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{{改名提案|芦東山|t=ノート:提案するノート名|date=2025年4月}}
 
'''蘆野東山'''(あしの とうざん、[[元禄]]9年[[11月23日 (旧暦)|11月23日]]<ref name="ko">『国史大辞典』第1巻、190頁。</ref>([[1696年]][[12月17日]]) - [[安永 (元号)|安永]]5年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]<ref name="ko" />([[1776年]][[7月17日]]))は、[[江戸時代]]中期の[[儒学者]]、[[陸奥国|陸奥]][[仙台藩]]士。本姓は岩淵氏。結婚後の享保12年(1727年)に姓を芦(蘆)と改めた。<ref>「大東町史」上巻。P.1057</ref>諱は徳林。初諱は胤保。字は世輔または仲坰。通称は勝之助・勝之丞・善之助・幸七郎・東民。号は東山の他に、渋民・玩易斎・東嶠・梅隠・松窓・柿員・赤蟲・貴明山下幽叟などの別号がある。国内の刑法思想の根本原理を論じた『[[無刑録]]』の著者。本人がよく使ったのは「芦東山」であるが、「蘆野東山」の名を使うこともあった。