趙同熙
趙 同熙(チョ・ドンヒ、조동희、1856年8月4日 - 1934年5月26日)は、李氏朝鮮末期の政治家、日本統治時代の朝鮮貴族で、字は有先(유선)、本貫は揚州である(揚州趙氏)。
| 趙 同熙 | |
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| 本貫氏派 | 揚州趙氏 |
| 字号 | 有先 |
| 爵号 | 男爵(朝鮮貴族) |
| 誕生年 | 1856年 |
| 没死 | 1934年 |
| 実父 | 趙秉燮 |
| 子女 | 趙重獻 |
| 趙 同熙 | |
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| 各種表記 | |
| ハングル: | 조동희 |
| 漢字: | 趙 同熙 |
| 発音: | チョ・ドンヒ |
| 日本語読み: | しょう どうき |
生涯
編集漢城府出身。高宗擁護に重要な役割を果たし領議政を務めた趙斗淳の孫で、もともと趙秉燮(조병섭)の息子だったが、叔父である趙秉集(조병집)に養子縁組された。朝鮮総督府中枢院の参議を務めた兄の趙英熙(조영희)を通じて、李完用とは姻戚関係があった。
1876年、科挙に及第し、都承旨や戸曹参判、工曹参判など、高位の官職を務めた。
1905年に農商工部の大臣に上がり[1]、1910年には日韓併合条約の締結に協力した功績により、日本から男爵の爵位を受けたが、その後剥奪された。
2002年に発表された親日派708人名簿、2008年に民族問題研究所が『親日人名辞典』に収録するために整理した親日人名辞典収録者名簿、2009年親日反民族行為真相糾明委員会が発表した親日反民族行為705人名簿に、爵位を襲爵した趙重獻とともに選ばれた。これら3つの名簿には、兄である趙英熙も含まれている。
家族関係
編集脚注
編集- ^ “(224) [韓圭卨 新內閣 組織 件]”. 한국사데이터베이스. 국사편찬위원회. 2025年5月10日閲覧。