五十嵐久
日本の騎手 (1971-1995)
五十嵐 久(いがらし ひさし、1971年3月7日 - 1995年4月11日)は、日本の騎手(日本中央競馬会)。鹿児島県出身。旧姓は「水流添(つるぞえ)」。
| 五十嵐久 (水流添久) | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 | 鹿児島県 |
| 生年月日 | 1971年3月7日 |
| 死没 | 1995年4月11日(24歳没) |
| 騎手情報 | |
| 所属団体 | JRA |
| 所属厩舎 | 平井雄二(美浦) |
| 初免許年 | 1989年 |
| 免許区分 | 平地・障害 |
| 騎手引退日 | 1995年4月11日(死亡) |
| 重賞勝利 | 1勝 |
| G1級勝利 | 0勝 |
| 通算勝利 | 45勝 |
来歴
編集競馬学校5期生。同期入学に小野次郎・小池隆生・佐伯清久・佐藤哲三・高橋明・角田晃一・山田泰誠がいる。 1989年、3月に美浦・平井雄二厩舎の所属騎手としてデビュー。同年6月3日、東京競馬第5日第2競走でパッショナリアに騎乗し初勝利。 平地・障害両方の免許を所有していたが、デビュー年より障害競走にも多く騎乗していた。
1990年、中山大障害(秋)にて重賞初騎乗。(騎乗馬:オキノトモヅナ、3着)
1991年、スプリンターズステークスにてGI競走初騎乗。(騎乗馬:アドバンスモア、14着)
1994年、中山大障害(秋)を最低人気(8頭立て)だったローズムーンで制し、重賞初勝利。
1995年、4月11日夜、美浦トレセン内の私道をオートバイで走行中に鉄パイプ製の柵に激突する交通事故を起こし、直ちに美浦中央病院に収容されたが同日頸椎骨折のため死亡した。24歳。通算成績736戦45勝(うち障害164戦16勝)。なお、最終騎乗となった4月9日の障害未勝利戦ではネイビーソルジャーに騎乗し勝利している。