BMTアストリア線(BMT Astoria Line)はニューヨーク市地下鉄Bディビジョンの路線で、クイーンズ区内を走っている。アストリア英語版アストリア-ディトマース・ブールバード駅からロングアイランド・シティ39番街駅まで31丁目の上を走行し、そこから西に曲がってクイーンズボロ・プラザ駅に至る路線である。

BMTアストリア線
BMT Astoria Line
N系統W系統が全線を走行する。
概要
種別 高速鉄道
系統 ニューヨーク市地下鉄
起終点 アストリア-ディトマース・ブールバード駅
クイーンズボロ・プラザ駅
駅数 7駅
運営
開業 1917年
所有者 ニューヨーク市
運営者 ニューヨークシティ・トランジット・オーソリティ
路線構造 高架線
路線諸元
路線数 2-3
軌間 4 ft 8+12 in (1,435 mm)
電化 直流 600V 第三軌条方式
路線図
BMTアストリア線
アストリア-ディトマース・ブールバード駅
アストリア・ブールバード駅
30番街駅
ブロードウェイ駅
36番街駅
39番街駅
クイーンズボロ・プラザ駅
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全線で終日N系統が運行され、平日にはW系統も加わる。デュアル・コントラクツ英語版で建設された路線のため、1949年までIRTとBMTがIRT規格の車両で共同運行していたが、幅広のBMT規格の車両が入線できるようホームを削る改修工事が行われて共同運行は取り止めになった。

路線概要と運行パターン

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BMTアストリア線内では全列車が各駅停車で運行される。

運行
系統
時間帯
平日 週末
  全線
  全線 運行なし

北端のアストリア-ディトマース・ブールバード駅島式ホーム1面2線だが、駅南側で中央に急行線が増える。この急行線は営業運転では使われておらず、同駅折り返しのための渡り線になっている。次のアストリア・ブールバード駅は3線区間で唯一の急行停車駅である。続く4駅は相対式ホーム2面の緩行駅である。

急行線は39番街駅の南で両側の緩行線と合流し、西に曲がってクイーンズボロ・プラザ駅に到着する。クイーンズボロ・プラザ駅は2層構造になっており、北行線の列車は上層、南行線の列車は下層に停車し、IRTフラッシング線対面乗り換えができる。上層の線路には渡り線があり、数少ないBMTまたはINDとIRTとの接続部の1つになっている。クイーンズボロ・プラザ駅を出ると、地下に下って60丁目トンネル連絡線に合流し、60丁目トンネルを通ってBMTブロードウェイ線となりマンハッタンへ向かう。

歴史

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IRT8系統
 
トンネル坑口
 
ニューヨーク・コネクティング鉄道高架下
 
39番街付近のカーブ
 
クイーンズボロ・プラザ駅付近

アストリア線はもともとIRT(インターボロー・ラピッド・トランジット)の一部で、現在のIRTフラッシング線(旧クイーンズボロ線)の支線だった。クイーンズボロ・プラザ駅以北の全区間は1917年2月1日に開通し、グランド・セントラル駅とアストリア駅を結ぶ列車が運行開始した[1]。IRTの列車がコロナ線(現在のIRTフラッシング線)に直通運行を開始したのは、その2ヶ月後の4月21日である[2]

1917年7月23日には、高架のIRT2番街線のクイーンズボロ橋支線が開通した。当時、クイーンズボロ・プラザ駅行きの高架鉄道はすべてアストリア線を利用し、地下鉄はすべてコロナ線を利用していたが、後に両線で列車が交互に運行されるようになった[3]

1920年8月1日、60丁目トンネルが開通し、BMT(ブルックリン・マンハッタン・トランジット)の列車がクイーンズボロ・プラザ駅まで乗り入れるようになった。しかし、アストリア線とコロナ線の駅はIRT規格で建設されていたため、BMTの車両が停車するにはホーム幅が狭すぎた。そのため、BMTの列車はクイーンズボロ・プラザ駅で折り返し、マンハッタン方面へ戻るために駅東側に設置された折り返し線を利用していた[4]

1923年4月8日、BMTは高架車両によるシャトル列車を、既存のIRT線に加えてアストリア線(1924年にBMT8系統に改称)とコロナ線(BMT9系統)で運行開始した。1942年6月23日、IRT2番街線のクイーンズボロ・プラザ駅への支線は廃止された[5]

IRTの路線番号は1948年に設定され、フラッシング線が7系統、アストリア線が8系統となった。翌1949年10月17日、フラッシング線はIRT単独運行となった。アストリア線のホームはBMTの列車が乗り入れられるように改修され、最初に運行されたのは平日のブライトン線各駅停車(BMT1系統)と、全日運行のブロードウェイ線-4番街線各駅停車(BMT2系統)だった。その後、アストリア線はブルックリンからマンハッタンへ通じる様々な系統の北端駅として利用されるようになり、現在までに運転系統が何度も変更されている[6]

延伸計画

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2000年代初めに、メトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティ(MTA)はアストリア線をラガーディア空港まで延伸する計画を打ち出したが、地元住民の激しい反対に遭い2003年7月に棚上げとなった[7]

1920年代の交通委員会の研究では、アストリア線を北西に延伸し、ランドールズ島とワーズ島の地上または地下を通り125丁目に出てマンハッタンに至る路線とする案があった。これは概ね現在のトライボロー橋の経路と同じである[8]が、MTAがこの案を復活させるかどうかは不明である。

運行系統の改変

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予算縮小のため2010年からW系統の運行は取り止めになり、2010年から2016年までの間は平日のアストリア線内の運転はQ系統に置き換えられていた。しかし、IND2番街線の開業に合わせて運行系統の見直しが行われてQ系統は2016年11月7日から57丁目-7番街駅止めに戻され、W系統は旧来の全区間(アストリア-ディトマース・ブールバード駅 - ホワイトホール・ストリート-サウス・フェリー駅間)での運転が復活した。

駅一覧

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ネイバーフッド
(概略の位置)
  駅名 停車 系統 開業日 乗換・備考
アストリア英語版 アストリア-ディトマース・ブールバード駅 N   W   1917年2月1日[1] 開業時はディトマース・アベニュー駅(Ditmars Avenue)
急行線 始点(定期列車なし)
アストリア・ブールバード駅 全列車 N   W   1917年2月1日[1] ラガーディア空港行きM60SBS
開業時はホイト・アベニュー駅(Hoyt Avenue)
30番街駅 各駅停車 N   W   1917年2月1日[1] 開業時はグランド・アベニュー駅(Grand Avenue)
ブロードウェイ駅 各駅停車 N   W   1917年2月1日[1]
36番街駅 各駅停車 N   W   1917年2月1日[1] 開業時はワシントン・アベニュー駅(Washington Avenue)
ロングアイランド・シティ 39番街駅 各駅停車 N   W   1917年2月1日[1] 開業時はビービ・アベニュー駅(Beebe Avenue)
急行線 終点
IRTフラッシング線への連絡線(定期列車なし)
クイーンズボロ・プラザ駅 全列車 N   W   1917年2月1日[1] 7   <7> IRTフラッシング線
60丁目トンネル連絡線に接続(R  )して
60丁目トンネルを通りBMTブロードウェイ線となる(N   R   W  

脚注

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外部リンク

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