御所市(ごせし)は、奈良県の中部に位置する。奈良県内の市では最も人口が少ない[2]

ごせし ウィキデータを編集
御所市

上:大和葛城山
下:九品寺
地図
市庁舎位置
御所市旗 御所市章
御所市旗
1978年11月1日制定
御所市章
1958年3月31日制定
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 奈良県
市町村コード 29208-7
法人番号 1000020292087 ウィキデータを編集
面積 60.58km2
総人口 21,688[編集]
推計人口、2025年9月1日)
人口密度 358人/km2
隣接自治体 大和高田市橿原市五條市葛城市高市郡高取町吉野郡大淀町
大阪府南河内郡千早赤阪村
市の木 クスノキ
市の花 ツツジ
御所市役所
市長 山田秀士
所在地 639-2298
奈良県御所市1番地の3[1]
北緯34度27分48秒 東経135度44分25秒 / 北緯34.46333度 東経135.74022度 / 34.46333; 135.74022座標: 北緯34度27分48秒 東経135度44分25秒 / 北緯34.46333度 東経135.74022度 / 34.46333; 135.74022
外部リンク 公式ウェブサイト

御所市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト

地理

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御所市中心部周辺の空中写真。
2011年10月9日撮影の4枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

奈良盆地の西南端に位置し、西には大和葛城山金剛山が聳え立つ。南は風の森峠を越えれば、五條市となる。中心部は「大字」による地名がなく、番地のみの住所となっている(郵便番号では通称の町名を使用)。

歴史

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市名の由来

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「御所」という地名は、16世紀(戦国時代)の文書に「御所郷」として見られる[3]。ただし、この土地をなぜ「ごせ」と呼ぶのか、なぜ「御所」と表記するのかについての定説はなく[3]、以下のような諸説が提唱されている。

  • 当地にある三室山の「三室」が「御室」、「御諸」、「御所」と転じたとする説[4][5]
    • 三室山は孝昭天皇の陵墓(掖上博多山上陵)であると治定されている[3]。これに関連して、孝昭天皇の「御諸(みもろ)」[注釈 1]が「御所」に転じた、とも説明される[5]
    • 当地には孝昭天皇の掖上池心宮があったとされ、これを「御所」と呼んだとして関連付ける説[3]
  • この地域を流れる川に関連する説
    • 葛城川に5つの瀬があったとする説[5][3]。あるいは「河瀬(ごせ)」が転じたとも[3]
    • この地域に5つの川(瀬)が流れていたから、とも[3]
  • 当地に勢力を持っていた古代氏族・巨勢氏の「こせ」が転じた説[3]

古代

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古代には葛城葛城国)と呼ばれた地域の一角にあたり[7]、古代豪族葛城氏の本拠地である。室大墓をはじめ古代遺跡も豊富であり、近年も2004年極楽寺ヒビキ遺跡が、2009年には秋津遺跡が発見された。鴨都波神社一言主神社、名柄神社、高鴨神社葛木御歳神社など数多くの延喜式内社が所在する。また、現在の古瀬は、古代豪族巨勢氏の拠点であり[8]巨勢寺塔跡などの遺跡が残る。

の制度が整えられると、現在の市域の大部分は葛上郡(かつらぎのかみのこおり)に属した[9][7]。葛上郡には一時期大和国国府が置かれたらしい[9]。古瀬付近は高市郡巨瀬郷に属したと考えられ[8]、また柳原などは忍海郡に属した。

中世

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「御所」の地名が現れるのは16世紀である[3]。この地域には葛城川を挟んで2つの環濠集落、西御所と東御所が存在したとされる[10]。東御所は浄土真宗の寺院(現在の圓照寺)を中心とする寺内町の性格を有した[10]

近世

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関ヶ原の合戦後の慶長5年(1600年)、父の所領の一部を受け継いだ桑山元晴は、西御所に陣屋を構えて本拠地とした(御所藩)。御所の領主となった桑山元晴は、2つの集落を一体の町(「御所まち」)として整備した[10]。桑山家は寛永6年(1629年)に無嗣断絶となり、御所藩は廃藩となった。御所町は幕府領となり[11][注釈 2]、陣屋町としての機能を失ったが[10]、平坦地(奈良盆地)と吉野の山間地の中継地として、また木綿織業や絞油業が発達した[11]在郷町として繁栄した[10][11]

市域のうち倶尸羅村(現在の櫛羅)や松本村(現在の東松本・西松本)などは、延宝8年(1680年)以降大和新庄藩永井家の所領となった[12]。永井家は定府の大名であったが、幕末期の文久の改革を受け、文久3年(1863年)に櫛羅に陣屋を設けて拠点とした(櫛羅藩)。

近代

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1889年(明治22年)、町村制の施行により、現在の市域には御所町をはじめとする1町13村が編成された。1915年(大正4年)に櫛羅村など8村が合併して大正村を設立したが、それを除けば第二次世界大戦後の昭和の大合併までこの時の町村の枠組みが維持された。なお、1897年(明治30年)に郡制が施行され、葛上郡・忍海郡の範囲は南葛城郡となった。

当地は水平社運動発祥の地であり、当地出身の西光万吉阪本清一郎駒井喜作らが1922年(大正11年)の全国水平社創立にあたった。

1958年(昭和33年)、御所町葛(くず)村葛上(かつじょう)村、大正村の4町村が合併するとともに市制を施行、御所市が発足した。

2022年6月23日大阪地方検察庁特捜部は、御所市が発注した火葬場建設工事をめぐる入札妨害事件の関係先として市役所を家宅捜索した[13] [14]

自治体沿革

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市域の変遷

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明治22年 明治30年 大正4年 昭和29年 昭和30年 昭和31年 昭和33年 現在
奈良県
葛上郡 南葛城郡 御所市
御所町 御所町 御所町
秋津村
掖上村
葛村
櫛羅村 大正村
楢原村
鎌田村
三室村
東松本村
西松本村
小林村
竹田村
吐田郷村 葛上村
葛城村

行政

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氏名 就任年月日 退任年月日 備考
岸本清隆 1958年4月 1959年1月
今井増一 1974年4月 1978年4月
和田保信 1978年4月 1978年10月 任期6ヶ月
芳本甚二 1978年10月 1996年6月 5期途中まで勤めた
前川正 1996年6月 2008年6月15日 3期12年勤めた
東川裕 2008年6月16日 2024年9月30日 6期途中まで勤めた
山田秀士 2024年10月20日

[16]

  • 市議会: 議員定数13人[17]

なお、衆議院議員選挙の選挙区は「奈良県第3区」、奈良県議会議員選挙の選挙区は「御所市選挙区」(定数:1)となっている[18]

経済

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産業

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金融機関

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  • 南都銀行 御所支店(大字無し・小字大広町)、掖上支店(柏原)、吉野口支店(戸毛)

農業協同組合(JAならけん)

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  • 御所支店(大字無し)
  • 御所経済センター(豊田)
  • 掖上支店(柏原)
  • 秋津支店(室)
  • 御所葛支店(古瀬)
  • 葛城支店(五百家)

日本郵政グループ

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(※2014年6月現在)

  • 御所郵便局(大字無し・小字栄町) = 集配局。
  • 御所大正郵便局(櫛羅=くじら)
  • 御所柳田(やなぎだ)郵便局(柳田町)
  • 御所寺内郵便局(大字無し・小字代官町
  • 名柄郵便局(増=まし)
  • 御所掖上(わきがみ)郵便局(柏原)
  • 御所葛(くず)郵便局(戸毛=とうげ)
  • 御所吉野口郵便局(古瀬=こせ)
  • 御所葛城郵便局(五百家=いうか)
  • 秋津簡易郵便局(室)

※ 秋津簡易郵便局を除く各郵便局にはゆうちょ銀行のATMが設置されており、御所郵便局ではホリデーサービスを実施。

御所市内の郵便番号は「639-22xx」「639-23xx」(いずれも御所郵便局の集配担当)となっている。

地域

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人口

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御所市と全国の年齢別人口分布(2005年) 御所市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 御所市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
御所市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 35,987人
1975年(昭和50年) 37,554人
1980年(昭和55年) 37,387人
1985年(昭和60年) 36,693人
1990年(平成2年) 36,644人
1995年(平成7年) 36,119人
2000年(平成12年) 34,676人
2005年(平成17年) 32,273人
2010年(平成22年) 30,287人
2015年(平成27年) 26,868人
2020年(令和2年) 24,096人
総務省統計局 国勢調査より

奈良県統計  

  • 2007年10月1日現在 : 31,255人
  • 人口増加率(2002年→2007年) : -7.6%

県の施設

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教育

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アザレアホール(御所市立図書館・御所市文化ホール)

高等学校

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中学校

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小中一貫校

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小学校

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交通

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鉄道・索道

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路線バス

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高速バス

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道路

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自動車専用道路

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一般国道

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県道

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観光

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大和葛城山自然ツツジ園

名所

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旧跡

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社寺

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施設

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キャラクター

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御所市では「ゴセンちゃん」と名付けたマスコットキャラクターを制定し、市のPRに使用している。ゴセンちゃんは、葛城山金剛山をモチーフにした緑色の髪に、市の花であるツツジの髪飾りと、注連縄をデザインしたカチューシャを着けており、「神の使い」という設定になっている[19]

出身著名人

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政治家・官僚

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経済人

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医師

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  • 榎本住 - 幕末・明治期の女医。戸毛に記念碑あり。

歴史上の人物

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社会運動家

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文化人

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芸能人

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スポーツ選手

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ゆかりの著名人

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『デジタル大辞泉』によれば「神の降臨する場所。みむろ」[6]
  2. ^ 寛永16年(1639年)から延宝7年(1679年)にかけては大和郡山藩領であったが、その後ふたたび幕府領となって幕末を迎えた[11]

出典

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  1. ^ 御所市役所の位置を定める条例
  2. ^ 奈良県|総人口が多い街ランキング【スタディサプリ 進路】”. shingakunet.com. 2024年5月4日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i わがまち自慢 御所市」『すこやか』第216号、和歌山県市町村職員共済組合、20頁、2025年9月26日閲覧 
  4. ^ 谷川 2015, p. 171.
  5. ^ a b c 御所市概要”. 御所市. 2025年9月26日閲覧。
  6. ^ み‐もろ【▽御▽諸/三▽諸】”. デジタル大辞泉. 2025年9月26日閲覧。
  7. ^ a b 御所市について”. 御所市. 2025年9月26日閲覧。
  8. ^ a b 巨勢(古代)”. 角川日本地名大辞典. 2025年9月26日閲覧。
  9. ^ a b 葛上郡”. 角川日本地名大辞典. 2025年9月26日閲覧。
  10. ^ a b c d e 「御所まちの歴史 桑山元晴による整備」, p. 9.
  11. ^ a b c d 御所町(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2025年9月26日閲覧。
  12. ^ 倶尸羅村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2025年9月26日閲覧。
  13. ^ 火葬場工事めぐり不正か 入札妨害事件関係先で御所市役所捜索”. NHK (2022年6月23日). 2023年5月9日閲覧。[リンク切れ]
  14. ^ 火葬場めぐる汚職事件 元御所市議に懲役4年 大阪地裁”. NHK (2024年12月10日). 2025年1月4日閲覧。
  15. ^ 図典 日本の市町村章 p165
  16. ^ 御所市のあゆみ”. 2024年5月20日閲覧。
  17. ^ 市議会のしくみ”. 2018年12月16日閲覧。
  18. ^ 選挙区と定数 奈良県選挙管理委員会
  19. ^ 御所市マスコットキャラクター ゴセンちゃん. 御所市. 2021年4月27日. 2021年10月11日閲覧.

参考文献

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  • 小学館辞典編集部 編『図典 日本の市町村章』(初版第1刷)小学館、2007年1月10日。ISBN 4095263113 
  • 谷川彰英『47都道府県・地名由来百科』丸善出版、2015年。ISBN 978-4-621-08761-9 
  • 御所まちの歴史(2) 桑山元晴による整備」『広報御所』、御所まち伝建通信2022年1月https://www.city.gose.nara.jp/cmsfiles/contents/0000003/3236/denken_04.pdf 

外部リンク

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