武経七書
中国における兵法の代表的古典とされる七つの兵法書
日本における受容
編集日本では慶長11年(1606年)に徳川家康の指示により伏見版の一部として開版、林羅山らによって研究が行われ、17世紀中葉にこれら中国兵法が重視された結果として、統治術としての兵学(呪術を含んだ中世的兵法から近世の兵学)が確立することになる[1]。中世日本の兵法書が呪術的側面を有したのに対し[2]、武経七書では呪術面が排除されている[3]。
脚注
編集外部リンク
編集- 武経七書(京都大学付属図書館所蔵) - ウェイバックマシン(2007年12月16日アーカイブ分) 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
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