小田イト

日本のアイヌ文化伝承者 (1911 - 2000)

小田 イト(おだ イト、1911年明治44年〉5月24日[2] - 2000年平成12年〉7月11日[3])は、日本のアイヌ文化伝承者。千歳アイヌ語教室の講師として同教室の中心的役割を担ったことに加えて、アイヌ語や古式舞踊、伝統料理の継承への取り組みにより、アイヌ文化の伝承に貢献した。

おだ イト

小田 イト
生誕 1911年5月24日
北海道長沼村
死没 (2000-07-11) 2000年7月11日(89歳没)
死因 肺炎
住居 北海道長沼町千歳市釜加
国籍 日本の旗 日本
民族 アイヌ[1]
時代 昭和 - 平成
団体 千歳アイヌ語教室
著名な実績 千歳アイヌ語教室の講師、アイヌ語や古式舞踊、伝統料理の継承への取り組みなど
代表作 『火の神の懐にて ある古老が語ったアイヌのコスモロジー』
活動拠点 北海道千歳市
受賞 平成10年度アイヌ文化賞
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経歴

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北海道長沼村で誕生した[3]。幼少時に千歳町釜加に移住した[4]。農作業を手伝う一方で、家に近所のフチ(アイヌの高齢女性)が泊まりに来ると、彼女らのカムイユカㇻ(英雄叙事詩)やウエペケレ(昔話)に聞き入った。テレビなど娯楽の無い時代、心を躍らせながらフチたちの語りに聞き入り、自然と内容を憶えていった[4]

戦後はウポポ(座り歌)、ホリッパ(踊り)、手工芸の普及に尽力した[4]。1991年に千歳アイヌ語教室が開設された後は講師として参加し[4]、同教室の中心的な存在であった[2]

1993年(平成5年)には、イトの語りをもとに児童文学者の松居友が著した書籍『火の神の懐にて ある古老が語ったアイヌのコスモロジー』が刊行された。アイヌの家庭と生活に根付いたアイヌの神々についてまとめられた書籍であり、NPO法人行動科学研究所所長の鈴木智子により「アイヌの人々のこのコスモロジーは、生命へのいたわりと祈りに満ちている」と評価された[5]。同1993年は国際先住民年でもあり、日本の先住民族について綴られた書籍としても注目された[6]

1998年(平成10年)、この書籍の出版や、アイヌ語や古式舞踊、伝統料理の継承への取り組みを評価されて、アイヌ文化の伝承や振興に貢献した人に贈られる、平成10年度アイヌ文化賞を受賞した[7]

同1998年時点では恵庭市内の病院に入院中であり、アイヌ語教室への参加は控えていたものの、体調は良く、年齢を感じさせない話ぶりで、カムイユカㇻやウエペケレをすぐに披露できるほどであった[4]。しかし2年後の2000年7月、肺炎のために満89歳で死去した[3]

没後、アイヌ文化研究者の藤村久和は「イトさんは私たちの研究を温かく見守って、世話を焼いてくれる後ろ盾のような存在でした」と話した[3]。 関係者は「アイヌ文化の語り部が、また一人いなくなった」と、その死を悼む声も上がった[3]。幼少時から親交のあった千歳アイヌ文化伝承保存会の中本ムツ子は「白沢ナベさんとイトさんの三人でアイヌ文化を紹介するビデオの編集に携わったことが忘れがたい」と振り返った[3]

脚注

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  1. ^ 松木新「「風に乗って来るコロポックル」と「北海道旧土人保護法」中島堅二郎「宮本百合子とアイヌ」批判」『民主文学』第400号、日本民主主義文学会、1999年2月1日、201頁、doi:10.11501/7973821全国書誌番号:00023032 
  2. ^ a b 平成10年度 アイヌ文化賞 小田イト”. 公益財団法人アイヌ民族文化財団 (1998年). 2025年3月8日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 「語り部、また一人… アイヌ文化普及 小田さん死去 関係者ら悼む声」『北海道新聞北海道新聞社、2000年7月13日、千歳朝刊、22面。
  4. ^ a b c d e 「ズームアップ 小田イトさん アイヌ文化賞を受賞 感謝の言葉を伝えたい」『北海道新聞』1998年10月14日、千歳朝刊、24面。
  5. ^ 鈴木智子「書評「火の神の懐にて」松居友著 小田イト語り」『産経新聞産業経済新聞社、1993年3月11日、東京夕刊、7面。
  6. ^ 「「先住民族」を紹介 各地で紛争、「民族」問う『世界の先住民族』ほか」『毎日新聞毎日新聞社、1993年5月10日、東京朝刊、8面。
  7. ^ 「アイヌ文化賞 3女性が受賞」『秋田魁新報』秋田魁新報社、1998年10月13日、朝刊、9面。