交野時万(かたの ときつむ、天保3年5月19日1832年6月17日) - 大正3年(1914年1月17日[1])は、幕末から明治時代にかけての公卿華族子爵)。

安政5年(1858年)、日米修好通商条約締結に反対し、父の交野時晃とともに廷臣八十八卿列参事件に参加した。明治維新後は議奏に任ぜられ、氷川神社大宮司を務め、子爵に列する。明治21年(1888年)には御歌所の参侯に任ぜられた。

官歴

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系譜

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脚注

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  1. ^ 交野時万」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社https://kotobank.jp/word/%E4%BA%A4%E9%87%8E%E6%99%82%E4%B8%87コトバンクより2025年6月9日閲覧 
  2. ^ 『官報』第308号「叙任」1884年7月9日。
  3. ^ 『官報』第3678号「叙任及辞令」1895年10月1日。
  4. ^ 『官報』第7477号「叙任及辞令」1908年6月1日。

出典

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  • 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。 
  • 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。 
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
交野家初代
1884年 - 1914年
次代
交野時正