 s'acquitter de 「…を履行する」

ただし、

  • ラテン語 sequi:フランス語 suivre「後を追う、従う」のように他動詞に対応する場合もある。

現代思想における議論

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フランス現代思想研究者の國分功一郎は著書『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院2017)で、中動態について論じた。これに対して、言語学者の小島剛一は國分の中動態理解について批判している。

國分は、「私たちは能動態/受動態という二分法で切り分けられた文法世界に生きている」と述べた[44]が、この陳述は、「私たち」がヨーロッパ諸語の話者である場合には正しいが、日本語話者に関しては間違いである[45]

また、國分は「なぜ私たちは能動態と受動態という区別を捨てられないのか」と述べるが、能動態と受動態の具わっている言語の話者は、二つの (英語: voice) のうちの一つを捨てることはないと小島は批判する[45]

また、國分は、「我々は、中動態を失うことによって何を得たのか?」というが[46]、「我々」はどの言語の話者を指しているのかを述べないと、意味を成さず、印欧諸語の中動態は、少しずつ受動態に変貌したのであり、また、フランス語のように「中動態」と同じ機能を持つ再帰動詞を発達させた言語もある[45]

このように國分は、「世界の言語には、中動態があまねく存在した。日本語にもあったはずだ」と考えていることが推定できるが、これは荒唐無稽な妄想であり、日本語にはそんな痕跡もなく、また、世界には、例えばラズ語のように、能格構文のある言語では、態の存在しない言語が多数ある[45]

國分は、日本語の動詞型派生接辞「-れる/られる」とヨーロッパ諸語の「受動態」が等しいと前提したうえで陳述しているが、両者は本質的に別物で、日本語で受動態に相当するのは、少数の動詞にのみ具わっている「○○てある」という形態である[47][48]。日本語の「れる・られる」の新用法は、受動態の誤った逐語訳から成立してしまったもので、動作主を明示しないで済ませるための方策であるため、文意が必ず曖昧になる(擬似受動態)[48]。日本の外国語教育では、ヨーロッパ諸語の受動態を「れる・られる」で置き換える習慣が定着しているが、両者は本質的に異なり、ヨーロッパ諸語の受動態は、情動を表わさない[48][注釈 6]

中動態は、日本語に古くから具わっている情動相とも、現代日本語でヨーロッパ諸語の受動態を誤解して逐語訳したために成立してしまった「擬似受動態」とも、無関係である[13][注釈 7]。言語学の立場から見ると、國分は形態[注釈 8]も態を理解していないと小島は批判する[45]

國分の2017年の〈私たちがこれまで決して知ることのなかった「中動態の世界」〉という記事[50]について小島は、「私たちがこれまで決して知ることのなかった」と、自分が知らなかったからと言って、読者を上から目線で、過去の自分と同様に無知と決めつけるのは、礼節を弁えない言動であるし、国分よりも何十年も前から知っている人が日本人言語学者にもいたので、誇張である[51]

また、国分は「誤解を恐れずに単純化して言うと、中動態というのは、「する」と「される」の外側にあるものです。私たちは様々なことを、「する」(能動)か「される」(受動)に分類してしまいます。」と陳述するが、「誤解を恐れずに(・・・)言うと」は、虚勢話法(東大話法)であり、「「する」と「される」の外側にあるもの」という文字列は、日本語として意味を成していない[51]。国分は「能動態でも受動態でもない動詞」と言いたいようだが、動詞に能動態と受動態の具わっている言語では、動詞は能動態か受動態かのどちらかで、どちらでもない形態は、存在せず、また、「能動態か受動態か」は、形態構文の分類であって、個々の動詞の意味範囲とは無関係であるので、この陳述は成立しない[51]

日本語には、「情動相[注釈 9]や「結果相[注釈 10]」はあるが、印欧諸語のような「能動態/受動態」の対立ではないので、同一視して比較することは間違っている[51]

中動態は、古代の印欧諸語で、「自分の手を洗う」「自分の髪を切る」など、動作が自分自身(の一部)を対象とする場合を特別に表わす形態である[51]。日本語の動詞には、これと逆に「洗ってやる」「切ってあげる」のように、動作が他者のためである場合を特別に表わす形態が具わっており、各言語に独自の文法体系があり、少し似ているだけで軽々に同一視するのは、浅はかだけでなく、危険である[51]

また、国分は、「「謝る」や「仲直りする」は、「する」と「される」の分類では説明できない」と陳述するが、これは〈能動態とも受動態とも分類できない〉と言いたいのだろうが、「能動態/受動態」の対立を理解していないので、分類できないのは当然であるし、英語とフランス語では、受動態は他動詞に具わるが、「謝る」と「仲直りする」に相当する表現は、英語とフランス語でも、他動詞ではないので、例として「謝る」や「仲直りする」を持ち出すこと自体が間違いである[51]

國分は「「謝る」が能動として説明できないからといって、これを受動で説明することもできません。できないというか、それを受動で説明しようものなら、大変なことになってしまうでしょう(もちろん、謝罪会見では、多くの人が「私は謝罪させられている」と思っているでしょうが)」と陳述するが、「謝る」と「謝罪する」は、類義だが、別語で、「謝罪させられる」は、「謝罪させる」という使役相に情動相の「-られる」を付け加えた形態であり、論点が二重にずれており、日本語の分析があまりにも雑であり、國分は、自分が何と何を対比しようとしているのか分かっていないと小島は批判する[51]

國分は「中動態の世界」という存在しない「世界」について陳述するが、特定の言語の構造全体は比喩的な意味で「世界」と呼び得るが、言語の構造の一部だけに注目してそれを「世界」と呼ぶのは間違いであると小島は批判する[52]

國分の同書は小林秀雄賞を受賞した[53]が、選考委員の加藤典洋養老孟司関川夏央堀江敏幸橋本治らが選評で、内容が理解できないと明言しながら受賞を決定したことなど、杜撰な選考についても批判した[52]

脚注

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注釈

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  1. ^ 実際には単なる慣用になってしまい、なぜ中動態を使うのか判然としない場合も多い[要出典]
  2. ^ なお、受動態も時と共に様相が変わって行き、また、言語ごとにも異なる[13]
  3. ^ 言語学者の小島剛一は、逐語訳での「中動態」よりも、「再帰態」か「自己態」と翻訳するほうがよいとする[13]
  4. ^ ただし、トルコ語には、再帰動詞語幹をつくる接辞がある。
  5. ^ 各用法の訳については中村 2004, pp. 140–142を参照
  6. ^ 例えば、「親に死なれた」を受動態で訳すことは出来ない。また、ヨーロッパ諸語の受動態のうち、動作主を示さずに動作の目に見える結果のみを表わす用法は、日本語にも昔から具わっている。たとえば、「黒板に字が書いてある」という表現がこれに該当する。これに対して、「黒板に字が書かれている」は擬似受動態である[48]
  7. ^ 日本語の情動相には「風に吹かれて歩く」「この子は、母親に死なれた」のような用法があるが、ヨーロッパ諸語の受動態でこれを翻訳出来ない。また、日本語では「子供が誘拐された」と「子供を誘拐された」は意味が違うが、これもヨーロッパ諸語の受動態で訳し分けることは出来ない[13]
  8. ^ 國分は「思考は言語によって規定されている。表現されるために言語が必要であるだけでなく、その表現のための形態が思考の過程そのものの形態である。だから、言語化される以前の思考が心の中にあって、表現される際に言語化されるのだと考えることはできない。」と書く[49]が、この文章は、無用な擬似受動態で溢れている上に「形態」が何を指すのか意味不明で、奇を衒うのが趣味で読者を煙に巻いては悦に入っている[45]
  9. ^ 「子供に泣かれて困った」「犬に吠えられた」「敵に謀られた」
  10. ^ 「財布が落ちている」「客が坐っている」「黒板に文字が書いてある」

出典

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  2. ^ a b c d 古賀 2015, p. 18
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  6. ^ 亀井, 河野 & 千野 1996, pp. 910–911, 中間態
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  8. ^ 大亦菜々恵「ヒッタイト語の自他動詞対データと収集・分析の問題点」東京大学言語学論集』42 (2020.9) e41-e50
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  53. ^ 第十六回小林秀雄賞

参考文献

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言語学

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  • 高津春繁『印欧語比較文法』岩波書店、1954年。 
  • 古賀裕章 著「ヴォイス(態)」、斎藤純男; 田口善久; 西村義樹 編『明解言語学辞典』三省堂、東京、2015年。ISBN 9784385135786 
  • 志波彩子「スペイン語のse中動態(再帰構文)における可能の意味」『名古屋大学人文学研究論集』第3号、175-195頁、2020年。 
  • 辻直四郎『サンスクリット文法』岩波書店、東京、1974年。 
  • 直野敦 編『アルバニア語基礎1500語』大学書林、1986年5月30日。ISBN 978-4-475-01099-3 
  • 中村芳久『シリーズ認知言語学入門〈第5巻〉認知文法論Ⅱ』大修館書店、東京、2004年。ISBN 9784469212853 
  • 柳内忠剛「英語における中間態について」Artes liberales No.5, p.41-47, 1969-01-25,岩手大学教養部
  • 山口巌『類型学序説: ロシア・ソヴエト言語研究の貢献』京都大学学術出版会、京都、1995年。ISBN 978-4876980253 
  • 山口巌「活格言語類型の論理」『山口巖教授停年記念論文集』、日本古代ロシア研究会、京都、661-676頁、1998年。 
  • Kemmer, Suzanne (1993), The Middle Voice, Amsterdam: John Benjamins Publishing Company, ISBN 978-1556194115 
  • Palmer, Leonard Robert (1954). The Latin Language. Faber and Faber 
  • A New English Grammar, Logical and Historical. Oxford: Clarendon Press. (1891). https://archive.org/details/newenglishgramma01swee 

言語学以外

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関連項目

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