祐範
平安時代末期の僧侶
祐範(ゆうはん / すけのり、生没年未詳)は、平安時代末期の僧侶。熱田大宮司・藤原季範の子。源頼朝の叔父にあたる。法橋。子に任憲。
熱田大宮司家一族の京都進出を背景に、額田郡において国衙の勢力を排した兄藤原範忠と協力して、滝山寺の住職などを務めるなどし[1]、保元4年(1159年)3月に姉の由良御前が死去した際、49日の仏事を差配してその菩提を弔っている。平治元年(1160年)12月の平治の乱では、姉の長男で甥にあたる14歳の源頼朝が罪人として伊豆国の配所に送られる際、郎従を付けて送り出している。頼朝の伊豆配流に付き添ったのは、祐範の郎従と頼朝の父・義朝の家人で因幡国住人・高庭介資経が送った親族の藤七資家[3]のみであったという。祐範はその後も伊豆の頼朝の元に毎月使者を送っている。
祐範の死後、頼朝が挙兵し鎌倉殿となった文治4年(1188年)11月1日、祐範の子で僧侶の任憲が頼朝の元を訪れて初めて対面し、親しく語らった。建久2年(1191年)8月、任憲が熱田社領の田地を廻る争いで、朝廷の裁決で支配を退けられたものを、再び申し立てるために頼朝に口添えを求めている。難しい案件なので頼朝は渋りながらも、その父・祐範への恩義から、朝廷に取次ぎをしている。
脚注
編集- ^ “熱田大宮司家の寛伝僧都と源頼朝”. 京都先端科学大学紀要 (京都先端科学大学). (2021) 2024年7月12日閲覧。.
- ^ 五味 & 本郷 2008, p. 24.
- ^ 『吾妻鏡』元暦元年3月10日条[2]。
参考文献
編集- 五味文彦; 本郷和人 編『平氏滅亡』吉川弘文館〈現代語訳吾妻鏡, 2〉、2008年3月。ISBN 9784642027090。 NCID BA84796336。
- 五味文彦; 本郷和人 編『征夷大将軍』吉川弘文館〈現代語訳吾妻鏡, 5〉、2009年3月。ISBN 9784642027120。 NCID BA89133799。
- 野口実『武門源氏の血脈 : 為義から義経まで』中央公論新社、2012年1月。ISBN 9784120043185。 NCID BB07877565。
- 細川重男『頼朝の武士団 : 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』洋泉社〈歴史新書y, 031〉、2012年8月。ISBN 9784862489500。 NCID BB10023182。