碁石

囲碁、連珠に使用する用具で、黒・白2色の円盤形の物体
碁笥から転送)

碁石(ごいし)は、を打つ時に用いる2種の石[1]

囲碁の対局の解説では単に「」と呼ぶ(※当項目でも以後は“石”と表記する場合がある)。

概要

編集

標準では黒181個、白180個の合計361個でひと組となる[2]。ただし、この個数は慣習的なものであり、囲碁の正式の盤は19路だから19×19=361すなわち石を置ける場所が361箇所あるから、という理屈による。だが実際には、稀に大量の石を囲い大量のアゲハマが生じた場合などは、その個数では足りなくなる場合があり、足りなくなった場合はアゲハマを同数交換したり、余所から持ってくるなどの形で適宜補充することになる。

石の標準の寸法は、黒石が直径22.2mm(7分3厘)、白石が直径21.9mm(7分2厘)である。寸法が若干異なるのは、白は膨張色で同サイズだと白石がやや大きく見えてしまうので、黒石の寸法を若干大きくしている[2]

厚さは6mm - 14mm程度まである。厚みは号数で表され、25号(厚み7ミリ)、31号(8.4ミリ)、32号(8.8ミリ)、 33号(9.2ミリ)、34号(9.5ミリ)、40号(11.3ミリ)と号数で表される[2]。一部に60号近いものも存在する。

一般に、厚いものほど打った時の音が響く、とされるが、34号以上は持ちにくくなる上に、重心位置が高くなり揺れたり動いたりしやすくなるという難点がある。9mm前後(32号 - 34号)のものが持ちやすく、最も多く用いられている。

なお、中国では片面が平らになった碁石も使われており、検討する際に裏返すことで元の局面に戻しやすくなる利点がある。

 
碁笥に入れられた碁石

碁石は碁笥(ごけ、または、ごす)ないし碁器(ごき)と呼ばれる容器に入れる。なお対局中に碁笥(碁器)の中の石を指でかきまぜて音を立てる行為はマナー違反とされている。

連珠に使う場合

なお、碁石は連珠でも使い、連珠では「珠」と呼び、正式には黒113個と白112個を用意する。連珠の正式の盤は縦横それぞれ15の直線を引いたものであり、15×15=225個の石が置けることになり、最大だと黒113個で白112個、という理屈による。家庭や学校のクラブなどで連珠を行う場合などは、囲碁の道具をそのまま流用して19路盤と碁石(黒181個、白180個)を使うということも広く行われている。

素材

編集

素材は、高級品と一般用で異なる。

 
高級品
高級品

黒石は那智黒、白石は碁石蛤(ハマグリ)の半化石品が最高級とされる。蛤の白石には「縞」という生長線が見られ、細かいものほど耐久性が高い。日本棋院では、日向産の白石は主に色のつき具合と縞目模様を基準として「雪印」「月印」「花印」の3ランクに品質分けし、メキシコ産はホーロー質の縞目の表れ具合を基準として「雪印」「月印」「実用」の3ランクに分類している[2]

なお石は使用によってキズやカケが生じることがあり、小さなものをホツ、周辺の欠けたものをカケという。

一般用
 
一般用

学校の囲碁クラブや一般家庭用などには、通常は硬質ガラス製、硬質メラミン製、プラスチック製のものなどが使用される。 軽量素材で薄すぎると極端に軽くなり汗で指に付いて離れてくれないことも起きる。適度な重さのものが使いやすい。

その他、携帯用の碁盤・碁石セットでは、碁石の裏に磁石になっており金属製の碁盤につくようになっているものもある。

碁石の歴史

編集

囲碁は中国起源であり最も古い碁石は中国の碁石であるので、そちらから解説する。

中国

中国における碁石は、歴史的には自然のや小石から作られていた。代や代になると、貝殻翡翠瑪瑙といった素材も用いられるように変化していった。

中国の時代(222年 - 280年)に書かれた『博奕論』(韋曜)に「枯棊三百」 と記されていることや、時代が全然異なるが、日本側で寛永年間(1624年 - 1644年)の『玄玄棊經俚諺鈔』という解説本に「碁石は元と木を似て造る、故に枯棊と云う」と注記していることを根拠にして、中国では古代には木で碁石を作った、とも考えられている。「枯棊」とは、木でできた碁石のことを指し、また碁石は300個が定数であったことも記されている。

収集家によると、初期の囲碁の石(碁石)は直径2cm未満の手作りの、磨かれた石だったという[3]。唐代(618~907年)には、瑪瑙、貝殻、翡翠などが碁石の素材として使われていた[3]

2014年に中国初の囲碁博物館を中国中部の河南省洛陽市に開館した王氏によると、「囲碁文化が栄えた代(960~1279年)には、人々は碁石に鳥や珊瑚、花などの精巧な模様を彫刻した」[3]

王氏は「東漢時代(25~220年)から代(1644~1911年)にかけての、あらゆる種類の囲碁石や関連製品を収集しており、(その囲碁博物館で)それらを年代順に展示しながら、囲碁の歴史も紹介している」[3]

7世紀頃には、雲南省で「雲子(ユンズ)」のような特殊な素材も登場した。雲子は瑪瑙などの宝石を焼結して作られる素材だが、その製法は何世紀にもわたり秘密とされ、その高い品質と人気により、皇帝学者僧侶らに特に愛用された[4]

日本

古くは『風土記』(733年頃成立)に碁石に関する記述が見られ、『常陸国風土記』に鹿島ハマグリの碁石が名産として記述されている。また『出雲国風土記』に、島根県の「玉結浜」の記載があり、この海岸からは碁石に適した石が採れたという。奈良県藤原京で発掘された碁石は丸い自然石で、材質は黒石が黒色頁岩、白石が砂岩7世紀末 - 8世紀始めに使用されていたと推定される(週間碁)。自然石の碁石は江戸期まで使用された。本因坊道策が幼い頃使ったという碁盤と自然石の碁石が現存している[5]

正倉院に所蔵された聖武天皇愛用の碁石は紅牙撥鏤碁子(こうげばちるのきし)と名付けられ、直径1.6cm 厚さ0.8cm、象牙を染めて花鳥の文様を彫り付けたものであり、色は緑と紅色である[6]。弘仁2年の文書では320枚があったと記載されているが、現存するのは252枚である。『源氏物語絵巻』では碁石は黒と白のものが使用されていることが分かる。

中国代の『杜陽雑編』という書物に、宣宗帝年号大中年間(847年 - 860年)に、"日本一の碁の名手である日本の王子"が来朝し中国一の名手と対戦する逸話があり、日本の王子は日本には"冷暖玉"という宝石の碁石があることを物語ったという。[注釈 1]

現在は黒は黒色の石を用い、那智黒石三重県熊野市で産する黒色頁岩または粘板岩)が名品とされる。白はハマグリ貝殻を型抜きして磨いたものである。碁石の材料となるハマグリの代表的な産地は古くは鹿島灘志摩答志島淡路島鎌倉海岸、三河などであった。鹿島のハマグリは殻が薄く、明治期の落語速記本に「せんべいの生みたく反っくりけえった石」と描写されるように、古い碁石には貝殻の曲線どおり、薄くて中央が凹んだものがある。その後、文久年間に宮崎県日向市付近の日向灘沿岸でが採取されるようになり、明治中期には他の産地の衰退と共に日向市のお倉が浜で採れるスワブテ蛤[7]市場を独占し上物として珍重された。現在では取り尽くされてほとんど枯渇してしまっているが、製造技術は引き継がれている。

現在一般に日向市産として出回っているものはメキシコ産のメキシコハマグリを日向市で加工・製造したものである。白石と黒石は価格が違い、ハマグリ製の白石が非常に高価で、業者によっては黒石は「那智黒石付き」と、白石のおまけ扱いにしている。高級品は貝殻の層(縞のように見える)が目立たず、時間がたっても層がはがれたり変色したりしない。

ハマグリの碁石は庶民が気軽に買えるものではなく、明治期には陶器製の安物の碁石が存在した。大正時代にガラスの碁石が試作されたが、当初は硬化ガラスではなく普通のガラスだったので、脆く割れやすかった。その後プラスチックや硬質ガラス製の製品が出回り、安価な用具の大量生産が囲碁の普及に果たした役割は大きいと言える。近年では持ち運び用のマグネット製のものもある。メノウ製の高級品もある。

碁石の素材

編集

現在は以下のような素材で作られた碁石が存在する。

  • 蛤(宮崎県日向市産)/那智黒石(三重県熊野市産)
  • 瑪瑙碁石(中国産)
  • 云子碁石(中国碁石)(中国産・瑠璃製、黒石は光を透過させると緑色に見える特徴がある)
  • 硬質ガラス碁石(日本産/韓国産)
  • ユリア樹脂製碁石
  • プラスチック碁石
  • プラスチック重量石(通常のプラスチックより重く、打ち味が比較的良いとされる)
  • マグネット碁石

碁笥

編集

碁笥(ごけ、または、ごす)とは、碁石を入れる容器。碁器(ごき)とも呼ばれる。白石用と黒石用の2個で1組となっている。材質は最高級品は(特に御蔵島産の「島桑」が珍重される)、次いで紫檀黒檀、一般的に用いられているものは花梨ブビンガ合成樹脂などがある[2]。表面は木地を出すことが多いが、凝ったものには蒔絵鎌倉彫を施したものも見受けられる。古くは合子(ごうす)と呼ばれ、正倉院には撥鏤棊子とセットで渡来した精緻な美術品である「銀平脱合子」が収蔵されている。江戸時代には筒型に近い本因坊型と、丸みのある安井型があった。現代で使われているのは安井型に近いものが多い。計点制ルールでは、内部が蜂の巣状で石数180個が確認しやすい独特の碁笥を用いる。

なお、碁笥には蓋があり、対局中にアゲハマを入れておくのに用いられる。

碁笥の呼称問題

編集

碁笥の素材については上記のほかにも色々な種類の木が用いられるが、外国から輸入した木材を木目や質感が似ていることから「新○○」と称していることが多く、混乱を招いている。例えば、輸入木材であるマホガニーは「新サクラ」、棗は「新ケヤキ」、ケンパスを「新カリン」などと銘打って販売されていることが多い。しかし、木目や質感が似ているからと言って、本来の名前を無視してサクラやケヤキの名を冠するのはどうなのかという議論が近年ネット上で見受けられるようになった。碁盤に関しては「新カヤ」はスプルース材、「新桂」はアガチス材という輸入材であることが知られるようになってきたが、碁笥に関しては碁盤ほどではなく、素材を輸入材と知らずに買うビギナーも多い。この問題に関して良心的な店では新サクラ等の呼称を使わずマホガニー製、棗製と本来の名称で呼ぶ店もある。

通常

現代では先手番が黒、後手が白に統一されている。

グリーン碁石

通常の碁石は白と黒の2色を用いるが、目に優しいとされる系の色を用いたグリーン碁石も少数ながら使用されている。これは眼精疲労に悩んだ作家夏樹静子が発案し広めたもので[8]、黒の代わりに濃い緑を、白の代わりに薄い緑を用いている。素材は硬質ガラスで、厚さは使いやすく9mmで作られている。普通の白黒の碁石に比べて値段は高い。日本棋院の一般対局室の一部で使用されている。


数え方(助数詞)

編集

碁石は一般には何個と数えるが、囲碁用語としての助数詞は「子(もく)」である。しかしながら、囲碁用語特有の読み方のため、「もく」と読めずに本来は誤読の「子(し)」が広まっている。一方で、碁石を指すのに「目(もく)」を当て字として使った例もある。置き碁というハンデ戦で下手が2つ石を置いて対局することを2子局と呼ぶ。


脚注・出典

編集
脚注
  1. ^ この逸話の概要は以下のようなものである。「遣唐使として皇帝と会見した日本の王子が、日本一の碁の名手を名乗り『国の名誉を賭け、唐の名手と対戦したい』と碁の勝負を申し入れた。そこで皇帝は碁の国手といわれた大臣の顧師言を呼び出し、日本の王子と対局させた。双方の実力は互角で序盤から互いに譲らぬ激闘となったが、御前試合で君命を辱めることを恐れた顧師言が汗を振り絞った思考の末、三十二手目に死に物狂いの名手を放ち、それを見た日本の王子は驚嘆し、遂に兜を脱いだ。対局の後で王子は外使の接受担当の鴻臚卿に『顧先生は貴国で何番目の名人なのか』と質問し、鴻臚卿は『三番目であります』と返答した。実際は顧師言は国一番の名手だったのだが、日本の名人と対等勝負だったので、唐の体面を考慮して嘘をついたのだった。日本の王子は不服顔で『唐で一番の名手と対局したい』と言った。鴻臚卿は動ぜず『第三を破って第二と対局し、第二を破って第一と対局できるのです。なぜにいきなり第一と対局できましょう』と答えた。日本の王子は碁盤に蓋をして『小国の第一は、ついに大国の第三に及ばぬのか』と嘆息した」 この対局の棋譜は玄玄碁経に記録され、現代に伝わっている。日本の王子は日本には冷暖玉という宝石の碁石があることを物語り、「本國の東に集真島有 島の上に凝霞臺とて臺上に手譚池あり 池中に玉子を出す 製度によらされども自然に黒白明分有 冬ハ暖く夏は冷也 故に冷暖玉とぞにいふ 日本の王子入唐して此石を冷暖玉として唐朝へ進上せらると載たり」と記されている。 玉の碁石は割れやすく、日本のように音を立てて盤に打ち付けるということはなかった。中には石一個が銀貨二枚に相当するとされるほど高価なものもあったが、かつての名品の多くが、碁は退廃的として攻撃された文化大革命時代に収集家から奪われるなどして散逸してしまった。
出典
  1. ^ 碁石」『精選版 日本国語大辞典』https://kotobank.jp/word/%E7%A2%81%E7%9F%B3コトバンクより2025年9月19日閲覧 
  2. ^ a b c d e 囲碁雑学”. 日本棋院. 2025年9月19日閲覧。
  3. ^ a b c d Across China: "Go" museum traces history of traditional Chinese board game”. XINHUA NET. 2025年9月19日閲覧。
  4. ^ About Go”. 2025年9月19日閲覧。
  5. ^ 本因坊戦:23日から第2局 6冠・文裕先勝に本木が黒番”. 毎日新聞. 2020年3月18日閲覧。
  6. ^ 正倉院 - 正倉院”. shosoin.kunaicho.go.jp. 2020年3月18日閲覧。
  7. ^ 宮崎県 (2011年7月25日). “雅趣・伝統の美”. 2012年5月28日閲覧。
  8. ^ グリーン碁石と夏樹静子さん – 全日本囲碁協会”. 2020年3月18日閲覧。

関連項目

編集