慈光寺有仲(じこうじ ありなか、文政11年1月1日1828年2月15日) - 明治31年(1898年10月6日[1])は、江戸時代後期から明治時代にかけての公卿華族子爵)。

安政5年(1858年)、日米修好通商条約締結に反対し、廷臣八十八卿列参事件に参加した。明治維新後は賀茂御祖神社宮司を務め、子爵に列する。

官歴

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系譜

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脚注

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  1. ^ 『官報』第4586号、1898年10月11日。
  2. ^ 『官報』第308号「叙任」1884年7月9日。
  3. ^ 『官報』第1351号「叙任及辞令」1887年12月28日。
  4. ^ 『官報』第4200号「叙任及辞令」1897年7月3日。

出典

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  • 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。 
  • 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。 
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
慈光寺家初代
1884年 - 1898年
次代
慈光寺恭仲