高松保実(たかまつ やすざね、文化14年(1817年)12月1日 - 明治11年(1878年))は、江戸時代後期から明治時代にかけての公卿。
二条派の歌人。実父公祐(古今伝授継承者)の弟子に三条西季知がいる。
安政5年(1858年)、日米修好通商条約締結に反対し、廷臣八十八卿列参事件に参加した。明治時代には御所東(京都御苑東側)に所有していた邸宅の敷地の南半分を同志社大学の新島襄の依頼により提供した。