慣性モーメント
慣性モーメント(かんせいモーメント、英: moment of inertia[1])あるいは慣性能率(かんせいのうりつ)、イナーシャ[2] I とは、物体の角運動量 L と角速度 ω との間の関係を示す量である。
古典力学 | ||||||||||
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歴史 | ||||||||||
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慣性モーメント | |
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量記号 | I |
次元 | L2 M |
種類 | 2階テンソル |
SI単位 | kg m2 |
概要
編集軸のまわりを回転する物体の慣性の大きさを表す量で、回転を変えようとするときに、それに抗(あらが)う性質の大小を表わす[3]。例えば、傘を持ち手の周りで回転させたり止めたりするときの手ごたえは、傘を開いているときと畳んでいるときとで異なる。開いている時のほうが回転させたり止めたりするのに大きな力が必要になる。この時の回転させたり止めたりする時の手ごたえの大小、回転運動に対する抵抗の大小を表わす量が慣性モーメントである。慣性モーメントが大きいものほど回転の状態[4]を変化させるのに大きな力を必要とする[5]。慣性モーメントの値は、物体の各部分の質量と、回転軸からその部分までの距離の二乗との積で表現される[6]。
剛体が特定の軸を中心に回転する際の角速度の変化に対する慣性(変化のしにくさ、抵抗)。トルクを角加速度で割った値、角運動量を角速度で割った値。慣性モーメントは力と加速度(あるいは運動量と速度)の関係において、質量と同じ役割を果たしており慣性モーメントが大きいほど増減させにくい関係にある。古い文献では「回転質量」[7]と記述されており、この物理量が最初に登場したのは1749年のレオンハルト・オイラー『海軍科学』である[8]。
慣性モーメントのSI単位はkg·m2
定義
編集質点系がある回転軸まわりに一様な角速度ベクトル ω で回転するとき、質点系の持つ角運動量ベクトル L は次のように書ける。
ここでmi は i 番目の質点の質量、ri は回転軸上の原点との相対座標でありriはその大きさである。この式からわかるように、L は ω と向きは必ずしも一致しないが、ω を線形変換したものになっている。つまり、その線形変換をIとすると、
と表せる。この変換 I は2階のテンソルであり、LとIの各成分は
という形に表される[10]。ここに δjk はクロネッカーのデルタ、ri, j はベクトル ri の j 成分である。I を行列表示すると
となる。この定義から I は対称テンソルである。この2階のテンソル I を慣性モーメントテンソル、または簡単に慣性テンソルと呼ぶ[10]。また、慣性テンソルの対角成分 Ixx、Iyy、Izz を(それぞれ x、 y、 z 軸に関する)慣性モーメント係数(英: moment of inertia coefficient)と呼び、 Ixy、Iyz、Izx は 慣性乗積(英: products of inertia)と呼ぶ[11]。
なお、質量分布が連続的に広がっている場合には、その物体の慣性テンソルは密度 ρ を用いて
となる[12]。
ある軸まわりの慣性モーメント
編集物体をある回転軸まわりに回転させたとき、ωと同じ向きをもつ単位ベクトルnをもちいると、回転軸にそった角運動量成分は次のように与えられる。
ここで、ω = |ω|は角速度の大きさである。
ここに与えられたスカラー量 をその軸まわりの慣性モーメントと呼ぶ[13]。
慣性主軸と主慣性モーメント
編集慣性テンソル行列は実対称行列なので、適当な直交座標系 { e1, e2, e3 } を選ぶことで対角化(すなわち Ixy = Iyz = Izx = 0 と)することができ、そのときの座標軸を慣性主軸、慣性モーメント { I1, I2, I3 } を主慣性モーメントと呼ぶ[14]。慣性主軸座標系では角運動量は
と単純に表すことができる。
計算例
編集棒の両端の質量
編集重さの無視できる長さ L の棒の両端に、質量 m 、M の物体がくっついたものを考える。棒の適当な位置に回転の中心となる点を定め、そこから両端までの腕の長さをそれぞれ a、L - a とする。このとき、中心に対する慣性モーメント I は、
と、計算される。この式から分かるように、慣性モーメントは、中心(回転軸)のとり方によってその値が変わる。中心として系の重心をとったとき、慣性モーメントは最小となる。すなわちもっとも回しやすい。
円板
編集半径 a 、全質量 M の、一様な密度 ρ = M / πa2 をもつ円板の、中心軸まわりの慣性モーメントは
となる。
これは中心から半径 r 、幅 dr << r のリングの質量 dM を考えると
より、このリングの慣性モーメント dI が
だから
より求めることができる。
リング状円板
編集円板外半径 a 、くり抜き内半径 b 、全質量 M のリング状円板では、前出の dI を用いて
となる。
性質
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一般に、剛体の慣性モーメントは、剛体の質量に比例し、質量が軸から遠くに分布しているほど大きくなる。
また、回転軸が重心を通るとき慣性モーメントは最小値 IG をとり、軸が重心から距離 h だけ離れている場合、その軸の周りの慣性モーメント Ih は
となる[15]。
慣性テンソル I の物体が角速度 ω で回転しているとき、その回転に伴う運動エネルギー T は
と表示できる[16]。
関連する物理量
編集応用
編集工学での応用として、回転軸に慣性モーメントの大きい回転体を取り付けた装置をフライホイール(はずみ車)という。これは、回転速度の急激な変化を抑止したり、回転によるエネルギーを保存する目的で使用される。
脚注
編集- ^ momentは一般に「時」「瞬間」を表すが、語源はラテン語momentumであり、この語は「動き」「運動」を意味し、またラテン語movere「動かす」という動詞に起源する。inertiaはラテン語inertiaを語源とし「無関心」「怠惰」を意味し、in-は否定を表す接頭辞、artusは「技術・得意分野」を意味する。inertiaは何かをするための技術や能力が欠けているというニュアンスを持ち、物理学においては物体が静止または等速直線運動を続ける性質を指すことを表現する。天才英単語「moment」[1]「inertia」[2]
- ^ inertiaの日本語読み。この日本語は科学・学術用語として使用されることは稀だが工学の世界では「回転イナーシャ」「イナーシャ比」などしばしば利用される。
- ^ 小学館・精選版日本国語大辞典「慣性モーメント」[3]
- ^ 静止した状態から回転を始める場合、あるいは回転している状態を変化させる場合
- ^ 小出昭一郎・平凡社改訂新版世界大百科事典「慣性モーメント」[4]
- ^ 小学館・精選版日本国語大辞典「慣性モーメント」[5]
- ^ (英)Rotating mass、(独)Drehmasse
- ^ オイラーは27歳の頃から3年間、ダニエル・ベルヌーイに招かれロシアの首都サンクトペテルブルクの海軍学校の物理学教授となり、のち科学アカデミーの数学教授となっている。慣性モーメントについては『海軍科学』第1巻(セクション165、P.70)で明示的に定義され、固定軸の周りを回転している剛体質量要素の運動の特性を簡単な式で表現しようとしたものである。ただ「(剛体回転体は)その形状の各部に偏在する質量の各要素と、回転軸に垂直な距離、の2乗の積に比例する運動量を持つ」という考え方そのものは古くから存在していたとされる。Paul Stäckel: Elementare Dynamik der Punktsysteme und starren Körper. In: F. Klein, C. Müller (Hrsg.): Encyklopädie der Mathematischen Wissenschaften, Band 4 (Mechanik), Heft 4, Leipzig 1908. S. 542–547. Encyklopädie der mathematischen Wissenschaften
- ^ (ゴールドシュタイン 1983, p. 248) 式(5-2)
- ^ a b (ゴールドシュタイン 1983, p. 254)
- ^ (ゴールドシュタイン 1983, p. 249)
- ^ (ランダウ & リフシッツ 1986, p. 124)
- ^ (ゴールドシュタイン 1983, p. 255) 式 (5-19)
- ^ (ランダウ & リフシッツ 1986, pp. 124–125)
- ^ a b (戸田 1982, pp. 167–175)
- ^ (ランダウ & リフシッツ 1986, pp. 122–124)
- ^ 谷腰欣司『小型モーターのしくみ』電波新聞社、2004年、24頁。ISBN 4-88554-775-X。
- ^ 堀野正俊『機械力学入門』理工学社、1990年、97頁。ISBN 4-8445-2253-1。
- ^ 谷腰欣司『小型モータとその使い方』日刊工業新聞社、1987年、21頁。ISBN 4-526-02147-4。
- ^ 電気学会 電気規格調査会 標準規格『JEC-2130 同期機』電気書院、2016年、8頁。
- ^ 日本工業標準調査会『JIS B 0119 水車及びポンプ水車用語』日本規格協会、2009年。
- ^ 電気設備学会編『電気設備用語辞典』オーム社、2008年。ISBN 978-4-274-20962-8。
- ^ モータ技術用語辞典編集委員会編『モータ技術用語辞典』日刊工業新聞社、2002年、52頁。ISBN 4-526-05034-2。
- ^ 電気用語辞典編集委員会編『電気用語辞典』コロナ社、1997年、643頁。ISBN 4-339-00411-1。
参考文献
編集- 戸田, 盛和『力学』岩波書店、1982年。ISBN 4-00-007641-8。
- 谷腰, 欣司『小型モーターのしくみ』電波新聞社、2004年。ISBN 4-88554-775-X。
- ゴールドシュタイン 著、瀬川富士、矢野忠、江沢康生 訳『古典力学 (上)』吉岡書店〈物理学叢書 (11a)〉、1983年8月25日。ISBN 4-8427-0208-7。
- ランダウ, L. D.、リフシッツ, E. M.『力学』広重徹, 水戸巌 (訳)(増訂第3版)、東京図書、1986年、69-73頁。ISBN 978-4489011603。
関連項目
編集量 | 回転運動 | 並進運動 | ||
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力学変数(ベクトル) | 角度 | 位置 | ||
一階微分(ベクトル) | 角速度 | 速度 | ||
二階微分(ベクトル) | 角加速度 | 加速度 | ||
慣性(スカラー) | 慣性モーメント | 質量 | ||
運動量(ベクトル) | 角運動量 | 運動量 | ||
力(ベクトル) | 力のモーメント | 力 | ||
運動方程式 | ||||
運動エネルギー(スカラー) | ||||
仕事(スカラー) | ||||
仕事率(スカラー) | ||||
ダンパーとばねに発生する力を 考慮した運動方程式 |