尾張国内神名帳(おわりのこくないじんみょうちょう)とは平安時代末期に作成された尾張国国内神名帳江戸期には『本国帳』『本国神名帳』とも称された。

概要

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後述する熱田本の奥書によれば、文治2年(1186年)3月の宣命状により天下安隠祈願のため尾張国内の神社の神階が上げられた時のものという[1]

初めに熱田神宮を掲げ、以下日本国内の主要大社32社及び尾張国内8郡の202座の神階と神名を記す。熱田神宮の神宮寺であった妙法院の座主が神事に先立って神名帳を読み上げる儀式があり、そのために作成されたとみられている。

写本によって異同はあるものの、神社名の大半が「 - 明神」「 - 天神」という名称で記されている。『延喜式神名帳』には記載のない神社(いわゆる式外社)も記載しているため、中世初頭の神社を知る上で貴重な史料となっている。

当神名帳に記載のある神社のことを「帳内社」と呼ぶことがある。江戸期には天野信景らにより帳内社の研究が行われ、『本国神名帳集説』や『張州府志』の中で現存する神社への比定が行われた。しかし、これらの比定には根拠に乏しいものも少なくなく、江戸後期には津田正生が天野の比定に対して批判・再考を行なっている。

写本

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『尾張国内神名帳』は多くの写本が知られており、内容にも異同がある[1]。現在知られているのは、全て南北朝期以降の成立である。 各写本の異同は、江戸後期に纏められた『国内神名帳考異稿』に記録されている。

  • 熱田座主如法院本
    • 南北朝期成立で現在知られている写本の中では最も古い。「貞治本」「熱田本」とも称され、しばしば底本ともされた。熱田座主如法院では、毎年正月11日にこの神名帳を読み上げる神事が行われていたという[1]。多くの写本では海部郡の冒頭に「津島牛頭天王」(津島神社)を挙げているが、この写本には津島神社の記載がない点に特徴がある。
  • 国府宮威徳院本
  • 甚目本
    • 中世に加筆されたと推定される他の写本にない神社の記載があるほか、熱田神宮を「熱田大福大明神」とするなど他の写本に見られない特徴がある。
  • 密藏院本
  • 大目神社本
    • 江戸後期に瀬戸市大目神社から発見された写本である。室町期の写本と推定され、内容は国府宮威徳院本と類似。「大目本」とも。この写本の原本は行方が不明となっているというが、内容は愛知県博物館本などとして記録されている。
  • 天王坊本
    • 現在は廃寺となっている亀尾山安養寺(天王坊)で伝わっていた写本。
  • 正徳本
    • 江戸期の写本。海部郡の冒頭に「大神大明神」を挙げている点は他にない特徴である。
  • 天野本
    • 正徳本に類似。
  • 天文本
    • 戦国期の写本。海部郡の冒頭に「従二位 進雄神社」を挙げている点に特徴がある。「伴信友校訂本」とも類似。

脚注

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  1. ^ a b c d e 國學院大學 1941, p. 62.

参考文献

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  • 鎌田純一「尾張国内神名帳」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7

外部リンク

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