Wikipedia:削除依頼/阿部信行
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議論の結果、版指定削除 に決定しました。
2005年10月10日 (月) 04:37時点における版で加筆された「処世の将軍」の節が、『歴史群像シリーズ70 実録首相列伝 国を担った男達の本懐と蹉跌』学習研究社、2003年。ISBN4-05-603151-7。の88ページ、冨森叡児「阿部信行」とほぼ同文です。「当たってきた」(記事)「当ってきた」(書籍)、「有様であった」(記事)「ありさま」(書籍)のような細かな違いがあるものの、この加筆では書籍の「阿部信行」の記載内容全文がほぼそのまま使われています。「処世の将軍」という節の名前自体が、書籍の見出しに書かれたものです。著作権侵害のおそれがあるため、2005年10月10日 (月) 04:37の版から2020年7月17日 (金) 05:23の版までの版指定削除が必要であると考えます。
この節には、2005年の投稿後におびただしい編集が加わっていますが、「宇垣の寵児」あたりのように一段落残っているところもあり、2020年7月17日 (金) 05:23の版においても原文の表現は残っていると判断しています。
- 版指定削除 依頼者票。--西村崇(会話) 2020年7月25日 (土) 08:54 (UTC)
- 版指定削除 大半が盗用という点には同意しますが、「1936年(昭和11年)2月26日におきた~阿部は一般には知名度が低かった。」まではかなり後になって加筆された箇所で(どんたどんたさんとRikushi44-2さんによるものです)同書の盗用ではないことから、復帰させたほうが良いのではないでしょうか。その上で2005年10月10日 (月) 04:37の版から2020年7月17日 (金) 05:23の版までの版指定削除に同意します。--モメンとメリ(会話) 2020年7月31日 (金) 08:59 (UTC)
- 対処著作権侵害のおそれありとして、2005年10月10日 (月) 04:37(UTC)から2020年7月17日 (金) 05:23(UTC)までの連続193版を版指定削除しました。--Halowand(会話) 2020年8月10日 (月) 01:33 (UTC)
- コメント 以下を書いている途中で削除が実行されて行き違いになってしまいましたが、参考まで書き込みます。
- IP:221.26.160.103(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)による2005年10月10日 (月) 04:37 (UTC) の版番3182288の加筆と『実録首相列伝』(ISBN 4-05-603151-7)の88ページ、冨森叡児「阿部信行」とを照合し、僅かな違い(転載元の「と言い出すありさま。」「倒閣に動くありさま。」という体言止めの文をそれぞれ「……有様であった。」に改変するなど)を除けば丸ごとの引き写しであることを確認しました。利用者:モメンとメリ(会話 / 投稿記録)さんのご提案のように、利用者:どんたどんた(会話 / 投稿記録)さんによる2013年12月11日 (水) 00:36 (UTC) の版番50015744の加筆と利用者:Rikushi44-2(会話 / 投稿記録)さんによる2019年7月4日 (木) 07:15 (UTC) の版番73342588の加筆に由来する部分だけ復帰させた上で、2005年10月10日 (月) 04:37 (UTC) の版番3182288から2020年7月17日 (金) 05:23 (UTC) の版までを版指定削除するのがよいのではないかと思います。--侵入者ウィリアム(会話) 2020年8月10日 (月) 01:41 (UTC)
- コメント「処世の将軍」の節に『実録首相列伝』と無関係の記述はいくつかありましたが、私はいずれも復帰させるつもりはありませんし、できません。Internet Archiveでは古い版が見られますので、必要だと思う方が文献を示した上で復帰させればよいと思います。
大きなものでは安井藤治の備忘録の件と、安部磯雄の首相就任と間違えられた件があります。このうち安井藤治の備忘録は引用の目的が不明です。この備忘録も発表の形態によっては著作物であり、引用の要件を満たす必要があるでしょう。現状では出所もはっきりせず、単に記述を復帰させるのはリスクがあります。疑いなく妥当な引用となるように文章を組み立てれば、阿部の記事より二・二六事件にあるのがふさわしいものになるでしょう。
また阿部の知名度が低く、安部磯雄と間違われた件は複数の文献に記載があり、冨森叡児も別の本ではこの件に触れています。しかし、文献によって「(新聞記者に限らず)一般にそういう反応だった」「当時そういうネタ話があった」と温度差があり、「かなりの数の新聞記者が勘違いした」と書かれていた本記事過去版の記述とは食い違っています。こういう状況では、いずれかの文献を示して、その文献の示した説を書くほかないでしょう。
「処世の将軍」の節は大半が書籍由来であり、節ごと削る必要があります。節を維持して書籍と無関係な記述だけ残すのでは奇妙な文章になりますから、「人物」あたりに持っていって同趣旨の文章を書き直すのが適切でしょう。林銑十郎は特に争いのなさそうな事実でしたので、そのように対応して削除依頼に出しましたが、阿部信行は述べた通りの状況です。復帰させるにもなんらかの文献調査は必要ですが、私は今、外に出られません。こんな時期に依頼提出を始めたのが悪かったとは思います。しかし、一連の加筆は2005年に投稿されたものです。百科事典の文体ではないのに投稿時に放置され、2014年に文献が特定されても放置され、文献が特定されているのに2018年には「処世の将軍」に独自研究を貼っている人がいます。長く放置されすぎていると思いますので、依頼提出を優先しました。--西村崇(会話) 2020年8月15日 (土) 00:33 (UTC)
- コメント「処世の将軍」の節に『実録首相列伝』と無関係の記述はいくつかありましたが、私はいずれも復帰させるつもりはありませんし、できません。Internet Archiveでは古い版が見られますので、必要だと思う方が文献を示した上で復帰させればよいと思います。
- IP:221.26.160.103(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)による2005年10月10日 (月) 04:37 (UTC) の版番3182288の加筆と『実録首相列伝』(ISBN 4-05-603151-7)の88ページ、冨森叡児「阿部信行」とを照合し、僅かな違い(転載元の「と言い出すありさま。」「倒閣に動くありさま。」という体言止めの文をそれぞれ「……有様であった。」に改変するなど)を除けば丸ごとの引き写しであることを確認しました。利用者:モメンとメリ(会話 / 投稿記録)さんのご提案のように、利用者:どんたどんた(会話 / 投稿記録)さんによる2013年12月11日 (水) 00:36 (UTC) の版番50015744の加筆と利用者:Rikushi44-2(会話 / 投稿記録)さんによる2019年7月4日 (木) 07:15 (UTC) の版番73342588の加筆に由来する部分だけ復帰させた上で、2005年10月10日 (月) 04:37 (UTC) の版番3182288から2020年7月17日 (金) 05:23 (UTC) の版までを版指定削除するのがよいのではないかと思います。--侵入者ウィリアム(会話) 2020年8月10日 (月) 01:41 (UTC)
- 情報 問題の加筆をした221.26.160.103や、IPレンジや編集傾向から同一人物と思われる221.26.160.40は、同じ書籍『実録首相列伝』(ISBN 4-05-603151-7)からの丸ごと転載を他にも多数行っています。他の削除依頼案件(../林銑十郎、../濱口雄幸、../岡田啓介、../小磯國昭)やWikipedia‐ノート:削除依頼/小磯國昭、また2014年時点での指摘(Wikipedia:著作権問題調査依頼/2014年#10月およびノート:鈴木貫太郎#文体について)もご覧ください。--侵入者ウィリアム(会話) 2020年8月10日 (月) 01:41 (UTC)
- 確認 依頼者さん指定の範囲が対処宣言どおり適切に削除されていることを確認しました。なお、侵入者ウィリアムさんご指摘の件ですが「2020年8月15日 (土) 00:33 (UTC)の依頼者さんによるご説明」に一定の理があると考えますので、本依頼は今回対処された版指定削除範囲のままクローズとします。--さかおり(会話) 2020年8月15日 (土) 01:55 (UTC)
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