遠藤汰月
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遠藤 汰月(えんどう たつき、2006年2月14日 - )は、中央競馬(JRA)・美浦トレーニングセンターの騎手。福島県出身。
遠藤汰月 | |
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![]() 初勝利セレモニー(2025年4月20日) | |
基本情報 | |
国籍 |
![]() |
出身地 | 福島県 |
生年月日 | 2006年2月14日(19歳) |
身長 | 163.9cm[1] |
体重 | 48.0kg[1] |
血液型 | B型[1] |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA |
所属厩舎 | 伊藤伸一(美浦)(2025.3.1 - ) |
初免許年 | 2025年 |
免許区分 | 平地・障害 |
来歴
編集福島県の会社員家庭の次男として生まれる。親の勧めで小学5年生の時、福島競馬場の乗馬スポーツ少年団に入団。 中学卒業時に競馬学校を受験するが不合格。高校に進学し1年後再び競馬学校を受験し合格する[2]。
2022年に競馬学校騎手課程に入学(第41期)。同期に上里直汰、谷原柚希、田山旺佑、舟山瑠泉、森田誠也、和田陽希がいる。
2025年2月11日にJRA騎手免許試験合格[3]。競馬学校騎手課程卒業式で成績優秀者に贈られるアイルランド特別大使賞を受賞[4]。
目標とする騎手に松岡正海を挙げている。
3月に美浦・伊藤伸一厩舎から騎手デビュー。初騎乗予定だった3レースから急遽2レースのライブリブランコに騎乗予定だった騎手が病気のため乗り替わりとなり、前倒しのデビューとなった[5]。
2025年4月20日の福島4R(4歳以上1勝クラス)でパープルナイトに騎乗して1着となり、JRA初勝利を挙げた[6]。JRA競馬学校公式Instagramによると、後日自身の勝ち祝いにジュースやお菓子、騎手課程在校生全員にサイズ確認したうえで手袋をプレゼントした。
2025年10月13日、東京競馬1レースで馬場入場後にソーマッチが放馬。騎乗予定だった小林美駒が検査のため乗り替わりとなった。本来騎乗予定だった2レースの準備をしようとしていたところ『乗れるか』と呼び止められ承諾。急な乗り替わりに対応した(11番人気12着)[7]。
騎乗成績
編集概要
編集日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初騎乗 | 2025年3月1日 | 2回中山1日目2R | 3歳未勝利 | ライブリブランコ | 16頭 | 16 | 10着 |
初勝利 | 2025年4月5日 | 1回福島4日目8R | 4歳以上1勝クラス | パープルナイト | 15頭 | 6 | 1着 |
年度別成績
編集遠藤汰月の年度別成績(netkeiba.com)参照
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c 騎手名鑑. JRA. 2025年7月31日閲覧
- ^ “ある新人ジョッキーが、決して有名ではない馬を「忘れられない」と語る理由とは?”. Yahoo!Japan 平松さとし (2025年7月25日). 2025年9月3日閲覧。
- ^ “2025年度 調教師・騎手免許試験合格者 JRA”. 日本中央競馬会. 2025年9月3日閲覧。
- ^ “遠藤汰月騎手が成績優秀者に贈られるアイルランド特別大使賞「馬の全能力を発揮できる騎手に」”. 日刊スポーツ (2025年2月12日). 2025年9月3日閲覧。
- ^ “前倒し初陣の遠藤汰月騎手は10着「安全に乗るのが大事」と三浦騎手からアドバイス/中山2R”. 日刊スポーツ (2025年3月1日). 2025年9月3日閲覧。
- ^ 遠藤汰月騎手、JRA初勝利 2025年8月1日閲覧
- ^ “発走時刻5分前に騎手変更発表、代打の遠藤汰月騎手「はい、乗ります」発走地点で着替える”. 日刊スポーツ (2025年10月13日). 2025年10月18日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
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