小竹文夫
日本の歴史家
小竹 文夫(おだけ ふみお、1900年1月18日 - 1962年10月16日)は、日本の東洋史学者。
人物情報 | |
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生誕 |
1900年1月18日![]() |
死没 | 1962年10月16日(62歳没) |
出身校 | 東亜同文書院大学商務科、京都帝国大学文学部東洋史学科 |
学問 | |
研究分野 | 東洋史 |
研究機関 | 東亜同文書院大学・金沢大学・東京教育大学 |
学位 | 文学博士 |
経歴
編集- 出生から修学期
1900年、石川県で生まれた。上海の東亜同文書院で学び、1922年6月に卒業後(第19期生)[1]。1928年[2]。その後、京都帝国大学文学部東洋史学科を卒業。
- 東洋史研究者として
修了後は、東亜同文書院大学教授となった。
戦後は金沢大学、東京教育大学で教授を務めた。1961年、学位論文『清代社会経済史の基礎研究:人口と耕地の問題』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得[3]。1962年に死去。
研究内容・業績
編集著作
編集- 著書
- 共著編
- 訳書
脚注
編集- ^ 牧田諦亮「本會評議員小竹文夫氏を悼む」『東洋史研究』第21巻第3号、東洋史研究會、1962年12月、362-363頁、CRID 1390009224833919616、doi:10.14989/152611、hdl:2433/152611、ISSN 0386-9059。
- ^ 小竹 文夫とは - コトバンク
- ^ CiNii(が空位論文)
- ^ 小竹文夫とは - コトバンク