NHK Hall

sala concerti giapponese

La NHK Hall (NHKホール?, NHK Hōru) è una sala concerti situata all'interno dell'NHK Broadcasting Center, il quartiere generale dell'azienda radiotelevisiva pubblica giapponese NHK[1][2]. La sala ospita regolarmente gli spettacoli della NHK Symphony Orchestra, oltre ad altri tipi di eventi quali i Japan Music Awards (nel 1979) e lo speciale di Capodanno Kōhaku uta gassen.

NHK Hall
Ubicazione
StatoGiappone (bandiera) Giappone
LocalitàTokyo
Indirizzo2-2-1 Jinnan, Shibuya
Dati tecnici
Tiposala concerti
Capienza3.675 posti
Realizzazione
Costruzione1972-1973
Inaugurazione1973
ProprietarioNHK Service Center
Sito ufficiale

La NHK Hall originale aprì nel 1955 a Uchisaiwaichō, ospitando negli anni successivi programmi televisivi musicali quali Song Plaza e Personal Secrets. Nel 1973 fu inaugurata una nuova NHK Hall a Shibuya, all'interno dell'NHK Broadcasting Center[3].

L'acustica della sala fu curata dalla Nagata Acoustics[4], mentre l'equipaggiamento strumentale è fornito dalla Toa Corporation[5].

  1. ^ (EN) Tokyo, NHK Hall, su Operabase.com. URL consultato il 3 dicembre 2014 (archiviato dall'url originale il 13 aprile 2015).
  2. ^ (EN) NHK Hall [collegamento interrotto], in Time Out Tokyo. URL consultato il 3 dicembre 2014.
  3. ^ (EN) Pop and variety, in 50 Years of NHK Television, NHK. URL consultato il 3 dicembre 2014.
  4. ^ (EN) Taking Stock after 50 Years of Hall Acoustical Design, in Nagata Acoustics News, n. 157, 25 gennaio 2005. URL consultato il 3 dicembre 2014.
  5. ^ (EN) The Big Picture, su Proaudio-central.com. URL consultato il 3 dicembre 2014 (archiviato dall'url originale il 29 settembre 2007).

Voci correlate

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Altri progetti

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審査方法の変遷

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  • 第1回1951年) - 第13回1962年
    • 審査員が紅白に塗り分けた団扇の優勢だと思う方をステージ上に向けた数の多かったチームが優勝。
  • 第14回1963年)・第15回1964年
    • 各地方放送局のアナウンサーが地方審査員のポイントを公表。加えて、審査委員長のNHK芸能局長がステージ上で特別審査員のポイントを追加、公表し優勝チームを発表。会場の電光掲示板にも表示される。
  • 第16回1965年) - 第19回1968年
    • 特別審査員が宝箱にボールを入れ、両軍司会がステージ袖に向かってボールを投げ、ボールの数の多いチームが優勝。
      • 箱の中にはかごが2つ入っており、ラジオ第1『ふるさと自慢うた自慢』では、この方式で勝敗を決めている(審査員は3名。3回戦まで行なうためボールは合計9個)。
  • 第20回1969年) - 第31回1980年
    • 得点集計センターのオペレーターが電話で地域代表が優勢と判断したチームを聞き、両組の得点を集計する。その後、特別審査員がスイッチで1ポイントずつ点数を入れ、地域代表の審査結果と合計した点数を電光掲示板に表示し、点数の多かったチームが優勝。
      • 第23回1972年)からNHKの放送会館内の特設スタジオに電話オペレーターを置き、全国数ヶ所の一般審査員制を導入。この方式は3年後の第26回1975年)から復活し第31回まで行われた。
  • 第32回1981年) - 第52回2001年
    • 客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。観客が優勢と判断した色のうちわやカード(第32回(1981年)はカード。団扇には組司会の似顔絵が描かれている)で示し、双眼鏡を持った日本野鳥の会会員が数える風景は恒例となった。団扇による得票数は、第45回(1994年)まではその年のそろ盤日本一が暗算して自ら発表していたが、第46回(1995年)以降は代わりに緑色のユニフォームを着用した珠算有段者数名が野鳥の会と同じ場所で集計を行って総合司会が得票数を発表していた。第46回1995年)までは階毎に分けて発表していたが、翌第47回1996年)以降は全階一緒に発表するかたちに変更している。
    • 団扇の得票数が多かったチームにボールが加算され、ゲスト審査員のボールの数と合わせて、紅白それぞれの籠に加えられたボールを両軍の代表者(当初は両軍の歌手キャプテンが行っていたが、後に両軍司会に変更)が客席に向かって投げる。籠は第40回(1989年)から一時期はアシスタントの女性に持たせて司会者はボールを投げるだけの回があったが、それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。ボールの個数の多かったチームが優勝。
    • 第37回1986年) - 第42回1991年)の審査は毎年異なっており客席全体での団扇を用いた審査はこの間は行われなかった。
      • 第37回(1986年)ではゲスト審査員はテーブルに備え付けられたボタンを押して審査、そして事前の応募から抽選で選ばれた全国500世帯の家族が電話での審査、全国8か所に設けた地方審査会場では100人が従来の団扇を使った審査、これら3要素の審査(地方審査・家族審査は持ち点が1点ずつで合計1300点、ゲスト審査員の持ち点は1人20点ずつで合計200点、全て合わせて1500点で、これを上回る得票数を獲得した組の優勝)を集計して中央の巨大CRTモニターに得票数を帯グラフで表示する方式だった。
      • 第38回(1987年)・第39回(1988年)ではゲスト審査員と各エリアから選出された地方審査員がテーブルに備え付けられたボールを紅白どちらかの穴に投入、テーブルの左右側面に開けられた穴から籠に排出され、その籠を回収する形だった。
      • 第40回(1989年)は後述する要領によるゲスト審査員・地方審査員のボールだけで勝敗を決めていた。
      • 第41回(1990年)ではゲスト審査員は後述の要領、そしてNHKが無作為で決めた全国200世帯の家族審査員に配った「テレビアンケートシステム」と呼ばれる電話回線を活用した機器(家庭のテレビに取り付ける)を用いた審査、各階の客席に3人ずついる審査員が番組ロゴが描かれた紅白の札を挙げる客席審査の3つ。なお、客席の審査員が誰かは本人含め観客全員に対して事前に知らせておらず、客席の椅子の裏にランダムで隠されたプレートを見つける事で初めて分かる形だった。後者2つの審査で優勢だった方にボールが3つずつ加算される。
      • 第42回(1991年)では、ゲスト審査員に加えて、全国600世帯の家族審査、UFO型の風船(この回のオープニングにも演出として登場していた)に取り付けた集音マイクを使って「どちらの組が良かったか」という問いかけに対する歓声がより大きかった方で決める客席審査の3つだった。
    • 第37回(1986年) - 第39回(1988年)を除いてゲスト審査員(第40回(1989年)は地方審査員も)は審査席から立って黄色のボールをステージ下の箱に入れた紅白別の籠の中へ入れていく投票方式のシステムだった。途中まではボールを入れた後はそのまま審査席に戻っていたが、後年はエンディングに歌手・司会者と一緒に審査員もステージに上がるようになったため、ボールを入れた後にそのままステージへと上がっていくように動線が変えられた。
    • なお、日本野鳥の会がこれを担当したのは第32回(1981年) - 第36回1985年)と第43回1992年)であり、第44回1993年) - 第53回2002年)、第64回2013年)、第65回2014年)、第67回2016年)は麻布大学野鳥研究部が担当している。日本野鳥の会および麻布大学野鳥研究部によると、紅白用にわざわざスケジュールを空けているという。いずれも紅白それぞれのジャケットを着用し、上手・下手の進行席に分かれて集計を行っていた。
  • 第53回2002年)、第54回2003年
    • デジタル放送(第53回からはBSデジタル放送、第54回からは地上デジタル放送でも)の双方向機能を利用したお茶の間審査員による投票が行われるようになった(リモコンで紅組の場合は赤ボタン、白組の場合は青ボタンTemplate:Efn2を押して投票)。客席審査同様、お茶の間審査で優勢だったチームにボールが2個加算される。
      • 申し込みの際、デジタル総合テレビとデジタル衛星ハイビジョンが両方受信できる場合はどちらか一方のチャンネルのデータ放送で申し込みすればデジタル総合テレビ・デジタル衛星ハイビジョンのどちらでも双方向通信による投票が可能である(受信機1台に付き、1回の申し込みで可)。地上デジタル放送が受信できない地域(第54回の場合はデジタル放送が視聴できた東京都内・愛知県内・大阪府内のごく僅かのエリアを除く全都道府県の世帯)ではデジタル衛星ハイビジョンのデータ放送からの申し込みとなる。
    • 客席審査員(前者は観客の一部、後者は観客全員)はボールを使う投票方式。これは、『爆笑オンエアバトル』の方式によるものである(詳細は爆笑オンエアバトル#審査方法を参照)。双眼鏡を使っての計測が一時姿を消すことになった[1]。その後、第64回(2013年)でこの計測が復活する。
  • 第55回2004年
    • 客席は審査に参加せず、特別審査員(11票)とお茶の間デジタル審査員(2票)の13個のボールで勝敗を争うかたちとなった。
  • 第56回2005年
    • 審査員の投票総数で勝敗を競う方式に変更された。ゲスト審査員10名と「デジタルTV審査員」と新設された「ケータイ審査員」(抽選で選ばれた10,000名)に加え、2年ぶりに復活する会場審査(3,000名程度)を加えた人数で勝敗を競う。これは前年の件や不祥事に伴う信頼回復策の一環として視聴者の意見を重視してイメージアップを図ることが目的だったという。また、「デジタルTV審査員」と「ケータイ審査員」への応募者の中から抽選で各10名、計20名が「ふるさと審査員」としてNHKホールに招待された(「ふるさと審査員」がNHKホールに赴く際にかかる費用はNHK持ちとなっていた)。会場審査はゲスト審査員・ふるさと審査員も含め、専用の紅白の団扇をステージ上のレーダーに向ける『ポップジャム』のブレイクレーダー方式が用いられた。
  • 第57回2006年
    • ワンセグ放送の双方向機能による「ワンセグ審査員」がスタート。「ケータイ審査員」と同様抽選で選ばれ、定員は各15,000名。ボールを使う投票方式に戻され、特別審査員は1人1個、それ以外は得票数を数個のボールに置き換えるかたちとなった。
      • 中間審査では「ケータイ審査員」と「デジタルTV審査員」+「ワンセグ審査員」で各1個ずつ。
      • 最終審査では「会場審査員」、「ケータイ審査員」、「デジタルTV審査員」+「ワンセグ審査員」で各2個ずつとゲスト審査員10名(1名につき1個)を加え、中間審査の分を合わせるとボールの数は合計18個となった。この関係で状況によっては(従来ではこのボールが奇数になるためにありえなかった)引き分けによる両軍優勝の可能性もあった。
      • 「ケータイ審査員」は抽選となったが、「ワンセグ審査員」は対応機種が少数派のためか締め切りを過ぎても定員に達せず、放送当日まで募集を行った。
  • 第58回2007年
    • 「ケータイ審査員」が50,000名に増員、「ワンセグ審査員」は無制限となり、審査方法は再び審査員の投票総数で勝敗を競う方式になった。これには中間審査の票数も加算される。
      • 中間審査は前年までの1回から2回に増える(投票開始時間は20時00分頃、21時15分頃、23時35分頃。投票可能時間は約3分)。
      • 審査結果発表は東京タワーライトアップで行われた(通常の照明を消した後に紅か白を点灯する)。
  • 第59回2008年) - 第61回2010年
    • 同様の審査方式であるが中間審査は1回のみとなり、結果発表はステージ上のLEDパネルに映し出す形を採用。
  • 第62回2011年)、第63回2012年
    • 基本の審査方法はこれまでと同じだが、最終審査のみの得票数で競うかたちを採用。この2回ではゲスト審査員はウタ♪ウッキーのパペットを出して審査に参加した(紅組の場合はウー♪、白組の場合はター♪)。
  • 第64回2013年
    • 第57回以来7年ぶりにボール審査が復活した。中間審査にて視聴者審査員の優勢だったほうにボール1個。最終審査にて視聴者審査員、会場審査員の優勢だったほうにボール各1個。ゲスト審査員は1人でボール1個。
  • 第65回2014年)、第66回2015年
    • 団扇での投票と似ているが、ゲスト・客席ともに、ペンライトを赤か白かどちらかに点灯させて審査を行った(計測は麻布大学野鳥研究部が担当)。
      • ケータイ審査員・スマートフォン審査員が専用スマートフォンアプリを使用した「アプリ審査員」へと変更になった。
  • 第67回2016年
    • 第64回同様、ボール審査を実施。視聴者は1対戦ごとに1票の投票になった。視聴者審査員、会場審査員は優勢だったほうにボール各2個。ふるさと審査員は全員でボール1個。ゲスト審査員は1人でボール1個。ボールを利用した玉入れ形式により勝敗を決定する。
  • 第68回2017年
    • 視聴者は1対戦ごとに1票。会場とゲスト審査員は最後に1人1票投票し、全ての票の合計が多かったほうが優勝となった。舞台上の大画面で票数が表示される。
      • 視聴者の投票はデータ放送のみの受け付け(ワンセグ・アプリ審査員は廃止)、会場審査員は団扇での投票になった。舞台上の大画面で票数が表示される。
  • 第69回2018年
    • 視聴者の投票は、中間審査と最終審査の2回に戻される。視聴者・ゲスト・会場のそれぞれの票が多かったほうに1ポイントずつ与えられ、2ポイント以上を獲得したほうが優勝。
      • ゲスト審査員が発表された。併せて審査方法も視聴者、会場の観客、ゲスト審査員がそれぞれ1ポイントずつ持ちの3ポイント制、2ポイント獲得した方が勝利するという方式にすると発表。
  • 第70回2019年
    • 審査方法の詳細を発表、前回に続き「視聴者審査員」「会場審査員」「ゲスト審査員」それぞれ投票数の多い組が1ポイントを獲得し、3ポイント中2ポイント獲得した組が優勝する。また視聴者審査員は総合テレビに加え、今回からBS4K・BS8Kの視聴者も投票可能になる。インターネットで投票可能になる。
  • 第70回2019年
    • 前回と同様に「視聴者審査員」「会場審査員」「ゲスト審査員」の3つの審査で、それぞれ得票数の多い組に1ポイントが与えられ、3ポイント中2ポイント獲得した組が優勝する。視聴者審査員は総合テレビに加え、BS4K/BS8Kの視聴者もインターネットで投票可能になる。
  • 第70回2019年
    • 審査方法の詳細を発表、前回に続き「視聴者審査員」「会場審査員」「ゲスト審査員」それぞれ投票数の多い組が1ポイントを獲得し、3ポイント中2ポイント獲得した組が優勝する。また視聴者審査員は総合テレビに加え、今回からBS4K・BS8Kの視聴者も投票可能になる。インターネットで投票可能も導入なる。
  • 第70回2019年
    • 審査方法の詳細を発表、前回に続き「視聴者審査員」「会場審査員」「ゲスト審査員」それぞれ投票数の多い組が1ポイントを獲得し、3ポイント中2ポイント獲得した組が優勝する。また視聴者審査員は総合テレビに加え、今回からBS4K・BS8Kの視聴者も投票可能になる。インターネットでの投票も新たに導入なる。
  • 第70回2019年
    • 前回と同様に「視聴者審査員」「会場審査員」「ゲスト審査員」の3つの審査で、それぞれ得票数の多い組に1ポイントが与えられ、3ポイント中2ポイント獲得した組が優勝する。視聴者審査員は総合テレビに加え、BS4K/BS8Kの視聴者もインターネットで投票可能も導入なる。
  • 第71回2020年
    • 視聴者の投票は、最終審査の1回のみ行われる。視聴開始とともに1票獲得し、5分連続視聴を10回達成するごとに1票ずつ加算(テレビ1台につき最大5票)。得た票を紅白いずれかにまとめて投票し(票の分割は不可)、得票数の多いほうが優勝。ゲスト審査員も同様の形式で投票する。COVID-19に伴う無観客開催のため会場審査はなし。
  • 第72回2021年) -
    • 視聴者投票の方法は第71回を踏襲(ただし、票の分割が可能)。第69・70回同様、視聴者・ゲスト・会場(ゲストと会場はペンライトを赤か白かどちらかに点灯させて審査)の3ポイント制で実施。
      ただし、第72回以降のゲスト審査員はいずれも偶数であるため、半分に割れた場合は両組に1ポイントずつ与えられる。NHK側は「引き分けによる両軍優勝の可能性もある」と述べている。

Collegamenti esterni

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  1. ^ “野鳥の会”紅白落選!, スポーツニッポン新聞社, 26 dicembre 2003.