Wikipedia:井戸端/subj/概要について

概要について

編集

参考になる議論など

編集

今回の議論

編集

区切り1

編集
流石に長くなりすぎてるので、区切り入れます。--~2025-27726-78 (会話) 2025年10月5日 (日) 06:57 (UTC)[返信]


こんにちは。すみませんがお尋ねします。概要を次から次へと解説に書き換える編集者がいらっしゃいます。自分は全てのWikipediaのページを書き換えるのは無茶でWikipedia全体の体制を崩す行為と考えゲンキーのみ差し戻しました。そして編集争いとなりました。出来る事なら説得を試みたいのですが頭の悪い自分には難しい問題です。例の編集者はこのまま放置するべきかお教えください。えがわもデマ出典を削除するのに数年かかりましたのでゲンキーも同様かなと考えております。--Kazu7878会話2025年9月4日 (木) 20:03 (UTC)[返信]

  返信 (@Kazu7878 宛) 実例を複数、あれば5個程度記事へのウィキリンクだけでも教えて頂きたい。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年9月4日 (木) 22:47 (UTC)[返信]
返信。ありがとうございます。シャトレーゼ最上川交通イカキングエアカランイオン東根店など多数。利用者名は察して下さい。。--Kazu7878会話2025年9月5日 (金) 13:30 (UTC)[返信]
出来れば「解説」に変わった時点の編集版指定リンクを、そして当該編集者の名前くらいは明記してほしいです。
  • ウィキペディアは前提として百科事典であるため、すべての一般の記事はほぼ全文が解説であり、さらに設題に「解説」と付す意味が不明であることは事実です。
なお、当該利用者のノートページにて警告は済ませましたか?--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年9月5日 (金) 14:45 (UTC)[返信]
  情報 記事「ゲンキー」については、「ノート:ゲンキー#以前の状態への一部差し戻しについて」で第三者の方が仲介されて議論されているようです。コメント依頼もなされているようです。--Assemblykinematics会話2025年9月5日 (金) 18:46 (UTC)[返信]
  コメント
  • Wikipediaの記事において「概要」節は記事全体の要約を意味するため、記事全体の要約になっていない説明をしている節のタイトルを「概要」以外のものに変更するのは妥当だと考えます(Wikipedia:スタイルマニュアル/導入部#「概要」節を作る場合の注意)。
  • ただ「解説」というタイトルですと節の内容が分かりにくいという側面は否めず、編集された方も他に良い案があれば提案して差し支えない旨おっしゃられています。記事全体の要約でないにも関わらず「概要」節としている記事が少なからずあるのは、他に適切な節タイトルを決めにくい場合が多いのかもしれません。適切な節タイトルは個別の記事ごとに検討する必要があり、場合によっては節構成の再編も必要になってくると思います。
  • なお、「自分は全てのWikipediaのページを書き換えるのは無茶でWikipedia全体の体制を崩す行為と考え」というのは誤解・杞憂ではないでしょうか。編集された方は機械的に置換している訳ではなく、記事全体の要約になっている「概要」節は編集していないと当該ノートでもおっしゃられています。
--Assemblykinematics会話2025年9月5日 (金) 18:46 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。--Kazu7878会話2025年9月6日 (土) 00:20 (UTC)[返信]
当事者たる利用者「@Yasu」氏に意見願いを致しました。 --シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年9月6日 (土) 10:08 (UTC)[返信]
会話ページにお知らせをいただきましたので参上しました。シェン,アーナリー,ン,アーバァ.さん、ご連絡ありがとうございます。
私の編集意図はおおむね Assemblykinematics さんご賢察のとおりですので多くは申しませんが、少々補足させていただきますと、おっしゃるとおり「概要」をすべて「解説」に機械的に書き換えているわけではなく、節の内容から判断して「歴史」などさらに適切な見出しがあると考えた場合は、それを採用しています。例としては、BMW・F15能登キリコ祭り池の平小屋松山郵便局 (山形県) などがあります。ちなみに松山郵便局 (山形県) は、Kazu7878 さんが提示されたイオン東根店とほぼ同時刻の編集なのですが、お気づきいただけなかったようです。いずれにしても先に述べたとおり「解説」に必ずしもこだわるものではありませんので、内容が概要ではない「概要」を置き換える見出しとしてより適したものがありましたら、ぜひお知恵を拝借したく思います。
なお、Assemblykinematics さんがいみじくもご紹介くださったように、そもそも私の意見はすでにノート:ゲンキーでの議論において述べているのですが、当事者である Kazu7878 さんからは何らの反論もなく、また「スタイルマニュアルに反して『概要』とすべき根拠があるのなら説明願いたい」という問いに対するお答えも未だいただけておりません。しかるにこうして本来の議論場所ではないところで、しかも議論の相手方である私に知らせることなく、フォーラム・ショッピングのような行動を取られたことについては、率直に申し上げてたいへん遺憾に思います。Kazu7878 さんにおかれましては、改めて当該ノートでの合意形成に参加し、きちんと説明責任を果たしていただくことを強く希望するものです。もちろん、この井戸端をごらんになった方々からのご意見も歓迎します。--Yasu会話2025年9月6日 (土) 14:58 (UTC)[返信]
  コメント 当該記事の保護依頼や当該ノートのコメント依頼を提出した者です。当該記事において第三者の立場を維持することや自身以外の第三者コメントが付いていないことから、これ以上新たに当該ノートでコメントをすることは今のところ控えています。また、自身のおおまかな見解は当該ノートで既に述べているのでそちらを参照して頂ければ幸いです。
自身としましては『「概要」節を作る場合の注意』にもあるように、概要節自体を無くして導入部に組み込んでも良いのではないかと考えますが、どうしても節としたいのであれば同ガイドラインの観点からも概要以外の節名を考案しなければなりません。ですが、シェン,アーナリー,ン,アーバァ.さんやAssemblykinematicsさんが解説という節名では百科事典的でない、または分かりにくいとおっしゃっているような意見もごもっともだと思いますので、解説でもない他の候補を編み出す必要がありそうです。「歴史」や「略歴」などでは内容と釣り合わないですし、似たような言葉では「概説(「ある事柄の全体にわたって、そのあらましを説明すること」「物事の内容のだいたいを説明すること」など)」や「概略(「おおよその内容」「物事のだいたいのところ」など)」がありますがどうでしょうか(あくまで個人的な意見ですが)。他にも概要・解説以外の相応しい節名があれば意見が欲しい所ですね。--Nrliw (会話) 2025年9月6日 (土) 15:22 (UTC)[返信]
  コメント Yasu様、Nrliw様、補足いただきありがとうございます。記事「ゲンキー」における最近の経緯を確認しますと、
  1. 2021-01-02T07:23:09(UTC)時点 - 「概要」節はなく導入部に概要が記載されていた。
  2. 2021-03-02T05:30:49(UTC)における編集 - 導入部のほとんどが「概要」節として独立される。
  3. 2025-03-15T02:49:59(UTC)における編集 - 「概要」節に経営目標などの情報が加筆される。
  4. 2024-05-26T02:18:15(UTC)における編集 - 「概要」節に能登半島地震時の情報が加筆される。
  5. 2025-08-10T15:04:15(UTC)における編集 - 「概要」節が「解説」節に改題され、さらに情報が加筆される。
といった状況でした。Kazu7878様は古くから当該記事に関わっていて1や2の状態もご存知のため、節タイトルが「概要」であるべきと感じられて当然かと思います。Yasu様は3や4で加筆された後の「概要」節をご覧になったため、記事全体の要約ではないと捉えられて仕方なかったと思われます。Nrliw様も5の状態をご覧になられたので、当該節は記事全体の要約ではなく別の節タイトルにすべきと感じられたはずです。
現状の節構成であればNrliw様の提案される「概説」や「概略」といったタイトルや、場合によっては「基本情報」といった感じの節タイトルが候補になるかもしれません。節構成を再編する場合、個人的には
  • 「沿革」節は年表、年譜形式ではなく、複数段落の文章形式で記述し直す。
  • 「解説」節の内容を既存の節に分散する。必要に応じて「経営戦略」や「経営方針」といった感じの節を新設したり、既存の節タイトルを変更する(「特徴」節と「不祥事」節はまとめて「特記事項」とするのが望ましい?)。
  • 導入部に以前のような記事全体の主要情報をまとめた1段落程度の概要を記載する。文章量が多い場合は新しい「概要」節とする。
といった対応になろうかと思いますが、他のドラッグストアチェーンの節構成との兼ね合いもあり、プロジェクトか何かで調整が必要になるかもしれません。
なお当該記事のノートでの議論から井戸端に議論が派生してしまっていますが、一つの記事に限らない話題なのでそこは差し支えないと思います。前述のように記事全体の要約になっていない「概要」節の存在は気になっていたので、これを機に掘り下げられてよかったと感じています。--Assemblykinematics会話2025年9月7日 (日) 00:11 (UTC)[返信]
  返信 (@Yasu 宛) まずご参加頂いただけることに感謝いたします。
さて、本議論では@Yasuさんに〈「解説」という設題がなぜ妥当であるか〉についてご意見を頂きたいところです。
  1. もちろん @Yasu さんがおっしゃる通り〈「概要」とは、記事全体のまとめ〉でしょう。
  2. 他方で〈「解説」とは、ウィキペディアの記事本文の全体のこと〉ではないでしょうか。
    1. ウィキペディアは百科事典であり、節「ギャラリー」や脚注などを除くページの大部分が元より「解説」であるはずです。
  3. このとき節「解説」が存在すると、節分けの前提から〈ほかの節は解説ではない〉という構成になってしまいますね。
少なくとも現時点で私は、ウィキペディアが百科事典である前提から〈純粋に「解説」を意味する節を設けることは無意味だ〉と考えます。
@Yasuさんには、節題を「解説」に変えるよりも、次のような積極的な編集をお勧めします。
  1. 導入部や節「特徴」へ記述を移動する。
  2. むしろ「概要」にふさわしい内容に書き直す。
  返信 (@Assemblykinematics Nrliw様 宛) 必ずしも〈「解説」という節題が百科事典的でない〉というわけではありません。
導入部、本文、脚部の三構成部のうち〈本文は一般にすべて解説である〉ため、例えば〈項目を解説するすべての本文を、節「解説」内に記述する百科事典〉というのは妥当でしょう。
たまたま〈ウィキペディアでは本文をすべて単一の節内に収めない〉というだけです。
  返信 (@Assemblykinematics 宛)
とはいえ @Assemblykinematicsさんが、おっしゃる通り、ガイドラインにおいて特別な扱いを受ける「概要」に関して、各ポータルやプロジェクトごとに個別のガイドラインを設け、こういった編集に即座に対応できるようにすることは私も望ましく考えるところです。
なお、代案として@Assemblykinematicsさんがおっしゃる「基本情報」の語に関しては、特に法人や食品に関する解説において〈書式化された一律一定の情報〉を指すことがもっぱらではないでしょうか。
  • ウィキペディアもこれに習い、InfoBoxテンプレートの邦訳に「基本情報」や「基礎情報」という旨の語をよく用いています。
私は単に脚部の前に節「その他の特筆事項」を設けてしまっても、百科事典の構成として不自然でないように考えます(さすがに「雑記」だと一部の編集者がただの〈雑な記述〉をしそうなので好ましくないですが、下手に記事の頭にズルズル足されるより、雑記に当たる部分を設けてしまうほうが却って読者に優しいという判断です)
いずれにせよ、概要にもなっていないはずの雑多な記述を、当該項目の「解説」と題することには、違和感を覚えます。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年9月7日 (日) 01:43 (UTC) 利用者‐会話:シェン,アーナリー,ン,アーバァ.#発言の意図についてご確認でのやり取りに基づき、宛名を修正(取消線・下線部の部分)。--Assemblykinematics会話2025年10月2日 (木) 21:35 (UTC)[返信]
まずシェン,アーナリー,ン,アーバァ.さんにお答えしますが、私の意図としては、「解説」という見出しが妥当であるから「概要」を置き換えているというよりも、内容が概要ではないのに「概要」の見出しが付いているのが不適切であるがゆえに、「概要」よりも適切と思われる見出しに変更している、というのが正確なところです。必ずしも「解説」という見出しが最良というわけではないことはすでにお断りしているとおりで、「歴史」など見出しとして適切な用語が他に見当たらない場合において、あくまで便宜的に「解説」を使っているのだとご理解いただければ幸いです。ご提案については、確かにそのような手段をとりうる場合も考えられますし、また実際にそのような編集をすることもある(最近の例としては、親不孝通りスクエア・ワン・ショッピング・センター宇出津町など)ことは申し上げておきます。
もっとも、私の見るところ、脚注や外部リンクなどを除くとひとつの節しかない(記事の対象について、歴史や特徴なども含め一節だけで本文を記述している)記事において、その節に「概要」という見出しが付けられているケースは少なくなく(私が編集に関わったものでは、カフェ・リエジョワ米坂線雪崩直撃事故能登丼BMW GROUP Tokyo Bay松尾八幡平地熱発電所などがあります)、このような場合において当該節の見出しを「解説」とするのはまったく不自然ではないと考えられます(ちなみに立山の歌高崎市歌など、同様に本文の記述が一節のみの記事で、初版から当該節を「解説」としている例も存在します)。あわせてご理解を求めるものです。
なお「解説」よりもふさわしい見出しの候補としてすでにいくつかのご提案が出ていますが、「概要」と語感の似た「概説」「概略」といった用語は、概要(記事全体の要約)ではない節の「概要」を置き換えるのに適しているのかどうか疑問であり、個人的には「解説」のほうがまだましではないかとも感じます。引き続きご意見お待ちします。--Yasu会話2025年9月7日 (日) 15:04 (UTC)[返信]
  コメント - Wikipediaでは古くより「概要」というセクションが「とりあえず最初のセクションでいろいろと書く際に使うラベル」的な雑な扱われ方をしていて、記事全体の要約であるはずなのにそこにしか書かれていない情報があったり、全体の要約にしてはトリビア的なネタが混じっていたりする(たいていは、置き場に困ってこの節に放り込んでいる)ので、方向性としてはそれを是正しようとするYasuさんに賛成です。ただし、元はと言えばその節の記述が概要としての体をなしていないのが原因ですので、単純に節名称を変えていけばOKというわけでもなく、節の内容を再検討して適切な位置に記述を移したりするなどの工事が必要でしょう。場合によっては、そうした施術によって正しい概要に書き換えられるかもしれません。--ButuCC+Mtp 2025年9月8日 (月) 15:53 (UTC)[返信]
  返信 (@ButuCC 宛) まさにそこです。
  返信 (@Yasu 宛) 節題を「解説」に変えるだけでは、@Yasuさんがお察しの通り〈その場しのぎ〉でしかありません。
繰り返しますが〈比較的マシな節題〉へ変えるだけの〈みだりな節改題〉はお控えください。
  1. おかしな概要を見つけたら、先ほど紹介したテンプレートを用いて指摘してください。
  2. あるいは、@Yasuさん自身で相応しい内容に編集することが本来、望ましい姿勢でしょう。
もし「概要」というには不適切であったとしましょう。
  1. 他方で、私が述べたように「解説」というのも矛盾するため不適切でした。
  2. さらに〈解説が一つの節だけで終わっている記事〉というのは、内容不足か分割不足でなおさら不適切です。
  3. 節「概要」が不適切だったとしても、同時に節「解説」も不適切で、節題を変えるだけでは何の解決にもならないのです。
@Yasuさんは今後ぜひ、問題を報告するか、解決するかして頂きたいです。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年9月10日 (水) 08:23 (UTC)[返信]
  返信 (シェン,アーナリー,ン,アーバァ.さん宛) 「先ほど紹介したテンプレート」とおっしゃるのはどのテンプレートのことでしょうか。話の流れから推測するにおそらく {{概要節がおかしい}} かと思いますが、お間違いないでしょうか。以下、正しいという前提で話を進めさせていただきます。
まずは個人的な事情で恐縮ですが、私は日々の調べ物にウィキペディアを活用しており、複数の分野の多くの記事を日頃から読んでいます。そうすると今回のように「概要」と名乗りながらも概要の体をなしていない節など、スタイルに問題がある記事が頻繁に目に入ってきますので、見かけたものについてはなるべく手を入れるようにしています。ただ、私も業としてウィキペディアを編集しているわけではないため、編集のために使える時間には限りがあり、ひとつひとつの記事をすべて理想的な状態にまで持っていけるだけの余裕が必ずしもあるとは限らないのが実情です。言ってみれば、100 点満点で 40 点程度の記事がいくつもある状態で、それらを全部 80 点や 90 点の状態まで改善して回るのは難しく、50 点や 60 点にするのが精一杯というときもあるということです。そういった場合に、「比較的マシ」な状態にするだけの「その場しのぎ」の編集はするな、「相応しい内容」に編集すべし、というのは、50 点ではなく 90 点の状態にする編集をせよ、というようなことかと思いますが、たとえ 40 点が 50 点になるだけの軽微な改善であっても、改善になっているのであればその編集は妥当なものといえると私は考えています。なんとなれば、ウィキペディアでは完璧でない編集も方針によって認められているのであって、記事を理想的な状態にする完璧な編集だけでなく「比較的マシな状態にする」だけの軽微な改善も受け入れられているからです。したがって私としては、今後も状況によっては「比較的マシな状態にする」だけの編集を行わせていただく可能性はあると思いますので、重ねてご理解を求めるものです。もちろん、時間的な余裕が十分あったり特定少数の記事にじっくり取り組める状況にあったりする他の編集者が、最初から完璧な編集を目指すことを否定するものではありません。
なお、ご意見からすると「解説」という見出し自体も不適切である(から改善にはなっていない)というお考えの様子ですが、「概要」という節はスタイルマニュアルにおいて使い方が規定されている一方、「解説」はそうではありません。すなわち、他のみなさんもおっしゃってくださっているように、記事の要約になっていないのに「概要」の見出しが付いている節はルール上不適切で修正の必要があるものの、「解説」という見出し自体は特段ルールに反しているわけではありません。よって、記事の要約ではない「概要」を「解説」に変更することは(わずかではあっても)改善に属する、というのが私の考えです。記事全体が解説なのだから「解説」という見出しでは意味がないというご批判は甘んじてお受けしますが、だからこそ「解説」に代わる意味のある見出しを現在みなさんが検討してくださっているのであって、少なくとも、不適切な「概要」をより適した見出しに変更すること自体は適切な編集であるとおおむね合意に至っているように見受けられます。シェン,アーナリー,ン,アーバァ.さんにもぜひ、「解説」よりも意味のある見出しの候補をお考えいただければ幸いです。念のために申し上げますと、ButuCC さんがおっしゃっているような、節分けの変更など抜本的な対応を行ったほうがよい場合については、最終的にその状態を目指すことにはむろん賛成ではありますが、どのように変更すべきか検討に時間を要する場合、その前段階として、先述のような「比較的マシな状態」にしておくステップを踏む可能性もあり、その際に「概要」に代わる見出しが必要になることも考えられます。ですので、いずれにしても、不適切な「概要」を置き換える見出しについて候補を用意しておくことは決して損にはならないと判断するものです。
最後になりましたが、{{概要節がおかしい}} については、私の力だけでは対処が難しい、他の編集者の考えも聞く必要があると感じたケースにおいては向後使用を検討したいと思います。--Yasu会話2025年9月13日 (土) 14:58 (UTC)[返信]
  返信 (@Yasu 宛) ご明察通り、話の流れもなにも{{概要節がおかしい}}のことでございます(まさか本心から「どのテンプレートのことでしょうか」と仰せのはずもなく、念のためでしょうから具に深くは追求しませんが)
  1. 先ほどから指摘しておりますが〈節タイトル・見出しはみだりに変えないでください〉という、技術的な制約に伴う方針についてはどのようにお考えでしょうか。
  2. 節題を変えたところで、内容が〈雑多な記述の寄せ集め〉であることは改善しないため、いずれにせよ内容そのものの編集が必要であることについてはどのようにお考えでしょうか。
  3. また、ご自身で内容の編集ができないならば、問題報告のためテンプレート{{概要節がおかしい}}を貼付したり、加筆依頼を行ったりする必要があることについてどのようにお考えでしょうか。
  4. 誤解を招いているため訂正しますが「比較的マシな状態」とは〈概要節がおかしい〉という観点のみからであり、少なくとも「解説」という節は記事全体の構成の上では〈絶対的にマシではない状態〉になることを散々ご説明しましたが、お読み頂けなかったようですね。
  5. そしてご自身で「意味のある見出しの候補をお考えいただければ幸いです」というほど〈適切な節題に検討がついていない〉にも関わらず、見出しをみだりに変えないという方針を無視し、適切な問題報告テンプレートを探すこともなく、内容をそのままに節の改題を複数回実行したのであれば、@Yasuさんは客観的に見て「望ましくない編集姿勢だ」と評されるかもしれん。
繰り返しますが、問題を別の問題にするだけであれば、他の編集者を頼ってください。ご存知の通りウィキペディアというものは、@Yasuさんだけが編集して回る必要はございません。仕掛ケであって今後も面倒を見る予定ならいざ知らず、@Yasuさん自身も納得はしていない中途半端な編集をするよりか、@Yasuさんを含む私たち一人ひとりが自信を持って行える、自身が得意とする貢献だけで、ウィキペディアというものはより良くなります。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年9月14日 (日) 01:50 (UTC)[返信]
  返信 まず {{概要節がおかしい}} については、「先ほど紹介したテンプレート」とおっしゃっているにもかかわらず、当議論におけるご発言の中で当該テンプレートに言及されている箇所が見当たりませんでしたので、確認のためにお尋ねしたものです。こちらの推測通りでお間違いないのであれば何よりです。もし万が一、実際にご紹介くださっているのを私が見落としていたのでしたらご寛恕ください。
本題について、以下個別にお答えします。
  1. 適切でない見出しを適切なものに変更すること自体は、控えめに申し上げても特に問題があるとは考えていません。事実、当議論においても他の編集者の方々が「記事全体の要約になっていない説明をしている節のタイトルを「概要」以外のものに変更するのは妥当だと考えます」「どうしても節としたいのであれば同ガイドラインの観点からも概要以外の節名を考案しなければなりません」とのご意見をお寄せくださっています。「技術的な制約」とは、節の見出しを変更すると他記事からのセクションリンクが機能しなくなる弊害のことをおっしゃっているのかもしれませんが、節分けを変更して「概要」節を解消する場合などでもセクションリンクが切れてしまうのは同様であるため、そのような弊害があることをもって(記事の改善を意図した)見出し変更ができない理由にはならないものと思います。なお「見出しをみだりに変えない」という方針がある、というのは寡聞にして存じませんでしたが、もし実際にそのようなウィキペディアの方針が存在するのであれば、参考のためにぜひその方針ページをお示し願います。
  2. ウィキペディアにおいて「雑多な記述の寄せ集め」とは、一般的には WP:TRIVIA に相当するような記述方法のことをいうように思います。歴史や特徴など様々な内容が同一の節で記述されている場合であっても、WP:TRIVIA と違ってしっかりと文章で書かれているのであれば、分割が望ましい分量であるといった事情がないかぎり、やはり問題となるものではないと考えられます。そもそも(正しく記事全体の要約となっている)「概要」節であれば、それ自体、様々な内容が記述された内容におのずとなるはずです。すなわち、「雑多な記述の寄せ集め」というのが「様々な内容が同一の節で記述されている」状態を指すのであれば、それだけをもって「内容そのものの編集が必要である」という前提が成り立つとは必ずしもいえないということになります。様々な内容を同一節で記述すること自体を制限する規定が、スタイルマニュアルなどウィキペディアのルール上に存在するのであれば話は別ですが、私が把握する限りにおいてはそのような規定は見たことがありません。かかる規定が実在するのをもしご存じでしたら、同じく参考までにお示しいただきたく思います。
  3. これに関しては前回発言の最後にお答えしたとおりです。
  4. ウィキペディアの記事はその全体が解説なのであるから「解説」という節は適切ではない、というご意見は承知していますが、前回の発言で述べたように、「解説」という語そのものが(「概要」とは違い)ウィキペディアにおいては特段の意味を持った節名として規定されていない以上、この見出しを使うことで「絶対的にマシではない状態」になる、というお考えには与しかねます。これは、おそらく「解説」という語(の意味合い)に対する認識の差が影響しているのかとも推測しますので、もしそうであれば意見の一致に至るのは困難であろうと思います。ただ、「解説」に代わるさらに適切な見出しがあればそちらを使うことはすでに繰り返し表明しているのであり、「解説」としたことが問題かどうかにいつまでもこだわり続けるよりも「さらに適切な見出し」を考案する努力をするほうが建設的ではないかとも感じます。「解説」では意味がないのであれば意味のある見出しをご提示いただきたい、と申し上げたのもその一環です。
  5. まず「見出しをみだりに変えないという方針」という点については上記 1. で述べたとおりです。私が「適切な設題に検討がついていない」まま改題を行った、とのご指摘ですが、概要になっていない節に付けられた「概要」の見出しを他のものに変更すること自体が適切とされている以上、これらが不適切な編集であったとの認識はありません。少なくともそのような編集を行ったことで批判される理由はないものと思います。また、「歴史」や「特徴」など「解説」よりも適した見出しがあると判断したケースではそれらを使用していることはすでに述べているとおりです。「(節の)内容をそのままに」改題のみ実行することが「望ましくない編集姿勢」であるかどうかはコミュニティの判断に委ねますが、100 点満点で 40 点の記事を 90 点まで引き上げる編集のみならず、ただ 50 点にするだけの編集であっても、方針によって等しく受け入れられているということは重ねて指摘しておきます。
最後段のご意見について、「(私)自身も納得はしていない中途半端な編集」とおっしゃいますが、たとえ 40 点が 50 点になるだけの編集であろうと、わずかながらでもその記事の改善につながっているのであれば、それは意味のある編集であると考えています。もちろん、80 点や 90 点の状態まで引き上げるほうがより理想的であることは否定しませんし、その意味では 50 点の編集が「中途半端」とお考えになるのも理解はできますが、50 点であっても記事の改善になっている(少なくともそう信じて編集を行っている)以上、私としては「納得はしていない」ということはまったくありませんので、その点ご承知おきいただきたく思います。また、ウィキペディアの記事は私だけが編集して回るものではなく、必要なときは他の編集者を頼るべきというのは全くもっておっしゃるとおりですが、「自身が得意とする貢献だけで、ウィキペディアというものはより良くな」るというのが、もし「だからそれ以外に余計なことはするな」との趣旨でのご発言なのでしたら、そのようなお考えに対しては、多様な参加姿勢が受け入れられるというウィキペディアの精神に鑑みて懸念を表明するものです(私の杞憂であることを願います)。
以上をもってシェン,アーナリー,ン,アーバァ.さんへのお答えといたしますが、必ずしもご満足いただけるような回答ではないかもしれません。ご不満であれば、私に対するコメント依頼を提出していただいても差し支えありません。いずれにせよ、私としても他の方々のご意見を拝聴したいところではあります。--Yasu会話2025年9月14日 (日) 15:06 (UTC)[返信]
すでに本議論において示しましたことを、またも示せと仰ったり、文の趣旨より字面を重んじたりするのはこちらの文章力の問題ですが、方針絶対主義を採って、私論やそのほかのドキュメント、日本語文章の自然な論理構造を超越するものとするならば、もう私とは方向の異なる哲学をお持ちのようですので、であれば私が申し上げるべきことはございません。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年9月15日 (月) 08:51 (UTC)[返信]
私の意見が「文の趣旨より字面を重んじ」「方針絶対主義を採」るものであるというご指摘ですが、実際にルールの趣旨よりも字面を重んじているかどうかはともかく、ルールという明確な根拠をもとに意見を述べることになんらの問題があるとは考えておりません。少なくとも根拠を示さずに自らの個人的な感覚のみに基づいて意見するよりははるかに望ましい態度であると思います。もしルールの解釈が間違っているというのであればご批判は甘受するところですが、そうでない場合、正式なルールが私論を超越するのはごく当然のことであり、また「日本語文章の自然な論理構造」なるものにも明確な定義がない(個人によって考え方が分かれる)以上、遺憾ながらご意見に理由があると思料するのは困難であると感じます。
前後しますが「すでに本議論において示しましたことを、またも示せと仰った」というのは、私からご提示をお願いした件(みだりに見出しを変更しないという“方針”)のことかと思いますが、私のほうではそのような方針について当議論において言及された形跡が発見できませんでした。「示しました」とおっしゃるからにはかかる方針ページが実在するということになりますが、私が不注意で見落としていたのであれば深くお詫びいたしますので、今一度そのページをご提示いただけますよう、改めてお願いするものです。--Yasu会話2025年9月27日 (土) 14:58 (UTC)[返信]
少なくとも私は『概要』を『解説』に置き換える行為は改悪だと思います。『概要』は『前』に置かれるものですが、『解説』は『後』に置かれるものだからです。
たとえば問題集の場合、『解答→解説』という流れですよね。Wikipedia記事においても、『注釈で述べるには長い文章量』の補足を述べるのが『解説』だと思います。つまり、『それまでに述べた説明の深掘り』が『解説』です。
違う名称にしたいなら、『導入』『前置き』『序説』等はどうでしょうか?少なくとも私なら、変える場合は『導入』を選ぶと思います。実際のケースによっても変わる筈なので、一般論としてですが。--~2025-64616-3 (会話) 2025年9月18日 (木) 14:53 (UTC)[返信]
ご意見は承りましたが、上記シェン,アーナリー,ン,アーバァ.さんへの回答で述べたように、「概要」という語がガイドラインによって使い方が決められている一方で「解説」はそうではありません。よって、少なくとも、不適切な「概要」の代わりに「解説」を使うことが改悪であるというべき理由はないものと思います。「問題集の場合、『解答→解説』という流れ」とのご指摘を否定するものではありませんが、ウィキペディアは百科事典を作るプロジェクトであり、問題集などとはそもそも考え方が違いますので、お考えのような構成がそのままウィキペディアに適用できるとは限りません。また、後段でご提示くださった「導入」「前置き」「序説」といった案についても、たとえば序論→本論→まとめのような構成をとる論文などでは有効かもしれませんが、百科事典であるウィキペディアにおいて「序論」や「導入」などといった節が必要であるとは考えられませんし、実際にスタイルマニュアルもそのような構成を推奨しているわけではありません。畢竟、縷々ご説明いただいたところはなはだ恐縮ではありますが、ご意見を是とすることはできかねます。--Yasu会話2025年9月27日 (土) 14:58 (UTC)[返信]
@Assemblykinematicsさん、ButuCCさん、Kazu7878さん、Nrliwさん、Yasuさん、シェン,アーナリー,ン,アーバァ.さん
①『概要→解説』の置き換えは、特別:差分/106515433で述べたように、不適切であるので行わない。
②置き換える場合、『導入』『前置き』『序説』等を選ぶ。
③そもそも冒頭に有るべきではない、『とりあえず概要に入れておいた』ような内容は、別途『余談』セクションを作って、そちらに移動する。
とかはどうでしょうか?--~2025-26483-93 (会話) 2025年9月24日 (水) 05:27 (UTC)[返信]
私の場合、直すからには本腰を入れて内容の取捨選択や再配置、本来の概要となるように適切な要約の加筆などを施さねばならないので、そこまで手を施せる見込みがない場合は見かけても放置してますね。もっとも、よくあるパターンとして導入部の記述を一行のみ残し、残りの記述との間に概要節を挿入して概要にしてしまうというものがあります。その場合は簡単です。概要節を撤去し元に戻すだけです。導入部の長さについては様々な考え方があり、一定の目安も存在しますが、一行のみ残して二行目以降を概要にしてしまうのは不適切な場合が多いです。もともと要約として書かれていた記述ではないのですから。
余談ですがとある私論の一節に「日本語版の概要節という考え方」という記述を見つけました。導入部の記述方法と絡んで、日本語版において概要の体をなしていない概要が蔓延した経緯を漠然と語っています。そしてそれ故に、その修正は単純な節名の修正では済まないということも書かれています。--ButuCC+Mtp 2025年9月26日 (金) 17:00 (UTC)[返信]
こちらにも回答をしておきます。
  1. 不適切な「概要」をほかの見出しに変更すること自体については、すでに複数の方から賛同が得られています。また上記のとおり「解説」という見出しの使い方を制限するルールはありません。したがって、「概要」を「解説」に置き換えることそのものが必ずしも不適切とはいえないものと思います。
  2. 同じく上記のとおり、「導入」「前置き」「序説」といった類の見出しは、百科事典であるウィキペディアに適するものではないと考えられます。当該節の内容から判断して、たとえば「歴史」「特徴」など、節の記述に即した見出しがあれば、それを採用するのがよいと思います(私自身そうしていることはすでに述べています)が、歴史や特徴など複数の内容が記述された節であって、複数節に分割するほどの分量がない場合または他節に記述を移動するなどの方策がとれない場合においては、今のところ「解説」とするのもやむを得ない(少なくとも「概要」のままにしておくよりはまし)というのが私見です。
  3. 「余談」という節を作ること自体を明確に禁ずるルールは把握していませんが、そもそも「余談」とは本題から外れた無駄話という意味であるため、百科事典であるウィキペディアの記事にあえてそのような節を設けるのはいかがなものかと思います。また「余談」という節は、スタイルマニュアルに反する雑多な内容の箇条書きとなる可能性が高く(Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける参照)、その点からいってもおよそ積極的に作成すべき節とは考えられません。なお、以前にシェン,アーナリー,ン,アーバァ.さんからも「その他の特筆事項」という案をいただいていますが、同様の理由でやはり好ましいものとは言いがたいように思います。
--Yasu会話2025年9月27日 (土) 14:58 (UTC)[返信]
ここまでの議論を踏まえて尚、「概要→解説」を強行する行為には、問題が有ります。よって、事前にノートにて、セクション名の変更の提案を行い、合意形成を成立させた上で変更してください。慣例では1週間(168時間)以内に異論がなければ、それも合意形成の成立とされています。
万が一、『事前の合意形成が行われていない』『変更から1ヶ月が経過していない』ものを見かけた場合、『合意のない変更』として差し戻した(「概要」へと戻した)上で、『どういったセクション名が望ましいか?』をWikipedia:コメント依頼に出す事になると思います。--~2025-27426-53 (会話) 2025年10月2日 (木) 12:04 (UTC)[返信]
✕『変更から1ヶ月が経過していない』
○『変更から1週間が経過していない』
予測変換ミスを失礼しました。--~2025-27426-53 (会話) 2025年10月2日 (木) 12:07 (UTC)[返信]
  コメント 返信が遅くなり恐れ入ります。個人的には「解説」はそこまで悪いものとは感じませんが、拒否反応を示す方がいる場合はWikipedia:合意形成に基づき、事前にノートで合意形成を図る方が無難かもしれません。なお
②置き換える場合、『導入』『前置き』『序説』等を選ぶ。 — ~2025-26483-93 2025年9月24日 (水) 05:27 (UTC)
との提案には反対です。これらはいずれも「解説」同様に不適切ではないでしょうか。特に『導入』については、議論をする際に導入部(冒頭部)と誤解する可能性があります。また、上で一つの案として「基本情報」を提案させていただきましたが、ご指摘を受けたようにいろいろと紛らわしいため、適切ではないとして取り下げたいと思います。
なお、基本的には個々の記事によって適切な節構成・節タイトルが異なるはずです。本井戸端の議論を経て、「ノート:ゲンキー#以前の状態への一部差し戻しについて」では節構成の再編について提案がなされ、議論がまとまりつつあります。基本的には「概要」節がWikipediaにおける「概要」として不適切な場合は、まず“記事全体の”節構成から考え直すというのがベターかと思います。全体の適切な節構成から、その記事にあった節タイトルに自然と収束していくと考えます。--Assemblykinematics会話2025年10月2日 (木) 21:35 (UTC)[返信]
  返信 (~2025-27426-53 さん宛) 記事全体の要約となっていない「概要」であっても「解説」に改めるのは不適切であるというご意見には理由がないことはすでに説明しました。そして、それに対する反論は今のところありません。よって、そのような「概要」を「解説」に改めることに問題があるとはまったく考えていませんし、したがって事前の合意形成が必須であるとも思われません。もっとも、ゲンキーの一件のように編集合戦となるのは本意ではないので、場合によっては事前にノートで確認する可能性も否定はしませんが、いずれにせよ「解説」という見出しはどうあっても不適とお考えであれば、まずはウィキペディアの記事において「解説」という見出しを使ってはならない根拠をお示しください。確たる根拠もなしに「解説」は不適切だと主張しつづけるのはいつまでも「納得」しないに類する態度であり、むしろそのほうが問題ある行為であると思料します。
なお、私自身はこの議論が始まって以降、「概要」を単純に「解説」に変更する編集は基本的に行っていない(行ったとしてもおそらくわずかな数)と認識していますが、記事全体の要約となっていない「概要」を「解説」にする編集に対してそのまま差し戻しを行うことについては明確に反対します。記事全体の要約ではない「概要」を他の見出しに改めること自体については、複数の方々が賛同している一方で反対意見は出ていないため、この点については合意に至っていると判断できます。すなわち逆に言えば、当該節が記事全体の要約ではない状態のままで「概要」に戻すことは明らかに適切な編集ではありません。ルール上もそのような節に「概要」という見出しは使えない(一方で、「解説」はそのような制限はない)ことは、この議論で繰り返し指摘してきたとおりです。--Yasu会話2025年10月4日 (土) 14:58 (UTC)[返信]
口の悪い言い方をするなら「まだやってんのか」という印象です。そもそも(スタブ記事の)節の名前をどうするかというのは枝葉末節、重要なのは本文の充実だ、というスタンスは最低限持ち合わせるべきで、この議論自体、駐輪場の屋根な分色々言いやすいというだけで重要度としては低いと言わざるを得ません。この議論のために費やされた5万バイト分の労力が当のスタブ記事の加筆に向けられていたほうが遥かにWikipediaにとっては有用だったでしょう。Yasuさんは『40 点が 50 点になる』と仰っていますが、ちゃんと出典にあたって加筆するプロセスを経ずに1点でも上積みできると思わないほうが(精神性としては)よいのではないかと思います。
また、Yasuさんの『1.不適切な「概要」をほかの見出しに変更すること自体については、すでに複数の方から賛同が得られています。また上記のとおり「解説」という見出しの使い方を制限するルールはありません。したがって、「概要」を「解説」に置き換えることそのものが必ずしも不適切とはいえないものと思います。』については全面的に反対です。「概要」があまり良くない、というのはその通りかもしれませんが、「解説」ならばOKだ・優れている(から変えていい)という合意がありますか?実際、『概要』を『解説』に置き換える行為は改悪だと思います』(仮アカウントさん)などのコメントもあるではありませんか。私個人としては「概要」は微妙だけどまだ許容範囲、「解説」は違和感大、その他候補(『導入』『前置き』『序説』等)も違うかな、という感覚です。
ここまでの議論ではっきり言えることがひとつあり、「概要」「解説」「導入」「前置き」「基本情報」まあ何でも、これまで出された案では到底合意には至らないだろう、ということです。これはおそらく、そもそも記事の充実度が低く適切な節構成にできていないことに起因するのかと(Assemblykinematicsさんの直近のコメントなどはそのあたりを踏まえたものと認識しています)。ゲンキーなどは比較的内容がある記事だったので、中身を見て議論できたから解消できつつある、という状況かと思われますので、まずは記事の内容の充実から考えるべきです。
この前提のもと  提案 ですが、
・短い記事に使われる「概要」「解説」などの漠然とした節タイトルにおいて推奨できるものは現状ない。いずれを使うべきかについては特に定めず執筆者に任せる。
・いずれかを推奨できない以上、相互の書き換えは自粛する。※これは単にもめごとを起こさないための暫定処置です。
の2点が今決められる限界なのではないかと思われますが、いかがでしょうか。
もちろんこれは「概要」「解説」……のどれが望ましいかの議論を妨げるものではありません。が、結論がすぐには出ないであろうと思われますので、いったん中間の着地点を作っておきませんか?という提案になります。--Capsellanaut会話2025年10月4日 (土) 00:27 (UTC)[返信]
この議論にずっと違和感を感じながら横目で見ていましたが、今般のCapsellanautさんのご意見に賛同します。記事全体を見て、「概要」として説明すべき内容か、導入部や他の節に持って行くべき内容か、全体を再構成する必要があるか、そういったことを考えずに「概要」の字面だけをおかしいとして書き換えるのは何ら記事の質の向上に寄与しません。むしろ新たな違和感の原因を作ることにもなりかねないものです。同様に、導入部が短いことをもって単純に==概要==を除去して導入部を増やそうとする編集をする方もしばしば見かけますが、これも杜撰な編集と考えます(当然、逆も然り)。もし概要になっていない概要節があって問題だというのだったら、記事全体を再構成せねばならないはずです。導入部にあるべき文章、概要節に分けるべき文章、他の節に移動すべき文章、全体のバランスや読みやすさも意識して、記事全体の適切な構成を考えるというのはそれなりの時間をかけて行う必要がありますし、それをするつもりがないのだったら、単純な節タイトルの書き換えだけで問題を解決できると思うべきではありません。このような単純な節タイトル相互の書き換えは行うべきでないという提案にも賛同します。--Takisaw会話2025年10月4日 (土) 02:54 (UTC)[返信]
「導入部が短いことをもって(中略)導入部を増やそうとする編集(中略)(当然、逆も然り)」という点については既に私が述べたことと一方の面では被りますが、単に「概要」節の抱える問題だけでなく、「導入部の長さはかくあるべきか」という各人の考え方の違いがら生じる複雑な事情があります。最初に筆者が書いた状態を起点として、後から見た別の編集者が「導入部は簡潔であるべき」と考えた場合は導入部の文章を切り取って概要を作り、逆に「導入部が簡潔すぎる」と考える方の場合は概要節から文章を持ってきたりするのです。この場合の論点の主体は概要節ではなく、導入部についての意見の相違ということになります。これは概要節が「とりあえず最初のセクションでいろいろと書く際に使うラベル」として深く考えずに使われている実情に伴うものでもであり、「導入部から除く/導入部へ足す」という主目的を果たすうえで概要という字義を気にせずに文章を行ったり来たりすることに抵抗がなくなっているとも言えます。
もっとも、WP:MOSINTROに「導入部は記事全体の前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべき」とあるように、そもそもの話として、概要は2つあるのです。「導入部」で小さな概要を構成し、「概要節」で改めてもう少し詳しい概要、そして本文に続く…という記事構成になるので、概要を二つも用意するほど内容がない場合は「概要節」による二回目の概要が不要になるのです。その点からいって、個人的には導入部削減を優先して概要節を無理に作るのは本末転倒であると考えます。--ButuCC+Mtp 2025年10月5日 (日) 09:45 (UTC)[返信]
仰るとおりで、導入部の長さと「概要」節の使い方に関しては、一応の目安が文章化されてはいますが、それとてルールやガイドライン間の整合が十分と言えないのではと思うところもあり、一方で導入部が定義文1文のみという記事も現状でも膨大に存在しており(その姿を好む利用者すら存在する)、wikipedia内でコンセンサスが取れているとは言えない状況と考えています。にも関わらずガイドラインの文面を見て、あるいは自分の考えるあるべき姿だったり、自分の考える問題解決だったりで、導入部の分量や「概要」節の追加/撤去・タイトル修正に強い拘りを持つ利用者がいます。本人はガイドラインに基づいて質の向上を図っているつもりなのかもしれませんが、新たな違和感の原因になったり、記事全体の節構成やバランスを崩してしまっていたり、雑多な記述を導入部や概要に持ってくることになったり、他の利用者にとっては改悪にしか映らないこともあるのですよね。だからこそ記事全体を見ない安易な書き換えや概要節の設置撤去は慎むべきと思うところなのですが。--Takisaw会話2025年10月5日 (日) 12:21 (UTC)[返信]
  返信 (Capsellanaut さん宛) ご意見は承りましたが、Capsellanaut さんを含め、みなさん「解説」という語に対するご自身のイメージだけで良い悪いを論じていらっしゃるように見受けられます。「私個人としては『解説』は違和感大」というだけでは、率直に申し上げて反対の理由になるとは考えられません。確かに「解説」が優れているという合意は今のところありませんが、「解説」は駄目だから禁止しよう、というご意見にも理由がないことも確かです。
なお、後段のご提案についてですが、繰り返し述べているように、ウィキペディアにおいては「概要」という語の使い方はある程度ルールで規定されています。したがって、その規定から外れた使い方をされている(記事全体の要約となっていない)「概要」節については、積極的に修正するべき(単純に見出しのみ他の語に置き換えるという手段に限らない)というのが私の考えです。「概要」以外の語が「短い記事に使われる……漠然とした節タイトル」に使われている例であれば、それをいちいち他の語に変更するべきではない、という点については同感です。
最後になりましたが、「まだやってんのか」というお考えはよく理解できますし、この議論に要した時間を記事の充実のために使えていたら、というのもまったくおっしゃるとおりです。しかし、確たる理由なしに「不適切な『概要』をより適切な節名に改める」という自由が阻まれるという事態は避けたいので、首肯できないご意見が寄せられた場合は、今後とも引き続き反論させていただく所存です。--Yasu会話2025年10月4日 (土) 14:58 (UTC)[返信]

区切り2

編集
流石に長くなりすぎてるので、区切り入れます。--~2025-27726-78 (会話) 2025年10月5日 (日) 06:57 (UTC)[返信]
~2025-27426-53です。@Yasuさん事前にノートにて、セクション名の変更の提案を行い、合意形成を成立させた上で変更してください。慣例では1週間(168時間)以内に異論がなければ、それも合意形成の成立とされています。』と書いたのが読めませんでしたか?こちらは『事前に合意形成さえしていれば、「概要」→「解説」を容認する』と言っているのですよ。それのどこが『いつまでも「納得」しない』に該当するというのでしょうか。
むしろ貴方の『確たる理由なしに「不適切な『概要』をより適切な節名に改める」という自由が阻まれるという事態は避けたいので、首肯できないご意見が寄せられた場合は、今後とも引き続き反論させていただく所存です。』というスタンスこそが、『いつまでも「納得」しない』に該当する可能性が有ります。今までは兎も角、今回の議論で、『編集合戦になりかねない』事は認識されている筈です。それなのに、どうして『ノートで事前合意を取る』という手順を省こうとするのですか?
『事前にノートで提案されておらず、変更から1週間(168時間)が経過していない』場合は差し戻すと言いましたが、今回の議論を経てなお、事前合意プロセスを経ずに改称することは、『腕ずく』であるからです。そして単に戻すだけでなく、『正しい在り方は何なのか』を、提議すると言いました。腕ずく編集を戻してから議論するのは、議論の間に『腕ずく編集が既成事実になる(=腕ずくの成功体験になる)』と考える為です。
なお、『1週間(168時間)以内』という基準は、その間に異論がなければ、追認が成立していると考えるからです。言い換えれば、『事前にノートで合意形成を取った場合、つまり本来の場合は、まだ改称出来てないケース』の場合に、一旦戻すという話です。当然ながら、個別の議論の結果、改めて『解説』にすることは十分有り得るものです。『1週間(168時間)の間に異論がなかった』または『議論で合意できた』上で『解説』へと変更した場合、私はそれを支持します。
以上の点を踏まえた上で、『ノートで事前合意を行う事なく、「概要」→「解説」をしたい』と言われるのであれば、その時こそは明確な『いつまでも「納得」しない』に該当すると判断しますが、いかがですか。繰り返しますが、『ノートで合意形成した上で』「概要」→「解説」の編集を行ってください。貴方は『事前に合意形成を経る』という手順に『納得』しますか、しませんか。--~2025-27726-78 (会話) 2025年10月5日 (日) 06:57 (UTC)[返信]
「ウィキペディアで『解説』の見出しを使ってはならない根拠を示してください」というこちらからのお願いにお答えいただけないということは、そのような根拠は存在しないと解釈してよろしいでしょうか。「解説」を使ってはいけない根拠がないのであれば、そもそも事前の合意形成などは必要ありません。にもかかわらず「解説」の使用に一方的に合意形成を要求するのは、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないの「自分の主張や観点が否定された後もぐだぐだと固執し」「自説を通したいがために合意形成の方針を悪用」に該当する可能性があると判断します。したがって、根拠なく「解説」の使用を阻もうとする目的でそのような不当な条件を付そうとする行為こそが「腕ずく」であり、ガイドラインに照らせば当然無効ですから、従う必要はないと考えられます。
なお「首肯できないご意見が寄せられた場合は、今後とも引き続き反論」という発言について少々補足しますと、根拠のない主張が繰り返されているときに沈黙したままでいた場合、その根拠のない主張がまかり通ってしまう、そうなることは避けたいので「その意見には根拠がない」と指摘し続ける必要がある、との趣旨で述べたものです。根拠に基づいたご意見であれば同意できる場合もあるでしょう。「解説」についても、もしこの語を見出しとして使うべきでない具体的客観的な根拠が提示されるのであれば、なるほど確かに事前の合意形成が必要かもしれない、という考えに傾く可能性はあります。
最後に仮アカウントさんにお願いですが、もし今後も継続的に議論に参加するご意向がおありになるのでしたら、説明責任の観点からも、ぜひアカウントを取得のうえでログインして発言いただければと思います。ご検討ください。--Yasu会話2025年10月5日 (日) 15:02 (UTC)[返信]
  返信 (@Yasu 宛) 話の腰を折って申し訳ないが、
  1. 私はすでに「もう私とは方向の異なる哲学をお持ちのようですので、であれば私が申し上げるべきことはございません。」として、本議論から脱しております。
    いつまでも付き合ってられないのでここで改めて明確に、賛否については棄権いたしましょう。
  2. なお、@Yasu さんが〈概要説をみだりにいじる根拠〉として用いる〈Wikipedia:スタイルマニュアル/導入部#「概要」節を作る場合の注意〉は、あくまでガイドラインです。
    残念ながらしかし、言ってしまえばウィキペディアの方針でもルールでも何でもありません。
    • したがって尊重することが望ましく、言葉を選ばずに表現すると〈必ずしも絶対視して良いものではありません〉。
ウィキペディアには、規則主義を否定する根拠もありませんが、規則主義を肯定する根拠もありません。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年10月12日 (日) 03:31 (UTC)[返信]
『解説』については、現状のルールで規定されていないものと認識しています。制限するルールがない代わりに、妥当性を担保するルールもないということです。(もしも『解説』の妥当性を示す規定がありましたら、教えてください。)
そして『ルールで規定されていない』という点では、『前置き』等の本議論で挙げられた案も等しいです。つまり、『「概要」より「解説」がいいと置き換える』行為と、『「概要」より「前置き」がいいと置き換える』行為は、『規定されていない呼称への変更』という点で全く同じです。『「解説」から「前置き」に置き換える』行為と、『「前置き」から「解説」に置き換える』行為は、『どちらが先だったか』という違いでしかありません。
よって、本当に『解説』の方がいいと思うのであれば、『「概要」節が全体の要約になっていない場合、暫定的に「解説」へと改称するルールの提案』を、しかるべき手順を踏んだ上で提案してください。そのルールを成立させた上でなら、貴方の行為は妥当性があると言えます。逆に、ここまでの議論で『解説』への異論が少なくない事を認識しているにも関わらず、『それまでの数週間、数ヶ月、数年に渡って「概要」だったケースで、事前確認もせずに「解説」へと置き換える』行為は、『あくまでも現時点のルール上は(「解説」名称の規定のない状況下では)』問題視されうるものだと思います。
尚、『そもそも立項時から「解説」だったケース』や、『「概要」節のない状況下で、「解説」節を設けたケース』、『置き換えの前後を問わず、「解説」への置き換えに対する合意形成の成立しているケース』においては、『概要と呼べる内容になっていない限り』解説のままでいいと思います。
私見にはなりますが、『解の説明』である『解説』ではなく、シンプルに『説明』ではいけないのでしょうか?『解の説明』であれば、『解=それまでの説明』を、更に(深掘りして)説明する形である必要が有ります。問題集の解説ならば、『「解答」という解の説明』ですね。つまり、最初の節名に使うのは、『誤用』と言えます。
しかしながら『説明』は、『説を明らかにする』であり、『読者の主題に対する理解を助ける』という意味しかありません。よって、最初の節名に使うことへの支障はないと考えます。
Wikipediaの記事は、その全てが『何かに対する説明』です。例えば出典は『何を参考に書かれた記事であるか』の説明です。故に、あくまでも個人的には、『概要とは呼べないが、どう呼べばいいか分からない節』は、『説明』とだけ呼べばいいと思いますが、異論は有りますでしょうか?異論がないようであれば、今後は『解説』ではなく『説明』を採用していただければと思います。『全体の要約になっていないのに、全体の要約だと誤解させる』状態が、問題であることは確かなのですから、『誤用』さえなければ文句は言われないように愚考します。
末筆になりますが、特に強く返信を要請されなければ、これ以上のコメントを行うつもりはありません。また、Wikipediaは義務ではないので、その要請に必ずしも気付けるとも限りません。一つだけ言えるのは、井戸端への読み込みが終わった後は、このページを見る可能性は低いということです。それでは、失礼いたします。--~2025-28570-74 (会話) 2025年10月12日 (日) 13:43 (UTC)[返信]
この議論において@~2025-28570-74さんは初めましてと存じますが、ひとまず@~2025-27726-78さんと同一人物とみなします。
  返信 (@~2025-28570-74 宛) 申し訳ないのですが、
  1. おっしゃる〈解説〉と〈説明〉に対する認識は、かなり独特かと考えます。どちらかというと〈とき、ほぐす【解き、解す】〉の意味でむしろより詳細な説明に対する表現かと[1]
  2. また「ウィキペディアは全体として〈説明(解説)〉で構成されているから、それゆえに見出し語は〈説明(解説)〉で良い」というのがいかに暴論かについては再三申し上げるところです。
    • とある節の見出しが〈説明(解説)〉としかいいようのない場合、その内容で節分けをすること自体がガイドライン「Help:セクション」を尊重しておらず、見出しの付け方の問題ではないでしょう。
IP利用者である時点で、首を突っ込んでみただけでしょうし返答は求めませんが、表記法をガイドライン以上の拘束力を以て規定することにつき反対です。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年10月13日 (月) 08:40 (UTC)[返信]
シェン,アーナリー,ン,アーバァ.さん(以下長いのでシェン何とかさん)が、しゃしゃり出てこなければ9月5日で終わっていた話題です。おおむね、Yasuさんの主張に間違いはなく編集の強行もしていません。ただし、利用者からすれば「概要」であろうと「解説」であろうとそんなもの心底どうでもいいです。どちらでも意味が通るので、「概要」節が絶対にその記事にまとめでないといけないとするようには読み取れないので、「概要」か「解説」かは好みのレベルです。
再三申し上げたとシェン何とかさんは言っていますが、読み返してみて下さい、シェン何とかさんに同意する意見など有りません、1人で勝手に言っているだけです。というよりこの話題に限らずシェン何とかさんは文章読解力が低く観点がズレていて、あなたが出てくると話が面倒になるだけです。私も全く人の事は言えないのですが、話を面倒にしておいてその後、「ご勝手に」「あなたがやって下さい」など無礼な言葉を残して去っていくだけですよね?正直、あなたのこれまでの行動全般に対して色々と言いたい事はあるのですが、そういう場ではないのでここではやめておきます。ただ、この場において、あなたに同意している人などいないとう事は理解した方がよろしいかと。そして論点がズレていて迷惑です、「もう私とは方向の異なる哲学をお持ちのようですので、であれば私が申し上げるべきことはございません。」と無礼な事まで述べて去ったならもう二度と出てこないで下さいな。
他人の批判だけで終わるのもどうかと思うため、一応述べますが、そもそも概要節に相当するものが必要なく、「概要」や「解説」に書かれている文章を切り分けるというのは記事が分かりにくくなるだけなのでそれもどうかと思うのです。それであれば「概要」が問題あると思うなら「解説」にすればいい。どっちでもいいです。日本語版の日本料理とと見比べて、冒頭に情報がまとめられている英語版に比べ情報が散逸している日本語版は何を説明しているのかわからない状態です。これが概要なり解説を分けてしまう問題点です。導入部が長くて何か問題ありますか。単純に「概要節」の概要の文言を取り除いて導入部にする事の何が問題ですかって感じですね。文章のつながりや情報の重複に気を付ければ、情報を切り分けるよりよほど読者にとって読みやすい記事になるでしょう、まともな概要節であればですが。大事なのは読者の視点で、編集者の好みでどうこうする話ではないでしょう。概要を解説に変更するのも編集者の好みのレベルですが、だからといってそれが記事破壊になっているかといえば、そんな事もなく、それを何故行ったかの説明もまっとうですので、「ずっと概要だったんだから概要の方がいい」なんて主張よりははるかにマシです。概要と解説のどっちがいいかなどと議論するのは無駄で、こんなことで同意を取るだとかバカらしいにも程がある、時間と空間の無駄遣いです。時間をかけて概要を切り分けるなんてのも私からすれば愚行としか思えませんが、その辺りはその記事別に編集者同士で好きにすればいい。概要じゃないとダメだ、概要じゃダメだ、と決めるものではないでしょう、こんなの。そして冒頭の記事の書き方に、それでもルールを作りたいなら、ノート:スタイルマニュアル/導入部]でやって下さい。まあ、揉めるだけで何も決まらずに終わりそうですが--田村悠会話2025年10月13日 (月) 15:51 (UTC)[返信]
  返信 (@Yasu 宛) すみません。言い過ぎました。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年10月15日 (水) 11:44 (UTC)[返信]