曰佐村
日本の福岡県筑紫郡にあった村
おさむら 曰佐村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年10月1日 |
廃止理由 |
編入合併 田隈村、曰佐村 → 福岡市 |
現在の自治体 | 福岡市 |
廃止時点のデータ | |
国 |
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地方 | 九州地方 |
都道府県 | 福岡県 |
郡 | 筑紫郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 5.63 km2. |
総人口 |
7,013人 (福岡市勢要覧 平成2年 106P、1954年福岡市編入時) |
隣接自治体 | 福岡市、那珂町、岩戸村、安徳村、春日町 |
曰佐村役場 | |
所在地 |
福岡県筑紫郡曰佐村 (現:福岡県福岡市南区横手3丁目43番付近) |
座標 | 北緯33度32分24秒 東経130度25分57秒 / 北緯33.53994度 東経130.43253度座標: 北緯33度32分24秒 東経130度25分57秒 / 北緯33.53994度 東経130.43253度 |
ウィキプロジェクト |
1954年10月1日に早良郡田隈村と同時に福岡市に編入された[1][2]ため廃止され、現在は南区(旧五十川村のうちJR鹿児島本線の東側は博多区)の一部となっている。
地理
編集福岡市の南東に隣接していた村で、おおむね現在の福岡市南区南東部を村域としていた。村役場は村域中央部の横手地区(現在の横手3丁目、曰佐小学校のプール付近)に置かれていた[2]。
全域的に純農村であったが、那珂川の上流に近い警弥郷地区や上曰佐・下曰佐地区に対して、下流に近い井尻・五十川地区は鉄道・道路など交通網の発展によって市街地化が進んだ。
地形
編集歴史
編集沿革
編集- 平安時代中期 - 『和名類聚抄』に曰佐郷の地名が見られる。
- 1889年(明治22年)
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡の統合により那珂郡・御笠郡・席田郡が合併して筑紫郡が発足[3]。
- 1924年(大正13年)4月12日 - 九州鉄道(2代目。現・西鉄天神大牟田線)福岡 - 久留米間が開通。井尻駅開業。
- 1942年(昭和17年)
- 1943年(昭和18年)1月30日 - 村内警弥郷地区で大火発生。隣接する弥永地区に延焼。警弥郷地区の大半が焼失した[4]。
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 早良郡田隈村とともに福岡市に編入される[1][2]。同日曰佐村廃止。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 福岡市が政令指定都市へ移行。旧村域のうち国鉄鹿児島本線の東側は博多区、それ以外は南区の一部となる。
地名の由来
編集『和名類聚抄』によれば、筑前国那珂郡曰佐郷の名が記述されており、写本によっては「乎左(おさ)」または「ヲサ」という読み方も添えられている。
古代においてオサは通訳を司る役職名であるとともに、渡来系の氏族名(曰佐氏)でもあったため、通訳もしくは渡来人に由来するといわれている[2]。
地名
編集曰佐の地名は福岡市の町名「曰佐」として現存するほか、福岡市消防局南消防署曰佐出張所・福岡市立曰佐小学校・同曰佐中学校などにその名をとどめる。
経済
編集産業
編集- 企業
地域
編集教育
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大学・短期大学
編集廃止当時は村内に存在せず。
高等学校
編集廃止当時は村内に存在せず。
中学校
編集- 那珂町・曰佐村・春日町組合立三筑北中学校(那珂町)
- 那珂町・曰佐村・春日町組合立三筑中学校(那珂町)
- 那珂町・曰佐村・春日町組合立三筑南中学校(那珂町。曰佐村廃止と同時期に春日町に移転[7]。)[8]
小学校
編集その他
編集交通
編集空港
編集村内に空港はないため、福岡市の板付飛行場を利用することとなる。
鉄道
編集また、現在は博多南線・九州新幹線が通過するが、当時は未開通。
道路
編集現在は旧村域を福岡都市高速5号線(環状線の一部)、福岡外環状道路(国道202号のバイパス道路)が通過するが、当時は未開通。
出身者・ゆかりの人物
編集出身人物
編集ゆかりの人物
編集曰佐村を舞台とした作品
編集脚注
編集- ^ a b 福岡市 市域の変遷 2025年5月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 市史だより.indd (PDF) - 「市史だより Fukuoka」20号 2015年1月31日号 2025年6月16日閲覧
- ^ 『官報』第3820号、明治29年3月27日。
- ^ Fukuoka19_CJK (PDF) - 「市史だより Fukuoka」19号 2014年8月30日号 2025年6月16日閲覧
- ^ 『大日本篤農家名鑑』第1冊大日本篤農家名鑑編纂所、1910年5月、74頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年8月6日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』第2冊大日本篤農家名鑑編纂所、1910年8月、74頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年8月6日閲覧。
- ^ 学校の概要 春日市立春日中学校ホームぺージ 2023年8月20日閲覧。
- ^ 20151000686.indd (PDF) - 「市史だより Fukuoka」21号 2015年8月31日号 2025年6月16日閲覧
- ^ a b 曻地三郎『炎の百五歳児』p.70
- ^ https://teket.jp/1239/46352
- ^ “「「しいのみ学園」創設、昇地三郎氏が死去 107歳」”. 時事通信. 2013年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月15日閲覧。