桂梅枝

日本の落語の名跡

桂 梅枝(かつら ばいし)は、上方落語名跡。当代は4代目。

結三柏は、桂文枝一門の定紋である。

初代梅枝の師匠・初代桂文枝が前名として名乗っていた梅香の「梅」と、文枝の「枝」を合わせたのが由来[要出典]


3代目 かつら 梅枝ばいし
3代目 桂(かつら) 梅枝(ばいし)
結三柏は、桂文枝一門の定紋である。
本名 鹿野惣吉
生年月日 不詳年
没年月日 不詳年
出身地 日本の旗 日本
師匠 笑福亭松光
笑福亭吉右衛門
西國坊明學
2代目桂梅枝
桂仁左衛門
名跡 1. 笑福亭光笑
2. 笑福亭吾市
3. 西國坊開明
4. 初代桂枝光
5. 桂左衛門
6. 桂門十郎
7. 3代目桂梅枝
活動内容 上方落語
所属 互楽派
大八会

3代目 桂 梅枝(かつら ばいし、生没年不詳[1])は、明治大正期の上方落語の落語家。本名は鹿野惣吉[3]

経歴

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初め笑福亭松光の門下で光笑を名乗る[1][4]。次に5代目笑福亭吾竹の門下で吾市[1]。次に西國坊明學の門下で開明[1][5]桂仁左衛門の門下で左衛門、さらに門十郎と改名した[1][6]

2代目桂梅枝のもとに移り、初代桂枝光となる[1]。その後、3代目梅枝を襲名した[1]。。

一時、一流の桂派寄席にも出演したが、主に互楽派大八会の二流の寄席で活躍し、典型的な端席芸人だった。落語では大成しなかった。主に『稽古屋』『あづま奴』などが十八番だったというが、むしろ余興の四つ竹で名を売った。読み書きや算盤が得意だったため、大八会では幹部に出世した。[要出典]

内妻・岩田フサ[3]囃子方として下座を勤めていたが[要出典]、1917年5月31日、連れ子の娘とともに強盗に惨殺される[3][7]。その後もしばらくは高座に上がっていたが、大正末期以降の足取りは定かでない[要出典]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 古今東西落語家事典, 1989 & p-397, 索引小事典―上方.
  2. ^ 古今東西落語家事典 1989, p. 398, 索引小事典―上方.
  3. ^ a b c 小坂良輔『難件八十殺人犯検挙の端緒』巌翠堂書店、1933年7月、115-127頁。 
  4. ^ 落語系圖 1929, p. 111.
  5. ^ 落語系圖 1929, p. 114.
  6. ^ 落語系圖 1929, p. 79.
  7. ^ 井上ひさし「「梅枝殺し」殺人事件」『犯罪調書』中央公論新社〈中公文庫〉、2020年9月、217-230頁。 

参考文献

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  • 月亭春松 編『落語系圖』植松秀一郎(自費出版・春松の本名)、929年。NDLJP:1194413 
  • 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会 編『古今東西落語家事典平凡社、1989年4月7日。ISBN 4-582-12612-X 
  • 『ご存じ古今東西噺家紳士録』(CD-ROM)APP、2005年