生地町
日本の富山県下新川郡にあった町
生地町(いくじまち)は、かつて富山県下新川郡に属していた町。
いくじまち 生地町 | |
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廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 生地町、桜井町 → 黒部市 |
現在の自治体 | 黒部市 |
廃止時点のデータ | |
国 |
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地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 富山県 |
郡 | 下新川郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 1.80[1] km2. |
総人口 |
7,071[2]人 (1954年[2]) |
隣接自治体 | 富山県:桜井町 |
生地町役場 | |
所在地 | 富山県下新川郡生地町四十物町[2] |
座標 | 北緯36度53分31秒 東経137度25分09秒 / 北緯36.89189度 東経137.41906度座標: 北緯36度53分31秒 東経137度25分09秒 / 北緯36.89189度 東経137.41906度 |
ウィキプロジェクト |
歴史
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、下新川郡生地村、山生地新村、経生地新村、芦崎村、大野新村、四ッ屋新村、二ッ屋新村、吉田新村及び吉田村の区域の一部をもって、下新川郡生地町が発足する。
- 1934年(昭和9年)7月 - 黒部川から出水。7日間にわたり濁流に洗われる被害。
- 1935年(昭和10年)3月15日 - 午後11時頃に町中心部にあったイワシの加工場から出火。前年の黒部川出水の被災箇所を含む上町、四十物町など190戸の住家、181棟の非住家、倉庫が延焼する大火となった。その後、隣の村椿村にも飛び火した[3]。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 下新川郡桜井町及び生地町が合併して、黒部市が発足する。
歴代町長
編集出典→[4]
- 田村文平(1889年5月31日 - 1893年5月30日)
- 能登忠(1893年6月3日 - 1906年9月27日)
- 泉田伊平(1906年10月10日 - 1910年4月16日)
- 能登忠(1910年6月3日 - 1911年4月5日)
- 角谷与三郎(1911年5月22日 - 1916年4月1日)
- 田村椎昌(1916年4月27日 - 1926年7月30日)
- 漆間唯一(1926年9月5日 - 1937年3月20日)
- 矢浪淑次郎(1937年8月14日 - 1939年3月29日)
- 田村力次郎(1939年3月30日 - 1946年11月28日)
- 板倉露松(1947年4月8日 - 1954年3月31日)
教育
編集小学校
編集娯楽
編集1960年(昭和35年)の生地町には以下の映画館が存在した[5]。
- 生地劇場 - 映画館(〜1960年代)
- 生地中央劇場 - 映画館(〜1960年代)
名所・旧跡・観光スポット
編集脚注
編集- ^ 『黒部市史 歴史民俗編』(1992年3月25日、黒部市発行)807頁
- ^ a b c 『角川日本地名大辞典 16 富山県』(1979年10月8日、角川書店発行)95ページ
- ^ 生地町で火事、住家二百戸など焼く『大阪毎日新聞』昭和10年3月17日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p506 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 『黒部市史 資料編』(1994年10月25日、黒部市発行)113頁。
- ^ 『映画年鑑 1960年版 別冊 映画便覧 1960』時事通信社、1960年。1960年の映画館(北陸・甲信越地方)「消えた映画館の記憶」を参照した。
著名な出身者
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 富山県下新川郡生地町 (16B0020025) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ