南葵文庫
南葵文庫(なんきぶんこ)は、1902年(明治35年)に紀州徳川家当主徳川頼倫侯爵が東京府麻布区飯倉の自邸内に開設した私立図書館[1]。


概要
編集この私設図書館は、華族の徳川頼倫侯爵が古書の散逸を防ぐために自邸内に設置したものである[2]。一時期一般に公開されたこともあったが、関東大震災があった翌年の1924年(大正13年)に、蔵書は火災で全焼した東京帝国大学の附属図書館に寄贈され、文庫は閉鎖された[1]。
さらに、昭和2年(1927年)4月4日、300点の紀州家伝来の東山御物、駿河御譲分物、柳営御物の他、伏見宮家伝来の阿仏尼本『源氏物語』の収められた「梨子地源氏蒔絵歌書箪笥」が売却され、紀州家の所蔵品はほぼ散佚した[3][4]。この間の事情は、文庫主事の高木文「南葵文庫の興廃」に詳しい[5]。
ただし長子の徳川頼貞が収集した音楽資料コレクションは、「南葵楽堂図書部」として旧南葵文庫事務所で公開された[6]。なお、東大図書館に寄贈された資料の一部はその後デジタル化され、2022年(令和4年)に公開されている[7][8]。
旧南葵文庫
編集文庫の建物は、東大図書館の分館として使用されたのち、1899年(明治32年)竣工の旧館を残して取り壊され、旧館は1933年(昭和8年)に頼倫の子・頼貞の別邸があった大磯に移築された[1]。その一部であるルネサンス様式の洋館は1987年(昭和62年)に移修改築されて熱海市伊豆山のホテル「VILLA DEL SOL」となり[1][9]、2008年(平成20年)には国の登録有形文化財に登録されている[9]。2016年(平成28年)現在、星野リゾート所有[9]。
飯倉の跡地には現在外務省飯倉公館と麻布台ヒルズ森JPタワーが建っている。この地にはかつて「日本郵政グループ飯倉ビル(旧郵政本省庁舎)」も建っていた。
関連項目
編集脚注
編集- ^ a b c d 和歌山県立博物館 2010.
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、311頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ “売立目録100選リスト/紀州徳川家蔵品展覧目録”. 2025年9月26日閲覧。
- ^ 上原作和 (2011年). 傳阿仏尼等筆『源氏物語』傳來史」『光源氏物語傳來史』. 武蔵野書院. p. 120-141
- ^ 高木文『増補 好書雑載』井上書店、1933年、30-39頁 。
- ^ 「南葵音楽文庫の1世紀」南葵音楽文庫紀要 第1号 (2018.3), pp4-5
- ^ 東京大学総合図書館、同館所蔵の「南葵文庫」の資料をデジタル化し公開|Current Awareness Portal 2022.2.1 2022年2月2日閲覧。
- ^ 東京大学総合図書館所蔵南葵文庫 2022年2月2日閲覧。
- ^ a b c 文化庁 2016.
- ^ 名古屋市 (2016年). “蓬左文庫トップページ”. 名古屋市蓬左文庫. 2016年9月29日閲覧。
- ^ 名古屋市 2016.
参考文献
編集- 上原作和「傳阿仏尼等筆『源氏物語』傳來史」『光源氏物語傳來史』武蔵野書院、2011年
- 高木文編『紀州徳川家蔵品展観目録』昭和2年(1927年)4月4日
- 高木文『増補 好書雑載』井上書店、1932年
- 文化庁 (2016年). “国指定文化財等データベース > 登録有形文化財(建造物) > 旧南葵文庫”. 文化庁. 2016年11月11日閲覧。
- 和歌山県立博物館 (2010年9月14日). “和歌山県立博物館ニュース > 南葵文庫(なんきぶんこ)旧館の歩み―旧南葵文庫「ヴィラ・デル・ソル」を訪ねて―”. 和歌山県立博物館. 2016年11月11日閲覧。
関連文献
編集外部リンク
編集- 静岡県のとっておき建築探訪 南葵文庫(旧徳川頼倫邸)(静岡県ホームページ、archive.is 2013年5月1日アーカイブ分)
- ウィキメディア・コモンズには、南葵文庫に関するカテゴリがあります。
- 東京大学総合図書館所蔵 南葵文庫
座標: 北緯35度6分45.97秒 東経139度5分15.09秒 / 北緯35.1127694度 東経139.0875250度