国際スポーツフェア
国際スポーツフェア(こくさいスポーツフェア、英語:WORLD SPORTS FAIR[4])は、1983年から1992年まで、日本体育協会(現・日本スポーツ協会)とフジサンケイグループの主催で開催されたスポーツ関連のイベント[2]。
国際スポーツフェア WORLD SPORTS FAIR | |
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イベントの種類 | 一般イベント |
開催時期 | 1983年 - 1992年 |
初回開催 | 1983年10月[1]6日-11日[2] |
最終開催 | 1992年4月26日 - 5月5日[3] |
会場 | 国立代々木競技場およびその周辺地区 |
主催 | 日本体育協会[1]・フジサンケイグループ[2] |
出展数 | 55.3万人(1992年)[3] |
概要
編集1983年、世界の様々なスポーツを紹介することなどを目的として、東京都渋谷区の国立代々木競技場近辺で10月6日〜11日に行われた[1]。初回が好評で事業収入も好調だったことから開催時期を4月下旬から5月上旬のゴールデンウィークの期間に移して翌年以降も継続開催され、1992年まで続いた[5]。ロゴマークは勝岡重夫がデザインし、ウサギとカメをモチーフに上に一般人を表す亀・下にエリートのスポーツマンを表すウサギを配したものとした[4]。
このイベントを始めるにあたり、外部から総合プロデューサーとなる人材をスカウトしたが、フェア初回の好成績によりその後数年間はフジテレビのイベント事業面において、その総合プロデューサーが引っ張っていった。
フェアとしては、フジテレビ事業局が中心となり、産経新聞社やニッポン放送などフジサンケイグループの総力を結集するような態勢のもとで様々な企画が行われた。
主なところとしては、多数のスポンサーのもと、スポーツに関連した各種イベントやアトラクション、フードコートなどのほか、代々木体育館(第一、第二)では様々なスポーツのエキシビションゲームや世界各国の代表選手を招き、日本代表との親善試合も多数行われ、特定スポーツのファンが他のスポーツへも目を向け関心を持つきっかけづくりが行われた。また、1984年の開催では新体操、レスリング、重量挙げのロサンゼルス五輪日本代表最終選考会が行われた[6]。
テレビやラジオ・新聞でのメディアミックスによる各種宣伝や、レギュラー・単発問わず生放送や公開収録などが会場では連日行われ、視聴者・聴取者・購読者の関心を集めた。
しかし、イベント内容のマンネリ化などが指摘されたことから、1992年の開催を最後に終了となり、翌年からは同じ場所での開催となる「LIVE UFO」へと引き継がれていった[7][8]。
イベントのイメージソングとして南こうせつの『ワイルド・ワン』が起用されていた。
脚注
編集- ^ a b c 国立競技場50年史編集委員会 編『国立競技場50年の歩み』日本スポーツ振興センター国立競技場、2012年、74-75頁。
- ^ a b c 水連創立六十周年記念誌 - 日本水泳連盟(1984年)244頁
- ^ a b セガ・国際スポーツフェアに協力最新体感マシン等を出展 ナムコもコカコーラブースにバイクレースゲーム - アミューズメント産業1992年6月号70-71頁
- ^ a b 264 WORLD SPORTS FAIR 国際スポーツフェア - 日本グラフィックデザイン展1984(誠文堂新光社)106頁
- ^ 国立競技場50年史編集委員会 編『国立競技場50年の歩み』日本スポーツ振興センター国立競技場、2012年、74-75頁。
- ^ 国立競技場50年史編集委員会 編『国立競技場50年の歩み』日本スポーツ振興センター国立競技場、2012年、76頁。
- ^ セガ社とトーゴ、LIVE UFO'93に協力 - アミューズメント産業1993年6月号96-98頁
- ^ 「LIVE UFO'94」開催セガ、米米CLUBのライブ映像シミュレーター - アミューズメント産業1994年6月号87-90頁
関連項目
編集- 国立代々木競技場
- 広告代理店
- 国際高校柔道選手権大会
- 全日本女子レスリング選手権大会
- オールスター紅白大運動会(フジテレビ) - 競技内容を大幅に変更した「第23回」(1985年5月14日放送。これは最終放送)で、会場となる代々木競技場(上記)の屋外で当時開催されていた会場を使用し、石川秀美と堀ちえみの「体力テスト」、明石家さんまと木梨憲武(とんねるず)がママさんチームと対決する「ミニサッカー」、当時大関だった小錦との相撲対決などが行われた。