長瀬 恒雄(ながせ つねお、1917年1月9日 - 2006年6月29日 )は、日本の経営者

来歴・人物

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岐阜県高山市出身[1]1941年東京帝国大学法学部を卒業し、同年に鉄道省に入省した[2]短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校[3]。同年5月に卒業[3]1943年11月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた[3]

国鉄で常務理事などを歴任し、1970年5月に日本交通公社(現在のJTB)常務に就任し、専務を経て、1976年6月に社長に就任[2]1982年6月に会長に就任し、1990年6月から相談役を務めた[2]

2006年6月29日、死去[4]。89歳没。

脚注

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  1. ^ 1986年 10月16日 日本経済新聞 夕刊 p8
  2. ^ a b c 興信データ株式會社 1991, な233頁.
  3. ^ a b c 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』52、503頁。
  4. ^ 2006年 7月5日 日本経済新聞 朝刊 p43

参考文献

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  • 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』浴恩出版会、1968年。
  • 興信データ株式會社『人事興信録 第36版 下』興信データ、1991年。