小尾芙佐

日本の翻訳家 (1932-)

小尾 芙佐(おび ふさ、1932年3月24日[1][2] - )は、日本翻訳家。婚姻前の姓は神谷(かみや)[注釈 1]

略歴

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東京府豊多摩郡淀橋町大字柏木(現在の東京都新宿区西新宿)に生まれ、東京市淀橋第一尋常高等小学校三輪田高等女学校で学んだ[4]。戦時中は長野県上伊那郡高遠町に疎開し、長野県伊那高等女学校(その後、長野県伊那弥生ヶ丘高等学校に校名変更[5])へ転学した[6][7]大学受験に向けて、1950年高3の夏休みには東京にある父親の仮住まいに移り、千駄ヶ谷の津田英語会(現在は津田塾大学千駄ヶ谷キャンパスとなった)が主催する夏期講習に通った[8]。講習が終わった後は国立国会図書館で猛勉強に励み、津田塾大学英文学科に合格を果たした[9]。大学入学後は学生寮に入った[10]。同じ寮の先輩に、後に小説家となる大庭みな子がいた[10]。大学3年のとき土居光知教授の「翻訳論」の講義を受講し、そこで初めて翻訳を学んだ[11]。1955年[1][注釈 2]大学卒業後は就職をせず、父の神谷精一[12]日本橋で経営していた税理士事務所の手伝いに通った[13][14]。それから1年が過ぎた頃、ひまわり社に就職し、「それいゆ」編集部に配属された[15]。ひまわり社の仕事は激務で、締め切り間近になると朝帰りが続いた[16]。会社がある銀座のビルまで毎日通ったが、激務に疲弊して身体を壊し、1958年末に退社した[17]。1959年の半ば頃、「それいゆ」時代に知り合った早川書房福島正実を訪れ、SFミステリの分野で翻訳を手がけることになった[18]。1960年代初期には、神谷芙佐名義で主にSF作品の翻訳を発表した[19][16]

アイザック・アシモフダニエル・キイスアーシュラ・K・ル=グウィンアン・マキャフリイヴィクトリア・ホルトルース・レンデルなどの翻訳で知られる。1978年に翻訳出版した『アルジャーノンに花束を』は、後々まで版を重ねるロングセラーになった。また、浅倉久志が中心となって、翻訳家の交流会「エイト・ダイナーズ」が、小尾、深町眞理子大村美根子山田順子佐藤高子鎌田三平白石朗というメンバーで行われていた[20][21]

日本SF作家クラブの会員であったところ[22]、2013年、他のベテランSF作家らとともに名誉会員となる[23][24]。2017年10月時点までは名誉会員の名簿に名前があったが[25]、同年11月時点で名誉会員の中から名前がなくなった[26][注釈 3]

経済学者慶應義塾大学名誉教授の小尾恵一郎慶應義塾幼稚舎 - 慶應義塾大学経済学部卒業[27])は、芙佐の夫にあたる[28][12]

翻訳

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1962年7月に小尾恵一郎と結婚[3]。「小尾」に改姓した。
  2. ^ 大橋由香子は小尾芙佐の大学卒業時期を「1956年春」[10]と記しているが、『死の目撃』(1961年12月31日発行)の奥付にある訳者略歴によれば「昭和30年」である。大学受験のために転居した「1950(昭和25)年の夏休み」[8]の翌年に入学したとすれば、1955年卒業が正しいと考えられる。
  3. ^ 退会によるなどの理由が考えられる。

出典

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  1. ^ a b 日外アソシエーツ 編『現代翻訳者事典』日外アソシエーツ、1985年11月10日、145-146頁。NDLJP:12210357/79 
  2. ^ 大橋 2024, p. 114.
  3. ^ 大橋 2024, p. 140.
  4. ^ 大橋 2024, pp. 114–118.
  5. ^ 大橋 2024, p. 121.
  6. ^ 大橋 2024, pp. 118–120.
  7. ^ 連載「“不実な美女"たち - 女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 1回表)”. 光文社古典新訳文庫 (2014年3月20日). 2024年9月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月10日閲覧。
  8. ^ a b 大橋 2024, p. 123.
  9. ^ 大橋 2024, pp. 123–124.
  10. ^ a b c 大橋 2024, p. 124.
  11. ^ 大橋 2024, p. 127.
  12. ^ a b 大橋 2024, p. 147.
  13. ^ 大橋 2024, p. 129.
  14. ^ 連載「"不実な美女"たち - 女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 2回表)”. 光文社古典新訳文庫 (2014年4月20日). 2024年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月10日閲覧。
  15. ^ 大橋 2024, pp. 130–131.
  16. ^ a b 連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 3回表)”. 光文社古典新訳文庫 (2014年5月20日). 2024年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月10日閲覧。
  17. ^ 大橋 2024, p. 132.
  18. ^ 大橋 2024, p. 133.
  19. ^ 大橋 2024, pp. 134–136.
  20. ^ 大橋 2024, pp. 151–152.
  21. ^ 連載「"不実な美女"たち──女性翻訳家の人生をたずねて」(vol.1 小尾芙佐さんに聞く 5回表)”. 光文社古典新訳文庫 (2014年7月22日). 2024年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月9日閲覧。
  22. ^ 日本SF作家クラブ会員名簿(2001年8月13日更新) - ウェイバックマシン(2001年8月19日アーカイブ分)
  23. ^ 『日本SF短篇五十(1)』早川書房
  24. ^ 会員名簿(2014年3月31日) - ウェイバックマシン(2014年5月1日アーカイブ分)
  25. ^ 会員名簿(2017年10月2日) - ウェイバックマシン(2017年10月7日アーカイブ分)
  26. ^ 一般社団法人 日本SF作家クラブ 会員名簿(2017年11月2日) - ウェイバックマシン(2017年11月4日アーカイブ分)
  27. ^ 小尾恵一郎教授略歴・著作目録」『三田学会雑誌』第85巻第4号、慶應義塾経済学会、1993年1月、207(735)-210(738)、ISSN 0026-6760 
  28. ^ 第9回の紫陽花ゼミ<等々力短信 第964号>”. 轟亭の小人閑居日記. 馬場紘二 (2006年6月25日). 2025年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月30日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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