物流危機
物流危機(ぶつりゅうきき)とは、2000年代以降の日本において、貨物自動車運送事業に従事する運転者の数が減少する一方で貨物の自動車輸送での取扱量が増加することにより、物流の維持が困難になる事象。
国土交通省が公表した「自動車輸送統計調査」によれば、2022年度の営業用貨物自動車による国内貨物輸送量は25億5,800万トンであった[1]。2020年はコロナウイルスの世界的流行により一時的に減少に転じたが、貨物総量は粗横這い傾向であり、この統計から2030年度の貨物需要からドライバーの供給可能量を差し引いたギャップが年間で7億4,600万トン、1ヵ月当たりで6,200万トンとなり、この数字は効果的な対策が行われなかった場合の数値となり、これは1ヵ月のうち実に約11.5日分の荷物が運べなくなることを意味する[2]。
歴史
編集1990年代から2010年代まで
編集陸運業は1990年の規制緩和および[3][4]、2003年の規制の一層緩和などの競争激化により、ドライバーの月平均労働時間は195.7時間と産業別では最も長く、2位である飲食業(172.7時間)を大きく引き離しており、年収も全産業平均より5%から10%程度低くなるなど労働条件が悪化したため[5][6]、2000年代後半以降にドライバー数が急減した[7]。
2007年6月6日の免許制度改革(準中型自動車の設定)による若者の敬遠や[7]、少子化による生産年齢人口の減少、ECサイトの急成長も追い打ちをかけた。
2020年代
編集2020年の新型コロナウイルス流行により宅配の取扱量は増加傾向になり、物流の85%を占める企業間取引(B2B)や[8][9]、宅配共に「モノが運べない」物流危機が迫っており[10][11]、2022年の倒産件数統計では、運輸業の倒産件数が業種詳細別で最多となっており、危機に拍車が掛かっている[12][13][14]。
これまで運輸、建築、医療業界で執行が猶予されていた2024年4月から開始される時間外労働の上限を年間960時間とする、罰則付き規制「働き方改革」による輸送能力不足が危惧された[15][16](2024年問題)。2023年には経済産業省、農林水産省、国土交通省の連名で「物流の適正化・生産性向上に向けた荷主事業者・物流事業者の取組に関するガイドライン」が策定された。荷待ち、荷役作業等にかかる時間の短縮を目指すこととなったが[17]、2024年時点では、ドライバーの運転時間が減少する方向を示す一方、荷待ち・荷役時間は横ばいのままであった[18]。
免許人口
編集運転免許人口は2018年(平成30年)に8,231万人を記録し、平成を通じ免許総人口は2千万人以上増加しているが、年齢層別で見ると高齢者の割合が増えており、若年層の保有者数が1989年(平成元年)の254万人をピークに減少し続け、2018年時点で88万人と3分の1までに激減している[20]。
今後の予測
編集対応と反応
編集物流は全産業に付随する産業となり国の根幹を支えるため、このような危機的状況から政府主導による対策が進められており、商慣行の撤廃や改革、運賃の是正と監視、デジタル技術を利用した効率化の推進や標準化による生産性の向上、物流拠点整備や共同配送および地方においては貨客混載の推進、新規格車両の導入や利用しやすい高速道路料金の実現などが検討、計画されている[23]。
これに伴い貨物自動車運送事業法の改正も行われ、2025年4月1日から施行された。この改正法は物流新法やトラック新法とも称され、この改正法には適正原価以下での契約を原則禁止し、違反した場合は荷主側に罰則を科すことが盛り込まれており、2028年度から施行される見通しである[24]。なお、荷主側は運賃の上昇分を商品価格に転嫁せざるを得ないとしているが、出版業界は出版取次や再販売価格維持制度などがある特殊な業態となり、出版不況も重なり運賃水準が低く、経営状態も厳しい上に書籍の価格決定権は出版社側にしかなく、取次側で価格転嫁できないとして施行されれば教科書すら運べない状況に陥ると危機感を露わにしている[25][26]。
受託する運輸側も法改正自体歓迎するものの、繁忙期には運んでくれるトラックを探すこと自体難しく、知り合いの伝手を辿って何とか見つかる状況が一般的であり、改正法では2次下請けまでに規制することが盛り込まれていることから、繁忙期の多重下請け問題に影響する点を懸念している[27]。
貨物自動車以外の現状
編集- 陸運
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- 郵便事業
- 郵便事業(銀行・保険を除く)も業務量に対する人員不足から離職率が高く深刻な人手不足に陥っている。郵便物は年々減り続け、2022年度から毎年赤字を計上しているが[28][29]、郵便事業は国民が全国一律でサービスを享受することを目的としたユニバーサルサービスとして位置付け郵政民営化法で義務付けられているため[30]、その費用負担が重く、人件費に予算を回すことができず対応に苦慮している。
- 旅客事業
- 旅客事業運転手(バス・タクシー)も深刻な運転手不足に見舞われており、特にバス運転士は年々大型第二種免許の保有者が減っており[31]、保有者の85%が50代以上である[32]。これは貨物自動車よりも酷い状況であり、働き方改革制度が施行されて以降、運行ダイヤを維持することが困難となったことで、バス事業の廃業や人口の多い都市部であっても減便対応が相次いでいる[33][34]。対応策として地域毎のバス事業者が合同で募集活動を積極的に行っている他、定年退職を控える自衛隊員の再就職支援活動や技能実習制度の緩和を行い外国人の採用や養成などが開始されている[35][36]。タクシー業界では積極採用以外にタクシー不足を補うためのライドシェア事業なども開始された。
- 鉄道事業
- 鉄道運転士も不規則な勤務体系や低賃金などの問題から都市部を除き運転手不足が深刻化しており、国土交通省の調査から地方鉄道事業者の5割近くが運転士不足であると回答しており[37]、一部事業者では運転士不足から減便対応を行っている[38][39]。国土交通省ではこの結果から緊急連絡会議を開き対応を協議中である[40][41]。
- 海運事業
- 外航船は外国人労働者を雇用することが一般的であるため人員不足は発生していないが、人員の高齢化や少子化などから内航船では1990年の5万6,100人から2016年には2万7,639人へと船員が半減し、有効求人倍率が4倍を超えるなど深刻化しているため、政府は関連法案の改正を行っている[42]。資格により乗船できる大きさが限定され、大型船の資格には乗務経験が必要となることから養成には時間が掛かり、外国人の採用は他の乗組員とのコミュニケーションや交通量の多い海域を航行する上で日本語での会話が必須となり、内航船は国家安全保障面から船舶法で自国船籍の自国籍船員であることなど定めるカボタージュ制度があることから容易ではない。また、海運は高度成長時代に建造された船舶が多いため船舶の老朽化問題も孕んでいる[43][44]。
- 空運事業
- 空運業も人手不足が深刻化しており、操縦士だけでなくグランドスタッフや整備士なども不足しているため、陸運や海運と異なり何処が欠けても即運行停止に繋がるため国が対応を開始している。また、操縦士の育成には長い期間と高額な費用が掛かるうえ、世界中で航空需要が高まっており、この中でも特にアジア太平洋地域が顕著となり、外国人操縦士を採用するにも給与面で2倍以上の開きあるなど海外勢に太刀打ちすることが難しく[45]、人材争奪戦が世界規模で行われている[46][47]。
脚注
編集出典
編集- ^ “貨物輸送の現況について(参考データ)” (PDF). 国土交通省 (2018年7月). 2025年9月22日閲覧。
- ^ “2030年の物流業界に関する調査を実施(2024年)”. 矢野経済研究所 (2024年5月15日). 2025年9月22日閲覧。
- ^ 齊藤実 (2004年3月). “規制緩和とトラック運送業の構造” (PDF). 国際交通安全学会. 2023年7月14日閲覧。
- ^ “新時代の流通・交通 あるべき規制改革とは”. 読売新聞. (2022年11月14日)
- ^ “我が国の物流を取り巻く現状と取組状況” (PDF). 経済産業省 (2022年9月2日). 2023年7月15日閲覧。
- ^ “22年度道路貨物運送業の倒産は43.7%増の263件”. Logistics Today. (2023年4月10日)
- ^ a b c “物流危機とフィジカルインターネット” (PDF). 国土交通省 (2021年10月). 2023年7月13日閲覧。
- ^ “我が国の物流を取り巻く現状と取組状況” (PDF). 国土交通省 (2022年9月2日). 2023年7月13日閲覧。
- ^ 橋本愛喜 (2023年4月3日). “2024年問題を「宅配の問題」とする国やメディアによってますます見えない化する「企業間輸送」の現場”. Yahoo News
- ^ ““モノが届かない”恐ろしすぎる未来…SCMで考えるべきは超有効な「2つの備え」”. ビジネス+IT. (2023年3月24日) 2023年3月24日閲覧。
- ^ “ある日荷物が「離島扱い」に、迫る物流危機の衝撃”. 東洋経済. (2023年2月27日)
- ^ “帝国データバンク調査、全体では前年比3.4倍で過去最高”. LOGI-BIZ online. (2023年4月11日)
- ^ “巣ごもり支えたトラック運送に物価高の波、倒産増加-円安が追い打ち”. Bloomberg. (2022年10月27日)
- ^ “人手不足倒産が急増、運輸業で最も増加傾向に”. Logistics Today. (2023年10月5日)
- ^ “「2024年問題」でドライバー不足拍車の懸念強まる”. Logistics Today. (2021年11月17日)
- ^ “「2024年問題」への対応に向けた動き” (PDF). 国土交通省. 2023年7月13日閲覧。
- ^ “「物流の適正化・生産性向上に向けた荷主事業者・物流事業者の取組に関するガイドライン」を策定しました”. 国土交通省ホームページ (2023年6月2日). 2025年6月12日閲覧。
- ^ “「そりゃ減るわけがない」 トラック「荷待ち・荷役時間」わずか1分減の現実”. merkmal-biz (2025年6月10日). 2025年6月12日閲覧。
- ^ “第一貨物、日曜の通常配達を中止”. Logistics Today. (2025年10月20日)
- ^ “交通安全白書 特集「交通安全対策の歩み~交通事故のない社会を目指して~」第2章 人・車両・道路 各々の側面から見た交通安全 第1節「人」と社会をめぐる変化”. 内閣府. 2025年9月21日閲覧。
- ^ a b “「物流の2024年問題」の影響について” (PDF). NX総合研究所 (2022年11月11日). 2023年7月13日閲覧。
- ^ “およそ10億トンの輸送力が足りない!! ドライバー不足により2030年度には貨物の3分の1がトラックで運べなくなるという試算”. Fullload 2023年3月24日閲覧。
- ^ “「物流革新に向けた政策パッケージ」のポイント(案)” (PDF). 内閣官房 (2023年6月2日). 2023年7月15日閲覧。
- ^ “トラック新法「適正原価」施行時期、早くても28年度からか”. 物流ニッポン. (2025年8月8日)
- ^ “出版業界、適正原価義務化に危機感 運賃高騰なら教科書すら運べぬ”. 物流ニッポン. (2025年10月24日)
- ^ “「毎日本が届く」当たり前が崩壊寸前 『本が高い』と言う前に知ってほしい出版物流「特有」の危機の背景”. Yahoo!ニュース. (2025年5月27日)
- ^ “新法成立受け運送会社・IT・荷主などの反応は”. logistics Today. (2025年6月4日)
- ^ “郵便事業の課題について” (PDF). 総務省 (2018年11月16日). 2025年10月3日閲覧。
- ^ “24年度の郵便事業、630億円の赤字 値上げもコスト補えず”. 日本経済新聞. (2025年7月29日)
- ^ “郵政事業のユニバーサルサービスの 現状について” (PDF). 総務省 (2016年7月). 2025年10月3日閲覧。
- ^ “運転免許統計(令和6年版)” (PDF). 警察庁 (2025年9月1日). 2025年9月22日閲覧。
- ^ “大型2種免許保有者、50代以上が84.3%に 警察庁資料で前年より1.1ポイント増加し高齢化が進む”. Yahoo!ニュース. (2024年4月19日)
- ^ “バス運転手不足、都心のラッシュ帯も直撃…都職員採用難は深刻化「人材の奪い合いは激しくなる一方だ」”. 読売新聞. (2025年6月19日)
- ^ “街から消えた路線バス 運転士不足2万人、参院選で交通網維持も議論”. 日本経済新聞. (2025年7月19日)
- ^ “外国人のバス・タクシー運転手、日本語要件を緩和 国交省検討”. 日本経済新聞. (2025年5月27日)
- ^ “深刻なドライバー不足、ベテラン自衛隊員に注目 在任中に大型免許、バスやトラックの「即戦力」に”. 京都新聞. (2025年1月21日)
- ^ “地方鉄道事業者 5割近く“運転士不足”と回答 国交省調査”. 日本放送協会. (2025年3月3日)
- ^ “肥薩おれんじ鉄道が減便 運転士不足のため2月から当面の間 代行バス運行の予定なし”. 南日本新聞. (2025年1月10日)
- ^ “熊本電鉄が運転士不足のため3日から列車の運行本数を減らす”. 日本放送協会. (2025年2月3日)
- ^ “地方部における鉄道運転士不足の現状と対応策” (PDF). 参議院 (2024年11月). 2025年9月22日閲覧。
- ^ “地域鉄道における運転士確保に向けた緊急連絡会議について”. 国土交通省 (2024年2月). 2025年9月22日閲覧。
- ^ “船員法改正閣議決定、労働環境改善と船員不足対応”. Logistics Today. (2025年3月28日)
- ^ “消える内航船、静かに進む「海の物流危機」”. 東洋経済. (2018年10月28日)
- ^ “内航船人手不足 老いる海運に対処を”. 中日新聞. (2023年8月26日)
- ^ “パイロット争奪戦、過熱 世界航空需要、40年に倍増予測 米系年収は日本勢の2倍”. 日本経済新聞. (2024年12月8日)
- ^ “パイロット大量退職「30年問題」、人材の奪い合い過熱…「航空網維持できない」と自社育成も”. 読売新聞. (2024年3月28日)
- ^ “人手不足の航空業界 操縦士も地上支援も進まぬ待遇改善”. エコノミスト. (2025年3月3日)
関連項目
編集外部リンク
編集- 我が国の物流を取り巻く現状と取組状況(PDF)- 経済産業省
- トラック運送業界の2024年問題について(PDF)- 全日本トラック協会
- 「2024年問題」への対応に向けた動き(PDF)- 国土交通省
- 「物流革新に向けた政策パッケージ」のポイント(案)(PDF)- 内閣官房
- 物流危機とフィジカルインターネット (PDF) - 経済産業省
- 適用猶予業種の時間外労働の上限規制 特設サイト はたらきかたススメ - 厚生労働省
- 自動車運転者の長時間労働改善に向けたポータルサイト - 厚生労働省
- 持続可能な物流の実現に向けた検討会 - 国土交通省
- 2024年問題(働き方改革)特設ページ - 全日本トラック協会