赤井 直揉(あかい なおおさ、1856年12月27日安政3年12月1日[1] - 1937年昭和12年)3月17日[2])は、明治大正期の日本裁判官

来歴

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鹿児島藩藩士の家に生まれる[要出典]

1884年時点で京都治安裁判所の書記を務めていた[3]1886年6月に家督を相続した[1]。『改正官員録』や『職員録」によれば、この年京都治安裁判所の判事補となる[4][5]。『官報』の記載では、1887年7月に京都始審裁判所判事に任じられ[6][7]、8月には同宮津支庁勤務となった後[8]1890年10月22日に京都区裁判所判事となる[9]。『人事興信録』第4版(1915年)は、その後監事判事を務めたとする[1]1913年4月に宮崎地方裁判所所長に就任した[1]

1919年7月8日に大審院二等判事に就任した[10]1922年8月には京都地方裁判所管内の破産管財人に任じられる[11]

その後退官して、1925年当時は京都府京都市弁護士を開業していた[12]1935年3月26日に、弁護士登録を取り消した[13]

栄典

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系譜

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  • 父:赤井直期 -『人事興信録』第4版では「京都府士族」とされている[1]
  • 妻:カツ(1877年12月 - ?) - 村上克太郞の養女[1]
  • 長男:操(1889年6月 - ?)[1]
  • 長女:きよ(1891年12月 - ?)[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 赤井直揉(『人事興信録』第4版、1915年1月)”. 『人事興信録』データベース(名古屋大学大学院法学研究科. 2025年1月29日閲覧。
  2. ^ 高瀬武次郎鼓腹集 第2集(和歌部)』皇教会、1942年、p.45(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)。
  3. ^ 彦根正三 編『改正官員録』博公書院、1884年9月(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 彦根正三 編『改正官員録 明治19年上5月』博公書院、1886年5月(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 職員録 明治19年現在』印刷局、1886年12月、p.225(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 官報 明治20年7月11日』p.97(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 官報 明治20年7月18日』p.172(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 官報 明治20年8月26日』p.304(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 官報 明治23年11月24日』p.299(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 職員録追録 大正9年3月号』印刷局、1920年、p.67(「発令月日」に「七、八」とある。リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 官報 大正11年8月19日号』、p.540(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 日本弁護士名簿 大正14年7月現在』日本弁護士協会、1925年8月、p.239(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 官報 昭和10年4月13日』p.448(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)