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こうして神社が寺院に接近する一方、寺院も神社側への接近を示している。8世紀後半には、その寺院に関係のある神を寺院の守護神、鎮守とするようになった。[[710年]](和銅3年)の[[興福寺]]における[[春日大社]]は最も早い例である。また、[[東大寺]]は大仏建立に協力した[[宇佐八幡神]]を勧請して鎮守とした。これが現在の[[手向山八幡宮]]である。他の古代の有力寺院を見ても、[[延暦寺]]は[[日吉大社]]、[[金剛峯寺]]は[[丹生都比売神社|丹生神社]]、[[東寺]]は[[伏見稲荷大社]]などといずれも守護神を持つことになった。このように仏教と敵対するのではなく、仏法守護の善神として取り込まれていった土着の神々は'''[[護法善神]]'''といわれる。
 
この段階では、神と仏は同一の信仰体系の中にはあるが、あくまで別の存在として認識され、同一の存在と見るまでには及んでいない。この段階をのちの神仏習合と特に区別して'''神仏混淆'''ということもある。数多くの神社に神宮寺が、寺院の元に神社が建てられたが、それは従来の神祇信仰を圧迫するものではなく、神祇信仰と仏教信仰とが互いに補い合う形となっている。[[結界]]より先を畏れと[[禁忌]]をもって呈しがちな神祇と、逆に[[波羅蜜|彼岸行]]を美化しがちな仏道双方の欠点を昇華させたものが神仏習合の合理であり、神仏習合が成熟した寺院では、密教系であっても[[浅草寺]]のように死生を説くだけで居士行は主催しないか勧奨しない
 
=== 大乗密教による系列化 ===