岩満 重(いわみつ しげる、1889年明治22年)12月4日[1] - 1971年(昭和46)1月4日[2])は、台湾総督府官僚。鹿児島県川内市(現在の薩摩川内市市長、川内市議会議長等を歴任。

岩満重

経歴

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鹿児島県薩摩郡平佐村(後の川内町、川内市薩摩川内市)出身[2]。旧制鹿児島県立川内中学校(現 鹿児島県立川内高等学校)を経て[2]、1911年(明治44年)旧制第七高等学校造士館卒業[3]1915年大正4年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業して、高等文官試験に合格した[1]1916年(大正5年)、台湾総督府属となり、台北庁事務官、阿猴庁事務官、理事官新竹州内務部地理課長・知事官房税務課長、台湾総督府中央研究所事務官、台中州内務部長を歴任した[4]

退官後、1939年(昭和14年)に新潟市助役に就任した[1]

戦後の1946年(昭和21年)、川内市議会により川内市長に選任される[2]。1947年(昭和22年)4月の地方自治法による選挙において、市長を辞任して川内市議に立候補し最高当選、5月川内市議会議長に就任する[2]。その後公職追放となるも間もなく追放解除となり、1949年(昭和24年)から川内市監査委員を経て、1951年(昭和26年)に監査委員を退職して川内市長に立候補、当選[2]。1955年(昭和30年)4月に任期満了で市長退任[2]

脚注

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  1. ^ a b c 大衆人事録 1943.
  2. ^ a b c d e f g 宮内吉志 編著『平佐の歴史』寺山維持会、1987年12月、343-344頁。
  3. ^ 作道好男 江藤武人 編『北辰斜にさすところ 第七高等学校造士館50年史』財界評論新社、1970年10月5日、900頁。
  4. ^ 人事興信録 1931.

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。